Category: ドライブ
4ヶ月経ってやっと......まだ
7月11日。
これまで怖くて足を踏み入れられなかった津波の被災地へ、初めて車を走らせました。
仙台東部道路から、三陸道を東進、荒井から高砂、仙台港から多賀城あたり、海側は被害が大きかったのですが、高速からだとよく判りません。
もちろん路面は段差多数、仙台港北の出口手前がずっと渋滞でした。被災証明書渋滞でしょう。
そこからはほぼ平常通り、利府から松島、鳴瀬、矢本を抜け、石巻港ICで高速を降り、海沿いへ向かいました。
悲惨な新日本製紙の主力工場。それでも瓦礫はかなり片付いていました。

もっともただ自動車や瓦礫が、積み上げられているだけの空き地も多数、海沿いに並んでいます。
道路は波打ち、信号機もまだ瞳を閉じたまま。要所要所は警官が手信号で頑張っていました。
南浜町から日和大橋、魚町、人が生活しているあとがない家々が多数、重機やダンプが行き交っていました。
下の写真で、右手、電柱の向こう側が瓦礫の山です。

木の屋石巻水産のタンク、ちょうどグリーンベルトまで流されてました。

モニュメントとして残されるのかも。
国道398号線に合流して、渡波あたりまで来ると、やっと営業している商店や食堂がチラホラありました。
コンビニで弁当と飲みものゲット。
元通りに見える万石浦と、廃線のようにレールが錆びた石巻線の軌道を右に眺めながら走ります。
石巻鮎川線は通れるという話だったのですが、コバルトラインは誰も試していないみたいだったので、あえてこの日はコバルトラインへ曲がります。

カーナビには通行止めマークが出ていたのですが、難なく(と言っても路面はボコボコ)走れました。
路肩がかなり下がっている場所が多いので、中継車だと怖いかも。

女川湾を一望できる、大六天駐車場で一休み、昼食です。

10年ちょっと前、仙台に引っ越してきてすぐにドライブに来た牡鹿半島、当時驚かされた碧くて美しい海の色はそのままでした。

旧牡鹿町に入るところから先は通行止め。
東側の海岸沿いに降りていきます。
道路脇の僅かな空き地に数軒ずつ、仮設住宅がありました。
野々浜のガソリンスタンド。

海に浮かぶ漁船以外、家も作業場も民宿も何も残っていませんでした。
地盤沈下で、埠頭も水浸し。

飯子浜、ここでもタンクがなぎ倒されています。

漁具がたくさん電柱や木々に引っかかっているのが、涙を誘います。

そして小屋取浜。悲惨です。

美しい海には癒されますが、4ヶ月も経っていると言うのに、まだ道路の瓦礫が寄せられて、車が走れるようになっているだけ。

復興はおろか、復旧の手が、リアス式海岸の谷に張り付いた小さな集落まで及ぶのに、何年かかるのでしょう。

中央の金と力で、一気に大工事を行われるよりは、できるだけ地元の人と気合で、少しづつ生活できるところにしていく、それが東北の人たちには合っているように思ったりもするのですが、人生には限りがあります。
とにかく、未来をあきらめるものにさせてはいけませんね。

女川原発PRセンターの敷地内にも仮設住宅や、避難されている方々のためのシャワー設備などがぎっしり並んでいました。
震災直後から体育館も避難場所になっていました。
帰りは、女川牡鹿線、海沿いを走って女川の中心部へ、さすがに瓦礫はどこかへ運ばれて、土台だけの街になっていました。地盤沈下のせいか、マリンパルも水に浮かんでいるように見えました。
車を停めて写真を撮ることもためらわられ、万石浦から井内に抜け、やや渋滞気味の石巻市内を通って、石巻河南ICから三陸道。
この日、梅雨だけは明けました。
これまで怖くて足を踏み入れられなかった津波の被災地へ、初めて車を走らせました。
仙台東部道路から、三陸道を東進、荒井から高砂、仙台港から多賀城あたり、海側は被害が大きかったのですが、高速からだとよく判りません。
もちろん路面は段差多数、仙台港北の出口手前がずっと渋滞でした。被災証明書渋滞でしょう。
そこからはほぼ平常通り、利府から松島、鳴瀬、矢本を抜け、石巻港ICで高速を降り、海沿いへ向かいました。
悲惨な新日本製紙の主力工場。それでも瓦礫はかなり片付いていました。

