Category: 街角探検
旅は道連れ
さて図らずも、村田を散策して昼飯時。
前から行ってみたかったお店に、暖簾がかかっていました。

これはヨシオを道連れに、入ってみるしかありませんね。
ものすごい数の写真と寄せ書き。

若き日の同僚の写真もありました。
客は誰も居ませんが、テレビだけは点いてました、でも音無し。お店の人も見当たりませんね。

奥にも、かつては客を入れていたであろう座敷があるのですが、親父さん、そこのテーブルに突っ伏して睡眠中。
店に入るときには、センサー起動で「いらっしゃいませ」のアナウンスや、チャイムも響きわたるのですが、起きません。「すみませーーーん」と呼びかけても動かず、死んでるのかもと心配して、ヨシオが肩を叩いたら起きてくれました。
正直いってだいぶお年を召しているしているかとも思われますが、起き抜けということもあったのかな、何を言ってるのか、さっぱり判らないすごい訛り。
どこから来たのか、仕事は何をしてるのか、根掘り葉掘り色々聞かれ(たと思う)ました。
どうも写真が趣味のようで、古いフィルムカメラの、液晶表示が壊れているのを直せないかと聞かれている図。

メニューは三種類だけ。

大盛支那ソバを指さしながら注文したのですが、耳も遠いし、会話も通じ難いし、どこまで理解してもらったか、不安でした。
出てきたのは、普通と比べても、少なめの支那ソバ、たしかに昔ながらの雰囲気たっぷりですね。

こってり系のスープに、やや太めで柔らかめの麺。
だしを取るのに時間をかけているようで、コクのあるスープですが、正直また食べたくなる味ではありません。
食べ終わって、早々にお金(当然二人で千円)を払い出ていこうとすると、呼び止められて、裏の方へ引っ張って行かれます。
ヨシオも私も海外駐在を経験しているので、会話が通じにくい状態でのコミュニケーション能力は高く、あとから色々話しあった結果、どうも親父さんは運転免許を持っておらず、自転車で時々大河原の佐藤商会まで、材料の買い出しに行きます。

荷台には岡持ちも乗ってるこの自転車、電装品がすごいでしょう。
どうも方向指示器が壊れて動かないと。
これも直せないかと聞かれたのでした。丁重にお断り。
帰り際に、缶コーヒーを一本ずつお土産にもらいました。
ラーメンを期待しなければ、たっぷり時間があるときに、楽しく話をするのにはイイ空間かも知れません。

おんちゃん、ご馳走様でした。
店を出た時、私達に注がれる街の人の目に、心なしか同情の色が漂っていたような気がします。
蔵の街、村田。
話し好きが多い街です。
このあとヨシオには、津波の跡を見せなければということで、亘理へ。

住宅地にはなかなか車を停めにくいので、街の中を走りまわって、鳥の海へ。上は鳥の海荘と瓦礫の山です。
上の画像にも写っていますが、観光地にはありがちの様々な碑、倒れまくっていました。

防潮堤もズタズタ。

弧を描いたガードレールも、綺麗に横たわっていました。
人間の力では、なかなかこんなふうには曲げられませんね。

破壊された防潮堤の外側に、砂嚢を積み重ねただけの仮の堤防。
震災後一年を過ぎた、被災地の今です。

漁港で働く人も、モーターパラグライダーやプレジャーボートで遊ぶ人も全くいなくなった鳥の海。
数少ない重機が、瓦礫を仕分けしていたのと、唯一残った鳥の海荘の中で、何やら電動工具を使う音だけが響いていました。
前から行ってみたかったお店に、暖簾がかかっていました。

これはヨシオを道連れに、入ってみるしかありませんね。
ものすごい数の写真と寄せ書き。

若き日の同僚の写真もありました。
客は誰も居ませんが、テレビだけは点いてました、でも音無し。お店の人も見当たりませんね。

奥にも、かつては客を入れていたであろう座敷があるのですが、親父さん、そこのテーブルに突っ伏して睡眠中。
店に入るときには、センサー起動で「いらっしゃいませ」のアナウンスや、チャイムも響きわたるのですが、起きません。「すみませーーーん」と呼びかけても動かず、死んでるのかもと心配して、ヨシオが肩を叩いたら起きてくれました。
正直いってだいぶお年を召しているしているかとも思われますが、起き抜けということもあったのかな、何を言ってるのか、さっぱり判らないすごい訛り。
どこから来たのか、仕事は何をしてるのか、根掘り葉掘り色々聞かれ(たと思う)ました。
どうも写真が趣味のようで、古いフィルムカメラの、液晶表示が壊れているのを直せないかと聞かれている図。

