Category: 街角探検
街のほっとステーション
昨日の記事で、庄内の名建築、年末はどこも入れてくれないと書きましたが、実は一ヶ所だけ入れるところがありました。
入口の門は武家屋敷みたいなんですが、天主堂とありますね。

カトリックの教会です。国の重要文化財。
真夏にスペインを旅行した時も、熱くてへばったら教会が定番でした。ベンチもあるし。
この美しさは、国内有数ではないでしょうか。

鶴岡カトリック教会天主堂。
前庭は幼稚園の庭でもあるのですが、マリア像にも雪囲いが施されていました。

ヨーロッパや中南米のサッカー選手が、プレーの良し悪しにつけ天を仰ぎますが、このマリア様と同じ場所を見つめているのでしょうか。

一度だけここには来ているのですが、駐車場所を見つけられなくて、ゆっくり見られなかったのでした。

教会のホームページにある、最初の言葉。
教会の門はすべての人に開かれています。教会は祈りと安らぎの場です。
先ずは心静かに聖堂(天主堂)をごらんになってください。
寒い中観光に訪れている旅人にはなんともありがたい事です。
門を閉ざしている他の観光施設もなんとかしてください。

写真のとおり、木製のベンチはなくて畳です。
最近はパイプ椅子を並べているようですね。
以下の文章と、最後の画像は教会のHPから引用させていただきました。
明治36年(1903年)
永く庄内地方藩政の中心都市として栄えた
城下町鶴岡に
赤く鋭い尖塔に十字架をかかげた
鶴岡カトリック教会天主堂が完成した

庄内藩家老末松十蔵屋敷跡の武家門の中に建つ聖堂は、以来異彩を放ちながらもこの街の風情と調和し、布教活動の拠点となり、また、市のシンボル的建築物となった。高さ23.7メートル、正面の幅10.8メートル、主棟奥行き23.75メートル、木造瓦葺きの瀟洒な天主堂は、フランスのデリヴランド教会をイメージして建てられたといわれる、バジリカ型三廊敷きロマネスク様式の教会建築物で、東北地方ではこの様式最古のもの。また、日本における教会堂の建築設計を数多く手掛け、宣教師としても精力的な活動をしたフランス人パピノ神父最後の設計によるものという。

元和8年(1622年)に始まる外国人キリシタンの庄内地方布教巡回から280年程経て、明治18年秋、パリの外国宣教会はダリベル神父を鶴岡に覇権、現在地を購入して礼拝堂と集会所に当て恒久的な根拠地を得、小規模ながら西洋の文化、宗教継承の歴史がここに出帆した。明治33年の設計着手から同36年10月の完成まで幾多の人々の労働を費やし、明治西洋建築の傑作と謳われる天主堂をなる。昭和48年5月、鶴岡市有形文化財指定、同6月山形県有形文化財指定、そして昭和54年5月国指定重要文化財となる。

ロマネスク寺院特有の半円アーチの枠におさめられた「窓絵」から、聖堂内に四季の陽光が入り、気高い空間をつくり出している。ステンドグラスでも、色ガラスを組み合わせた絵でもないこの教会の窓の絵は、正式な名称を持たない。二重になっている窓ガラスの内側から描いて外側に透明がラスを設け二枚のガラスで挟んだ「貼り絵」(鶴岡カトリック教会のもの)がある。高価なステンドグラスに代えて使用したと考えられるが、現在は日本ではこの教会の他に見ることはできない。

黒い聖母は明治36年(1903年)献堂記念として、フランス・ノルマンディー州のデリブランド修道院から寄贈された。この像はデリブランド教会にある黒い聖母像の完全な複製としてフランスで作られた木の芯に石膏を被せたものである。昭和52年(1977年)にフランス国立学術研究所ドベルク美那子女子によって黒い聖母と鑑定された。日本では他に例を見ない聖母像である。
初代主任司祭ダリベル神父の手紙には「聖母マリアのご像は私の国ノルマンディーから来ました。ノートルダム・デ・ラ・デリブランド或はノートルダム・ラボラトリエといい、日本語で御助けの聖母であります。よく御助けを願うとき、きっとかなえられます。私はこのマリア様のところに幾度も行きました。日本に来る前にそのご像の前でミサをあげてノルマンディーを出ました」と述べられている。鶴岡教会に不思議な縁のある像である。

なぜマリア像の顔が黒いのかはいくつかの説があるが、旧約聖書のソロモン雅歌には次のようにある。聖ルカによる原肖像画のマリアの顔が熟した小麦のように栗色であったという。
イスラエルの娘たちよ
私はケダルの天幕のように
サルマハの幕屋のように
黒いけれども美しい
私の焦げた色に目をとめるな
私は陽にやけた
こんな教会を持つ、鶴岡の人は幸せです。
今度は暑い夏の日に、ほっとしに行ってみたいものです。
入口の門は武家屋敷みたいなんですが、天主堂とありますね。

カトリックの教会です。国の重要文化財。
真夏にスペインを旅行した時も、熱くてへばったら教会が定番でした。ベンチもあるし。
この美しさは、国内有数ではないでしょうか。

