Category: 博物芸術
大人の西遊記その6 ~ベルギーの青い空
アントウェルペンを後にして、さらに車で二時間走ると、さらに古い街に着く。

ブルージュ、オランダ語だとブルッヘかな。 欧州二日目の走行距離は、471㎞。

昨日の記事のアントウェルペンの建物と比べてほしい。

かなり低く窓の面積も狭い。

旧市街全体が世界遺産。今回の旅では早くも5ヶ所目だ。

30年以上前に一度来ているはずだが、運河でボートに乗った記憶しかない。

ただ、当時と比べるとやはり観光客の数が桁違い。

ブルージュは昔から有名な古都だったと思うので、世界中で観光する人の割合が増加したのだと思う。

とにかくまず、天気が好い。

またウィキペディアから。
ブルッヘまたはブリュッヘ、ブルグ、ブラヘなど(フラマン語(オランダ語):Brugge[ˈbrʏʝə] 発音例)、ブリュージュ(仏語:Bruges[ˈbʁyːʒ] 発音例)、ブルージュ(英語:Bruges[ˈbruːʒ] 発音例)は、ベルギー北西部、フランデレン地域の都市で、ウェスト=フランデレン州の州都。ベルギーの代表的な観光都市の一つであり、2002年には、スペインのサラマンカとともに欧州文化首都に選定された。

日本の百科事典や地名事典では「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」が用いられることが多いが、観光業などの分野では「ブルージュ」や「ブリュージュ」も多く用いられている。なお、地名の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に架かる無数の橋に因んでいる。

9世紀、初代フランドル伯のボードゥアン1世によって建てられた城塞が街の起源とされる。3代アルヌルフ1世の時代に、聖ドナティアン教会や聖サルヴァトール教会が建てられ、城塞も強化された。

12世紀に大津波が、海から10km以上も離れたブルッヘを襲った。その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィン湾とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町を作った。

津波由来の街だったのは知らなかった。

ブルッヘは北海に出る玄関口として格好な場所となり、イギリスや北欧と内陸を結ぶ交易は、13世紀になるとハンザ同盟の在外商館がおかれたほか、1277年にジェノヴァ商人が大西洋沿岸を経由してズウィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄した。

裕福になった市民は、自分たちの成功の象徴として、町の真ん中に高い塔である鐘楼を建てた。教会が社会を支配していた時代、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強いところでは市民が建てることはできなかったが、ブルッヘの市民は自分たちで市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てることで、その自立を表した。それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる。

15世紀以降、運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすようになり、運河港としても経済の中心地としてもその重要性を失って、衰退していった。

しかし、19世紀に運河が再生され、美しい水の都として再び人々を魅了するようになり、中世の面影を残した町並みが現在まで残されることとなった。同世紀末には写真が挿入された小説『死都ブリュージュ』で脚光を浴びた。

第一次世界大戦ではドイツに制圧され、近隣のゼーブルッヘ地区やオステンドにUボート基地が建設された。これらの町の港とは水路で繋がっていた事からイギリス軍の攻撃目標(ゼーブルッヘ襲撃、第1次オーステンデ襲撃)となるが、ブルッヘが直接攻撃される事は無かった。

