Category: 街角探検
ダブルタイムスリップ
6月になった。退職後二か月。さすがに少し意識は変わりつつある。
今回のうどんツアーに絡めて、讃岐には来たことがあるはずだと、大昔のアルバムを発掘したら、こんな地図が。
我ながら、こういう事だけには、マメだ。

昭和と西暦が混在しているが、1977年から81年までに三度四国に来ていたことが分かった。
高松には、79年の3月と、80年12月に来ていた。就職の前後になる。

79年には丸亀や坂出、80年には屋島と四国村へも寄っていた。
1980/12/30
その時も偶然、わら家の駐車場に建つ、異人館を撮影していたが、色が異なる。
2017/5/21
もちろん四国へは船を使うしかなかった頃だが、79年には倉敷にも行っていた。旅レポは続く。
広島へ帰る大先輩に倉敷の宿まで送っていただき、まだ早い時間だったため、温泉大浴場。

ビールを呑んでひと休みして、夕方外へ。

いわゆる美観地区が目の前だった。
堀にオイカワが泳いでいる。堀じゃないのか。

一度は来たことがあるはずなのだが、ほとんど記憶がない。

大原美術館。

1979年3月12日撮影の写真。

同ポジで撮りたかったな。

大原邸。

角度が異なるが、こちらも1979年。

塀の中の植木、38年たっているのにほとんど高さが変わらない。
得意のウィキペディアによれば、倉敷美観地区(くらしきびかんちく、Kurashiki Bikan historical quarter)は、岡山県倉敷市にある町並保存地区・観光地区である。

倉敷市の美観地区景観条例に基づき定められたもので、同市本町全域、中央1丁目北部(前神町など)、東町・阿知2丁目・鶴形2丁目の各一部が含まれる。

こんな美術館もある。

広義の美観地区の面積は21.0ヘクタールで、うち伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)が15.0ヘクタール、伝統美観保存地区(第二種美観地区)が6.0ヘクタールとなっている。

伝統的建造物群保存地区(倉敷川周辺)は倉敷川畔伝統的建造物群保存地区(くらしきがわはん でんとうてきけんぞうぶつぐん ほぞんちく)の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。

倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残している。

1969年に倉敷市の条例に基づき美観地区に定められ、1979年(昭和54年)に県内2件目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
なんと伝建に指定されたのが、前回ワタシが来た年だった。

時間も中を見学するにはちょっと遅かったので、外回り巡回のみ。

古い建物を保存しつつ、店舗的には何でもあり。

上でも説明されている通り、微妙に街区によって縛りが違うようだ。

ただ、店の外観や看板のアレンジもセンスが良い。

カメラをぶら下げて歩くには最適な街だ。

看板をぶら下げているアームの意匠も、店それぞれ。

帰りが飛行機で、スーツケースもパンパンなので、買い物は控えた。

やはり西国の紫陽花は早い。

こんな街特有の、ビジネスやもてなしのアイデアも、ここから始まっているものが多いのかもしれない。

マスキングテープなんて、いつからカラフルになっていたんだろう。

高校生の時に、チロリアンテープをジーンズに縫い付けてもらったことを想い出す。

ラムネの季節だ。

ジャズ喫茶。

イタリアンレストラン?

道に出っ張って、渋滞の原因になってる、お地蔵さん。

良い感じの看板。

待ち合わせがあったので、お堀端へ戻る。

夕方になると、団体客が減るため、ぐっと静かに。

狙い目の時間かも。

アイビースクエアに行く時間が無くなった。

1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエア等も当地区を代表する建築物である。

1979年当時は、アイビースクエアとは呼ばれていなかった。

いったん先に戻っていた倉敷の友人と夕餉だ。

居食家 寿hisa 。

友人は倉敷の食は、名物が無いと語るが、ママカリがある。

子供のころは、季節にはほぼ常備魚で、嫌になるほど食べさせられたとか。

日本酒はなるべく地酒で。

半合づつ、いろいろ試す。
これが珍しい、ぜひ食えと薦められた、お年増じゃない、乙島じゃこの唐揚げ。殻ごと全部食べられるほど柔らかい。

味もシャコに似ているが、実際は別種で、ヤドカリの仲間らしい。標準和名は「アナジャコ」。
湯葉刺し。

これはメバル? アカメバルだったかな。

彼が子供の頃よく舟釣りで釣ったと話してたような。
瀬戸内海でも船に乗りたかったな。
そしてこれ、これも岡山の名物らしい、キニラの玉子とじ。黄韮と玉子は色が同じでミスマッチだ。

シャキシャキ歯応えがある、美味しい太めの韮だが、黄色である必要については不明。
食後に倉敷国際ホテルに侵入し、棟方志功の大作を見学。撮影もOKだった。

ちょっと肴が控えめだったのにはわけがある。

旭川で食べ損ねた、ドーミーインの無料夜鳴きそばを食べてみたかったのだ。
少し休憩して21:30。
超久しぶりな気がする、ラーメン。ミニだけど。

ありがたいが、ま、どうってことは無い。
ずっと”夜泣きそば”だと思っていた。
今回のうどんツアーに絡めて、讃岐には来たことがあるはずだと、大昔のアルバムを発掘したら、こんな地図が。
我ながら、こういう事だけには、マメだ。