もっともただ自動車や瓦礫が、積み上げられているだけの空き地も多数、海沿いに並んでいます。
道路は波打ち、信号機もまだ瞳を閉じたまま。要所要所は警官が手信号で頑張っていました。
南浜町から日和大橋、魚町、人が生活しているあとがない家々が多数、重機やダンプが行き交っていました。
下の写真で、右手、電柱の向こう側が瓦礫の山です。

木の屋石巻水産のタンク、ちょうどグリーンベルトまで流されてました。

モニュメントとして残されるのかも。
国道398号線に合流して、渡波あたりまで来ると、やっと営業している商店や食堂がチラホラありました。
コンビニで弁当と飲みものゲット。
元通りに見える万石浦と、廃線のようにレールが錆びた石巻線の軌道を右に眺めながら走ります。
石巻鮎川線は通れるという話だったのですが、コバルトラインは誰も試していないみたいだったので、あえてこの日はコバルトラインへ曲がります。

カーナビには通行止めマークが出ていたのですが、難なく(と言っても路面はボコボコ)走れました。
路肩がかなり下がっている場所が多いので、中継車だと怖いかも。

女川湾を一望できる、大六天駐車場で一休み、昼食です。

10年ちょっと前、仙台に引っ越してきてすぐにドライブに来た牡鹿半島、当時驚かされた碧くて美しい海の色はそのままでした。

旧牡鹿町に入るところから先は通行止め。
東側の海岸沿いに降りていきます。
道路脇の僅かな空き地に数軒ずつ、仮設住宅がありました。
野々浜のガソリンスタンド。

海に浮かぶ漁船以外、家も作業場も民宿も何も残っていませんでした。
地盤沈下で、埠頭も水浸し。

飯子浜、ここでもタンクがなぎ倒されています。

漁具がたくさん電柱や木々に引っかかっているのが、涙を誘います。

そして小屋取浜。悲惨です。

美しい海には癒されますが、4ヶ月も経っていると言うのに、まだ道路の瓦礫が寄せられて、車が走れるようになっているだけ。

復興はおろか、復旧の手が、リアス式海岸の谷に張り付いた小さな集落まで及ぶのに、何年かかるのでしょう。

中央の金と力で、一気に大工事を行われるよりは、できるだけ地元の人と気合で、少しづつ生活できるところにしていく、それが東北の人たちには合っているように思ったりもするのですが、人生には限りがあります。
とにかく、未来をあきらめるものにさせてはいけませんね。

女川原発PRセンターの敷地内にも仮設住宅や、避難されている方々のためのシャワー設備などがぎっしり並んでいました。
震災直後から体育館も避難場所になっていました。
帰りは、女川牡鹿線、海沿いを走って女川の中心部へ、さすがに瓦礫はどこかへ運ばれて、土台だけの街になっていました。地盤沈下のせいか、マリンパルも水に浮かんでいるように見えました。
車を停めて写真を撮ることもためらわられ、万石浦から井内に抜け、やや渋滞気味の石巻市内を通って、石巻河南ICから三陸道。
この日、梅雨だけは明けました。
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Comments
ショック
☆風写さんへ
「木の屋」はバイカー仲間の会社ですし、野野浜のガソリンスタンドも震災直前に立ち寄った所です。
あれから4ヶ月たった今このような姿を見るとショックです・・・・
半島の綺麗な小さな漁港が元の姿になるのはいつの事なのでしょうかね・・・・
「木の屋」はバイカー仲間の会社ですし、野野浜のガソリンスタンドも震災直前に立ち寄った所です。
あれから4ヶ月たった今このような姿を見るとショックです・・・・
半島の綺麗な小さな漁港が元の姿になるのはいつの事なのでしょうかね・・・・
被災地
おばんです。暑いすね。
ダメージの大きかった被災地で働いていますと
不思議なことに目も気持ちも慣れてきます。そして
たまに仙台の街中を歩くとまるで映画のセットの
ように薄っぺらく感じてしまうのです。羨ましさより
何かおかしいと。
ランボーのように平穏な社会には馴染めない心身に
なってしまったのではないかと不安です。
ダメージの大きかった被災地で働いていますと
不思議なことに目も気持ちも慣れてきます。そして
たまに仙台の街中を歩くとまるで映画のセットの
ように薄っぺらく感じてしまうのです。羨ましさより
何かおかしいと。
ランボーのように平穏な社会には馴染めない心身に
なってしまったのではないかと不安です。