我々が良く知らない歴史があった。

この日は何となくみなと別れ、小一時間ほど普段と同じように単独で街歩き。

そうしたら、道に迷ってしまった。

宿でもらった街の地図は持っていたのだが、ずいぶん歩いてから、その宿の場所が分からなくなってしまったのだ。

友人たちとスマホで連絡を取り合うが、どうも回線が悪い。

おそらくヨーロッパの古い街には、携帯の基地局が少ないのだろう。

あのアンテナは景観を損ねる。

この中央広場で待ち合わせ。

鐘楼が目標になった。

ウェスト=フランデレン州庁舎。

人も馬車もここに集まるのだ。

この記事を公開した翌日、33年前に訪れた時の画像を発掘した。5枚だけ追加する。





どうだろう。
これでも夜の8時。

ホテルに戻るはずだったのだが、そのまま夕メシにすることに。

仲間たちが物色したシーフードのビストロだ。

またベルギービール、夜はみんなで呑める。

全然夜じゃないけれど。

お目当てはムール貝。
玉ねぎと一緒にトマトスープで煮たやつを頼んだら、これが一人前。

タルタルソースをつけて食す。

スープまで美味かった。
小エビのサラダも注文したら、このサイズ。

奥の方も海老の揚げたやつだったかな。

白ワインも呑んで、記録によれば4人で160ユーロ。一人5000円ぐらいだった。
ホテルに戻って交代でシャワー。
WiFiはロビーに日本語マニュアルまであった。

エアコンはなかったので、窓を開けて眠るが、宿の中庭にあるテーブル席周辺が夜中まで五月蠅かった。
朝は涼しい。ベルギーに入ってスマホがキャッチする電話回線は、Orange Bに変わっていた。

食堂の前に張り出してあった天気予想。

”昨日は歴史、明日は謎、だけど今日は贈り物だ。
だからそれをプレゼントと呼ぶ。” 現在と言う意味のプレゼントとひっかけているのだった。

旅の四日目、ヨーロッパの三日目、また謎に向かって走り出した。

ブルージュ、オランダ語だとブルッヘかな。 欧州二日目の走行距離は、471㎞。

昨日の記事のアントウェルペンの建物と比べてほしい。

かなり低く窓の面積も狭い。

旧市街全体が世界遺産。今回の旅では早くも5ヶ所目だ。

30年以上前に一度来ているはずだが、運河でボートに乗った記憶しかない。

ただ、当時と比べるとやはり観光客の数が桁違い。

ブルージュは昔から有名な古都だったと思うので、世界中で観光する人の割合が増加したのだと思う。

とにかくまず、天気が好い。

またウィキペディアから。
ブルッヘまたはブリュッヘ、ブルグ、ブラヘなど(フラマン語(オランダ語):Brugge[ˈbrʏʝə] 発音例)、ブリュージュ(仏語:Bruges[ˈbʁyːʒ] 発音例)、ブルージュ(英語:Bruges[ˈbruːʒ] 発音例)は、ベルギー北西部、フランデレン地域の都市で、ウェスト=フランデレン州の州都。ベルギーの代表的な観光都市の一つであり、2002年には、スペインのサラマンカとともに欧州文化首都に選定された。

日本の百科事典や地名事典では「ブルッヘ」ないし「ブリュッヘ」が用いられることが多いが、観光業などの分野では「ブルージュ」や「ブリュージュ」も多く用いられている。なお、地名の由来は「橋」であり、市内に張り巡らされた運河に架かる無数の橋に因んでいる。

9世紀、初代フランドル伯のボードゥアン1世によって建てられた城塞が街の起源とされる。3代アルヌルフ1世の時代に、聖ドナティアン教会や聖サルヴァトール教会が建てられ、城塞も強化された。

12世紀に大津波が、海から10km以上も離れたブルッヘを襲った。その時に残された大きな溝に運河を作り、フランドル伯フィリップ・ダルザスのもとでズウィン湾とブルッヘを結ぶ水路が整備され、町中に水路を張り巡らせ、船での交易に便利な港町を作った。

津波由来の街だったのは知らなかった。

ブルッヘは北海に出る玄関口として格好な場所となり、イギリスや北欧と内陸を結ぶ交易は、13世紀になるとハンザ同盟の在外商館がおかれたほか、1277年にジェノヴァ商人が大西洋沿岸を経由してズウィン湾にまで訪れるようになり、金融・貿易の一大拠点として繁栄した。

裕福になった市民は、自分たちの成功の象徴として、町の真ん中に高い塔である鐘楼を建てた。教会が社会を支配していた時代、時を告げる鐘楼は、教会や王の権威や権力が強いところでは市民が建てることはできなかったが、ブルッヘの市民は自分たちで市場の開始の時刻を告げる鐘楼を建てることで、その自立を表した。それは資本主義社会の最初の拠点であるとされる。

