Category: 昭和の香り
Man on the Silver Mountain
日曜日の朝、ロッジすがのの朝食を平らげたあとはいつも此処へ移動します。

今回は暴走族 バイク組の仲間がほとんどで、それも私の車の倍はあろうかという大排気量のビッグバイクぞろいでした。

上の台ゲレンデ下にある、喫茶シャモニー。

仙台在住のマスターご夫婦が、土日に開いているお店なのですが、震災直後はこちらへ避難し、ずっと開店してたとか。

私が何度か訪れたシャモニーの記事はこちら。

このあとバラバラに分かれ、銀山温泉を目指しました。
ビッグバイクとつるんで走れるわけはないので、ジムニーは西蔵王高原ラインを駆け下り、山形蔵王ICから、山形道、東北中央道を通って、東根からは背あぶり峠越え、一番で到着したのでした。

銀山川の両岸に大正から昭和初期にかけての建築の旅館が立ち並ぶ。多くの旅館は、建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築であり、外装には鏝絵が施されている。川には橋が多くかかり、また歩道にはガス灯が並んでいる。

銀山側下流側から温泉街を眺めた大正ロマン漂う光景は、温泉のシンボル的な風景である。この光景を守るため、町並みを保存する条例が定められている。

当地の旅館「藤屋」<倒産>で女将をつとめた藤ジニー(Jeanie Fuji, 1966年3月26日生まれの米国人、旧名ジニー・ビュー)は、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに出演するなど、メディアに出る機会も多かった(現在は離婚してアメリカへ帰国)。以上ウィキペディアから。

古山閣、11年前、まだ仙台に引っ越す前に、此処を訪れたときに宿泊した宿です。

それ以来来たことはなかったので、11年ぶり。

なんだか前よりずいぶんハイカラになっていました。

開湯は寛永年間に、かつてこの地にあった延沢銀山の工夫が銀山川の中に湧いている温泉を発見したことによる。

1689年に銀山が閉山した後は湯治場として賑わったが、1913年の大洪水により温泉街は壊滅した。その後、地元財界の力で復興し、その時に現在の温泉街の光景が作られた。

上の写真から、11年前、2000年8月撮影の作品です。藤屋の大改修前の建物が写っていますね。

カラープリントをフラットベッドスキャナーで取り込んだもの。古勢起屋。

驚くことに当時はまだ電信柱がありました。
橋に並べられたプランターたちも、どこか観光地っぽくありませんね。今より庶民的な雰囲気。

偶然同じ場所で今回撮影した(一番上の画像)作品と並べてみますね。

なんと郵便ポストが、角型から、円筒型に変わっています。
再び20世紀末の画像。

上が私が泊まった古山閣かな。下が、能登屋旅館。一番美しい建築ですね。

これも今回ほぼ同じ角度で撮ってました。再掲ですが、並べてみます。

中は改装中でしたね。
このあと今度は、奥の細道、山刀伐(なたぎり)峠を超え赤倉温泉を抜けて、国道47号線へ。再び分水嶺を通って宮城県へ戻りました。

今回は

上の台ゲレンデ下にある、喫茶シャモニー。

仙台在住のマスターご夫婦が、土日に開いているお店なのですが、震災直後はこちらへ避難し、ずっと開店してたとか。

私が何度か訪れたシャモニーの記事はこちら。

このあとバラバラに分かれ、銀山温泉を目指しました。
ビッグバイクとつるんで走れるわけはないので、ジムニーは西蔵王高原ラインを駆け下り、山形蔵王ICから、山形道、東北中央道を通って、東根からは背あぶり峠越え、一番で到着したのでした。

銀山川の両岸に大正から昭和初期にかけての建築の旅館が立ち並ぶ。多くの旅館は、建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築であり、外装には鏝絵が施されている。川には橋が多くかかり、また歩道にはガス灯が並んでいる。

銀山側下流側から温泉街を眺めた大正ロマン漂う光景は、温泉のシンボル的な風景である。この光景を守るため、町並みを保存する条例が定められている。

当地の旅館「藤屋」<倒産>で女将をつとめた藤ジニー(Jeanie Fuji, 1966年3月26日生まれの米国人、旧名ジニー・ビュー)は、公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに出演するなど、メディアに出る機会も多かった(現在は離婚してアメリカへ帰国)。以上ウィキペディアから。

古山閣、11年前、まだ仙台に引っ越す前に、此処を訪れたときに宿泊した宿です。

それ以来来たことはなかったので、11年ぶり。

なんだか前よりずいぶんハイカラになっていました。

開湯は寛永年間に、かつてこの地にあった延沢銀山の工夫が銀山川の中に湧いている温泉を発見したことによる。

1689年に銀山が閉山した後は湯治場として賑わったが、1913年の大洪水により温泉街は壊滅した。その後、地元財界の力で復興し、その時に現在の温泉街の光景が作られた。

上の写真から、11年前、2000年8月撮影の作品です。藤屋の大改修前の建物が写っていますね。

カラープリントをフラットベッドスキャナーで取り込んだもの。古勢起屋。

驚くことに当時はまだ電信柱がありました。
橋に並べられたプランターたちも、どこか観光地っぽくありませんね。今より庶民的な雰囲気。

偶然同じ場所で今回撮影した(一番上の画像)作品と並べてみますね。

なんと郵便ポストが、角型から、円筒型に変わっています。
再び20世紀末の画像。

上が私が泊まった古山閣かな。下が、能登屋旅館。一番美しい建築ですね。

これも今回ほぼ同じ角度で撮ってました。再掲ですが、並べてみます。

中は改装中でしたね。
このあと今度は、奥の細道、山刀伐(なたぎり)峠を超え赤倉温泉を抜けて、国道47号線へ。再び分水嶺を通って宮城県へ戻りました。
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Comments
kazuさんへ
いつもコメントありがとうございます。
建物のデザインについては、明治時代の県庁や郡役所と同じで、日本人が真似した西洋風のデザインというのが、正解のような気がします。機能よりもデザイン。
だから塔屋には特に機能はないかと思います。
以下を読んでみてください。
http://gs.tuad.ac.jp/tohoku-hukei/index.php?cID=23
http://www.hkd.mlit.go.jp/zigyoka/z_jigyou/toshi/houkoku/s10.pdf
ちなみに私が泊まった古山閣の風呂は屋上露天風呂でした。狭い土地のせいでしょうか。
建物のデザインについては、明治時代の県庁や郡役所と同じで、日本人が真似した西洋風のデザインというのが、正解のような気がします。機能よりもデザイン。
だから塔屋には特に機能はないかと思います。
以下を読んでみてください。
http://gs.tuad.ac.jp/tohoku-hukei/index.php?cID=23
http://www.hkd.mlit.go.jp/zigyoka/z_jigyou/toshi/houkoku/s10.pdf
ちなみに私が泊まった古山閣の風呂は屋上露天風呂でした。狭い土地のせいでしょうか。