鶴岡カトリック教会天主堂。
前庭は幼稚園の庭でもあるのですが、マリア像にも雪囲いが施されていました。

ヨーロッパや中南米のサッカー選手が、プレーの良し悪しにつけ天を仰ぎますが、このマリア様と同じ場所を見つめているのでしょうか。

一度だけここには来ているのですが、駐車場所を見つけられなくて、ゆっくり見られなかったのでした。

教会のホームページにある、最初の言葉。
教会の門はすべての人に開かれています。教会は祈りと安らぎの場です。
先ずは心静かに聖堂(天主堂)をごらんになってください。
寒い中観光に訪れている旅人にはなんともありがたい事です。
門を閉ざしている他の観光施設もなんとかしてください。

写真のとおり、木製のベンチはなくて畳です。
最近はパイプ椅子を並べているようですね。
以下の文章と、最後の画像は教会のHPから引用させていただきました。
明治36年(1903年)
永く庄内地方藩政の中心都市として栄えた
城下町鶴岡に
赤く鋭い尖塔に十字架をかかげた
鶴岡カトリック教会天主堂が完成した

庄内藩家老末松十蔵屋敷跡の武家門の中に建つ聖堂は、以来異彩を放ちながらもこの街の風情と調和し、布教活動の拠点となり、また、市のシンボル的建築物となった。高さ23.7メートル、正面の幅10.8メートル、主棟奥行き23.75メートル、木造瓦葺きの瀟洒な天主堂は、フランスのデリヴランド教会をイメージして建てられたといわれる、バジリカ型三廊敷きロマネスク様式の教会建築物で、東北地方ではこの様式最古のもの。また、日本における教会堂の建築設計を数多く手掛け、宣教師としても精力的な活動をしたフランス人パピノ神父最後の設計によるものという。

元和8年(1622年)に始まる外国人キリシタンの庄内地方布教巡回から280年程経て、明治18年秋、パリの外国宣教会はダリベル神父を鶴岡に覇権、現在地を購入して礼拝堂と集会所に当て恒久的な根拠地を得、小規模ながら西洋の文化、宗教継承の歴史がここに出帆した。明治33年の設計着手から同36年10月の完成まで幾多の人々の労働を費やし、明治西洋建築の傑作と謳われる天主堂をなる。昭和48年5月、鶴岡市有形文化財指定、同6月山形県有形文化財指定、そして昭和54年5月国指定重要文化財となる。

ロマネスク寺院特有の半円アーチの枠におさめられた「窓絵」から、聖堂内に四季の陽光が入り、気高い空間をつくり出している。ステンドグラスでも、色ガラスを組み合わせた絵でもないこの教会の窓の絵は、正式な名称を持たない。二重になっている窓ガラスの内側から描いて外側に透明がラスを設け二枚のガラスで挟んだ「貼り絵」(鶴岡カトリック教会のもの)がある。高価なステンドグラスに代えて使用したと考えられるが、現在は日本ではこの教会の他に見ることはできない。

黒い聖母は明治36年(1903年)献堂記念として、フランス・ノルマンディー州のデリブランド修道院から寄贈された。この像はデリブランド教会にある黒い聖母像の完全な複製としてフランスで作られた木の芯に石膏を被せたものである。昭和52年(1977年)にフランス国立学術研究所ドベルク美那子女子によって黒い聖母と鑑定された。日本では他に例を見ない聖母像である。
初代主任司祭ダリベル神父の手紙には「聖母マリアのご像は私の国ノルマンディーから来ました。ノートルダム・デ・ラ・デリブランド或はノートルダム・ラボラトリエといい、日本語で御助けの聖母であります。よく御助けを願うとき、きっとかなえられます。私はこのマリア様のところに幾度も行きました。日本に来る前にそのご像の前でミサをあげてノルマンディーを出ました」と述べられている。鶴岡教会に不思議な縁のある像である。

なぜマリア像の顔が黒いのかはいくつかの説があるが、旧約聖書のソロモン雅歌には次のようにある。聖ルカによる原肖像画のマリアの顔が熟した小麦のように栗色であったという。
イスラエルの娘たちよ
私はケダルの天幕のように
サルマハの幕屋のように
黒いけれども美しい
私の焦げた色に目をとめるな
私は陽にやけた
こんな教会を持つ、鶴岡の人は幸せです。
今度は暑い夏の日に、ほっとしに行ってみたいものです。
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り ジャンル : 旅行
Comments
教会、キレイですね
風写兄さん コトヨロ~♪
前半のカメラ不調だったのに持ち直したんですかね。いつものようにキレイな写真。
全国ニュースでも庄内地方が記録的な大雪だって言ってた頃に旅行してたんですか?
それとも帰った後かな?(^_^;)
前半のカメラ不調だったのに持ち直したんですかね。いつものようにキレイな写真。
全国ニュースでも庄内地方が記録的な大雪だって言ってた頃に旅行してたんですか?
それとも帰った後かな?(^_^;)
黒人ではなかったのですね
風写さん
ありがとうございます。なぜ黒いマリア像なのか疑問に思っていました。雅楽ではなく雅歌。もう一度、バイブルをひもとく気持になりました。しかし、日焼けのマリアとキリストとはね~。子連れで、灼熱の荒れ地を歩いたとすれば、納得いきます。大工の父、ヨセフはどうしていたのだろう。
ありがとうございます。なぜ黒いマリア像なのか疑問に思っていました。雅楽ではなく雅歌。もう一度、バイブルをひもとく気持になりました。しかし、日焼けのマリアとキリストとはね~。子連れで、灼熱の荒れ地を歩いたとすれば、納得いきます。大工の父、ヨセフはどうしていたのだろう。