15世紀以降、運河やズウィン湾に土砂が堆積して大型船舶の航行に支障を来たすようになり、運河港としても経済の中心地としてもその重要性を失って、衰退していった。

しかし、19世紀に運河が再生され、美しい水の都として再び人々を魅了するようになり、中世の面影を残した町並みが現在まで残されることとなった。同世紀末には写真が挿入された小説『死都ブリュージュ』で脚光を浴びた。

第一次世界大戦ではドイツに制圧され、近隣のゼーブルッヘ地区やオステンドにUボート基地が建設された。これらの町の港とは水路で繋がっていた事からイギリス軍の攻撃目標(ゼーブルッヘ襲撃、第1次オーステンデ襲撃)となるが、ブルッヘが直接攻撃される事は無かった。

我々が良く知らない歴史があった。

この日は何となくみなと別れ、小一時間ほど普段と同じように単独で街歩き。

そうしたら、道に迷ってしまった。

宿でもらった街の地図は持っていたのだが、ずいぶん歩いてから、その宿の場所が分からなくなってしまったのだ。

友人たちとスマホで連絡を取り合うが、どうも回線が悪い。

おそらくヨーロッパの古い街には、携帯の基地局が少ないのだろう。

あのアンテナは景観を損ねる。

この中央広場で待ち合わせ。

鐘楼が目標になった。

ウェスト=フランデレン州庁舎。

人も馬車もここに集まるのだ。

この記事を公開した翌日、33年前に訪れた時の画像を発掘した。5枚だけ追加する。





どうだろう。
これでも夜の8時。

ホテルに戻るはずだったのだが、そのまま夕メシにすることに。

仲間たちが物色したシーフードのビストロだ。

またベルギービール、夜はみんなで呑める。

全然夜じゃないけれど。

お目当てはムール貝。
玉ねぎと一緒にトマトスープで煮たやつを頼んだら、これが一人前。

タルタルソースをつけて食す。

スープまで美味かった。
小エビのサラダも注文したら、このサイズ。

奥の方も海老の揚げたやつだったかな。

白ワインも呑んで、記録によれば4人で160ユーロ。一人5000円ぐらいだった。
ホテルに戻って交代でシャワー。
WiFiはロビーに日本語マニュアルまであった。

エアコンはなかったので、窓を開けて眠るが、宿の中庭にあるテーブル席周辺が夜中まで五月蠅かった。
朝は涼しい。ベルギーに入ってスマホがキャッチする電話回線は、Orange Bに変わっていた。

食堂の前に張り出してあった天気予想。

”昨日は歴史、明日は謎、だけど今日は贈り物だ。
だからそれをプレゼントと呼ぶ。” 現在と言う意味のプレゼントとひっかけているのだった。

旅の四日目、ヨーロッパの三日目、また謎に向かって走り出した。
- 関連記事
-
- 輪廻転生か (2019/10/03)
- 四国をぐるり9~鞆の浦 (2019/09/25)
- いろいろ話題なアートフェスだけど (2019/09/09)
- 大人の西遊記その28 ~サンモリッツ (2019/08/03)
- 大人の西遊記その17 ~こちらが元祖 (2019/07/23)
- 大人の西遊記その12 ~城巡り (2019/07/18)
- 大人の西遊記その9 ~朝の巡礼 (2019/07/15)
- 大人の西遊記その6 ~ベルギーの青い空 (2019/07/12)
- 大人の西遊記その5 ~フランダースだよ (2019/07/11)
- 苦労してクローン (2019/06/14)
- 平成最後の、みちのく太り旅4 (雨の十和田) (2019/05/06)
- 月の下に太陽のサーカス (2019/04/23)
- 井戸の研究じゃないよ (2019/03/06)
- それでも故郷? (2019/02/22)
- 族 (2019/02/16)