昭和と西暦が混在しているが、1977年から81年までに三度四国に来ていたことが分かった。
高松には、79年の3月と、80年12月に来ていた。就職の前後になる。

79年には丸亀や坂出、80年には屋島と四国村へも寄っていた。

その時も偶然、わら家の駐車場に建つ、異人館を撮影していたが、色が異なる。

もちろん四国へは船を使うしかなかった頃だが、79年には倉敷にも行っていた。旅レポは続く。
広島へ帰る大先輩に倉敷の宿まで送っていただき、まだ早い時間だったため、温泉大浴場。

ビールを呑んでひと休みして、夕方外へ。

いわゆる美観地区が目の前だった。
堀にオイカワが泳いでいる。堀じゃないのか。

一度は来たことがあるはずなのだが、ほとんど記憶がない。

大原美術館。

1979年3月12日撮影の写真。

同ポジで撮りたかったな。

大原邸。

角度が異なるが、こちらも1979年。

塀の中の植木、38年たっているのにほとんど高さが変わらない。
得意のウィキペディアによれば、倉敷美観地区(くらしきびかんちく、Kurashiki Bikan historical quarter)は、岡山県倉敷市にある町並保存地区・観光地区である。

倉敷市の美観地区景観条例に基づき定められたもので、同市本町全域、中央1丁目北部(前神町など)、東町・阿知2丁目・鶴形2丁目の各一部が含まれる。

こんな美術館もある。

広義の美観地区の面積は21.0ヘクタールで、うち伝統的建造物群保存地区(第一種美観地区)が15.0ヘクタール、伝統美観保存地区(第二種美観地区)が6.0ヘクタールとなっている。

伝統的建造物群保存地区(倉敷川周辺)は倉敷川畔伝統的建造物群保存地区(くらしきがわはん でんとうてきけんぞうぶつぐん ほぞんちく)の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。

倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残している。

1969年に倉敷市の条例に基づき美観地区に定められ、1979年(昭和54年)に県内2件目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
なんと伝建に指定されたのが、前回ワタシが来た年だった。

時間も中を見学するにはちょっと遅かったので、外回り巡回のみ。

古い建物を保存しつつ、店舗的には何でもあり。

上でも説明されている通り、微妙に街区によって縛りが違うようだ。

ただ、店の外観や看板のアレンジもセンスが良い。

カメラをぶら下げて歩くには最適な街だ。

看板をぶら下げているアームの意匠も、店それぞれ。

帰りが飛行機で、スーツケースもパンパンなので、買い物は控えた。

やはり西国の紫陽花は早い。

こんな街特有の、ビジネスやもてなしのアイデアも、ここから始まっているものが多いのかもしれない。

マスキングテープなんて、いつからカラフルになっていたんだろう。

高校生の時に、チロリアンテープをジーンズに縫い付けてもらったことを想い出す。

ラムネの季節だ。

ジャズ喫茶。

イタリアンレストラン?

道に出っ張って、渋滞の原因になってる、お地蔵さん。

良い感じの看板。

待ち合わせがあったので、お堀端へ戻る。

夕方になると、団体客が減るため、ぐっと静かに。

狙い目の時間かも。

アイビースクエアに行く時間が無くなった。

1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエア等も当地区を代表する建築物である。

1979年当時は、アイビースクエアとは呼ばれていなかった。

いったん先に戻っていた倉敷の友人と夕餉だ。

居食家 寿hisa 。

友人は倉敷の食は、名物が無いと語るが、ママカリがある。

子供のころは、季節にはほぼ常備魚で、嫌になるほど食べさせられたとか。

日本酒はなるべく地酒で。

半合づつ、いろいろ試す。
これが珍しい、ぜひ食えと薦められた、お年増じゃない、乙島じゃこの唐揚げ。殻ごと全部食べられるほど柔らかい。

味もシャコに似ているが、実際は別種で、ヤドカリの仲間らしい。標準和名は「アナジャコ」。
湯葉刺し。

これはメバル? アカメバルだったかな。

彼が子供の頃よく舟釣りで釣ったと話してたような。
瀬戸内海でも船に乗りたかったな。
そしてこれ、これも岡山の名物らしい、キニラの玉子とじ。黄韮と玉子は色が同じでミスマッチだ。

シャキシャキ歯応えがある、美味しい太めの韮だが、黄色である必要については不明。
食後に倉敷国際ホテルに侵入し、棟方志功の大作を見学。撮影もOKだった。

ちょっと肴が控えめだったのにはわけがある。

旭川で食べ損ねた、ドーミーインの無料夜鳴きそばを食べてみたかったのだ。
少し休憩して21:30。
超久しぶりな気がする、ラーメン。ミニだけど。

ありがたいが、ま、どうってことは無い。
ずっと”夜泣きそば”だと思っていた。
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