Category: 街角探検
何百年 守ってくれたのだから
予想していたよりも天気が良かった週末。
朝から東北道に乗って南下します。
すぐ菅生PAで朝飯です。

和定食650円。長者ヶ原SAの朝定よりは、小鉢の数が少ないけれど、デカ豚汁付き。
此処では以前、昼飯も食べています。
腹を満たしてから、最初のICを降りてしまいます。村田インターです。

料金所が2つしかない出口。左側の一般料金所が大渋滞で、本線まで届こうかという勢い。
右側が少し広くなったところですり抜けて、がらがらのETC出口をアウト。
出て数分走ると、村田の市街地です。
街中をちょっと流したら反対側に出てしまい、Uターンして商店街の駐車場を見つけました。

此処で自転車を展開。のんびりポタリングです。

村田の市街地は、乾坤一を覗きに来たことが一度あるだけで、のんびり観光するのは初めて。

日曜日の朝は、閉まってました。
3月の震災で、県内で大きな被害があった酒蔵の一つと言われています。

みちのく宮城の小京都と言われる村田町。

重量挙げの三宅兄弟の出身地ですね。
カメラは朝飯以外、E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6II R。ズームレンズなのに見事な写りです。

モータースポーツで有名な、スポーツランド菅生がある菅生地区は、1955年に併合されたそうです。

町内を通っている鉄道は、東北新幹線だけ、駅はひとつもありません。

ただ東北道のICがあるし、山形道との需要なジャンクションもありますから、なんとなく知られた地名ではあったりします。

伊達藩時代も、江戸から仙台と山形へ行く道の分岐点だったのですね。そこに発達した商業の街。

蔵の町並みと称するメインストリート。

ですが、建物には特に説明書きもありません。

時間も早かったせいか、観光案内所のような場所も見つかりませんが、誰にも邪魔されず、のんびり自転車で、STOP&SHOOTするにはいい街です。

ところところに立つ、街の観光地図が唯一の頼り。
結構交通量はあるので、車に注意です。

しかし、なんとか残されている土蔵たちも、今回の地震の被害が甚大です。

いくら日本の歴史が育てた建築技法といえど、1000年に一度の災害は経験して来なかったはず。

しかし壁は崩れて、全体が傾いていても、なんとか踏ん張って人や物を守り通してくれました。

想定外だらけで、何万人を何十年も避難させる昭和の施設とは、筋金が違いますね。
想定力の差でしょうか。

国や自治体の財力は限られているのでしょうが、なんとかこれ以上壊さずに、未来に遺して欲しいものです。

この日は村田町の町長と、町議会議員の選挙があったそうです。
蔵の未来は語られたのでしょうか。
朝から東北道に乗って南下します。
すぐ菅生PAで朝飯です。

和定食650円。長者ヶ原SAの朝定よりは、小鉢の数が少ないけれど、デカ豚汁付き。
此処では以前、昼飯も食べています。
腹を満たしてから、最初のICを降りてしまいます。村田インターです。

料金所が2つしかない出口。左側の一般料金所が大渋滞で、本線まで届こうかという勢い。
右側が少し広くなったところですり抜けて、がらがらのETC出口をアウト。
出て数分走ると、村田の市街地です。
街中をちょっと流したら反対側に出てしまい、Uターンして商店街の駐車場を見つけました。

此処で自転車を展開。のんびりポタリングです。

村田の市街地は、乾坤一を覗きに来たことが一度あるだけで、のんびり観光するのは初めて。

日曜日の朝は、閉まってました。
3月の震災で、県内で大きな被害があった酒蔵の一つと言われています。

みちのく宮城の小京都と言われる村田町。

重量挙げの三宅兄弟の出身地ですね。
カメラは朝飯以外、E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6II R。ズームレンズなのに見事な写りです。

モータースポーツで有名な、スポーツランド菅生がある菅生地区は、1955年に併合されたそうです。

町内を通っている鉄道は、東北新幹線だけ、駅はひとつもありません。

ただ東北道のICがあるし、山形道との需要なジャンクションもありますから、なんとなく知られた地名ではあったりします。

伊達藩時代も、江戸から仙台と山形へ行く道の分岐点だったのですね。そこに発達した商業の街。

蔵の町並みと称するメインストリート。

ですが、建物には特に説明書きもありません。

時間も早かったせいか、観光案内所のような場所も見つかりませんが、誰にも邪魔されず、のんびり自転車で、STOP&SHOOTするにはいい街です。

ところところに立つ、街の観光地図が唯一の頼り。
結構交通量はあるので、車に注意です。

しかし、なんとか残されている土蔵たちも、今回の地震の被害が甚大です。

いくら日本の歴史が育てた建築技法といえど、1000年に一度の災害は経験して来なかったはず。

しかし壁は崩れて、全体が傾いていても、なんとか踏ん張って人や物を守り通してくれました。

想定外だらけで、何万人を何十年も避難させる昭和の施設とは、筋金が違いますね。
想定力の差でしょうか。

国や自治体の財力は限られているのでしょうが、なんとかこれ以上壊さずに、未来に遺して欲しいものです。

この日は村田町の町長と、町議会議員の選挙があったそうです。
蔵の未来は語られたのでしょうか。
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