メニューは三種類だけ。

大盛支那ソバを指さしながら注文したのですが、耳も遠いし、会話も通じ難いし、どこまで理解してもらったか、不安でした。
出てきたのは、普通と比べても、少なめの支那ソバ、たしかに昔ながらの雰囲気たっぷりですね。

こってり系のスープに、やや太めで柔らかめの麺。
だしを取るのに時間をかけているようで、コクのあるスープですが、正直また食べたくなる味ではありません。
食べ終わって、早々にお金(当然二人で千円)を払い出ていこうとすると、呼び止められて、裏の方へ引っ張って行かれます。
ヨシオも私も海外駐在を経験しているので、会話が通じにくい状態でのコミュニケーション能力は高く、あとから色々話しあった結果、どうも親父さんは運転免許を持っておらず、自転車で時々大河原の佐藤商会まで、材料の買い出しに行きます。

荷台には岡持ちも乗ってるこの自転車、電装品がすごいでしょう。
どうも方向指示器が壊れて動かないと。
これも直せないかと聞かれたのでした。丁重にお断り。
帰り際に、缶コーヒーを一本ずつお土産にもらいました。
ラーメンを期待しなければ、たっぷり時間があるときに、楽しく話をするのにはイイ空間かも知れません。

おんちゃん、ご馳走様でした。
店を出た時、私達に注がれる街の人の目に、心なしか同情の色が漂っていたような気がします。
蔵の街、村田。
話し好きが多い街です。
このあとヨシオには、津波の跡を見せなければということで、亘理へ。

住宅地にはなかなか車を停めにくいので、街の中を走りまわって、鳥の海へ。上は鳥の海荘と瓦礫の山です。
上の画像にも写っていますが、観光地にはありがちの様々な碑、倒れまくっていました。

防潮堤もズタズタ。

弧を描いたガードレールも、綺麗に横たわっていました。
人間の力では、なかなかこんなふうには曲げられませんね。

破壊された防潮堤の外側に、砂嚢を積み重ねただけの仮の堤防。
震災後一年を過ぎた、被災地の今です。

漁港で働く人も、モーターパラグライダーやプレジャーボートで遊ぶ人も全くいなくなった鳥の海。
数少ない重機が、瓦礫を仕分けしていたのと、唯一残った鳥の海荘の中で、何やら電動工具を使う音だけが響いていました。
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テーマ : こんな店に行ってきました ジャンル : グルメ
Comments
チェリーX-1
ヨシオさんは、岡山でダートラやってたんですかね?
ダンロップPW98を履いたチェリーX-1を見たことがあるんですが、ひょっとしたらそれで見かね。たぶん岡山から参加していたような気がするんですが。
泥濘なコースでFFを癖を生かした良い走りをしていた記憶が有ります。
私は、今年はライセンスの更新をしませんでした。
ダンロップPW98を履いたチェリーX-1を見たことがあるんですが、ひょっとしたらそれで見かね。たぶん岡山から参加していたような気がするんですが。
泥濘なコースでFFを癖を生かした良い走りをしていた記憶が有ります。
私は、今年はライセンスの更新をしませんでした。
百日紅さんへ
ヨシオですが、たぶん岡山ではダートラやっていなかったと思います。
大学は東京に戻ってたし、四輪免許は私と同じ、教習所に行かないで府中で取ったといってましたから。
岡山時代は二輪だけだったはずです。
ちなみに大型二種まで持ってるそうです。
大学は東京に戻ってたし、四輪免許は私と同じ、教習所に行かないで府中で取ったといってましたから。
岡山時代は二輪だけだったはずです。
ちなみに大型二種まで持ってるそうです。