Category: ロコモーション
きたかたじゃなくてほっぽう

朝、咲花温泉を後にして再び磐越西線で、さらに西へ。

新津止まりの鈍行に乗ります。40分ほどで到着。
もうすっかり新潟平野です。

此処で小一時間ぶらぶらしてると、来ました来ました。

SLばんえつ物語号です。土日の朝、新潟を出て会津若松へ。

夕方また新潟に戻ります。

ちょうど到着した金沢行(?)の特急とツーショット。

少なくとも新潟と会津若松には方向転換装置があることになりますね。

ずいぶん若い機関士さんたち。

3年前に咲花で遭遇した機関車と同じ番号でした。
結構いろんな場所・イベントにも遠征している機関車ですね。
ここ新津から今度はタクシーで移動です。
バスもあるのですが、ちょうど出たばかり。

田んぼの中、「稲架木(はさぎ)」の間を走ります。
稲を乾燥するのに使うタモの木の並木。運転士さんも子供のときには手伝ったそうです。
タモは野球のバットの原料でもありますね。

上はちょうど磐越道をくぐるところ、ガード下に乾燥の様子が描かれていました。
下は昭和の頃の稲架木の様子。

この写真が展示されているのが此処。
北方文化博物館です。ほっぽう、と読ませます。

なんとなく古民具が展示してあるだけの、黴臭い博物館と思い込み、これまで来たことがなかったのですが、大違い。

豪農の大邸宅なのでした。

明治15年から8年の歳月をかけて建てられた伊藤家の館です。

お宝もたくさん。

柱がとても少ない釣り欄間工法の大広間。京都に来たようです。

庭園も見事ですか、うまく解説ができません。

高そうな陶磁器もズラリ並んでいますが、こちらもよく判りません。


唯一判りやすく説明できそうなのは、見にくいかも知れませんがこの廊下の上に渡してある、丸桁。

会津の三島町の山林付近から、いかだで運ばれてきた長さ16間半(30m)一本の杉の丸桁だそうです。長い。

ため息が出るほど、すごい博物館です。
ただ名前が北方博物館、北海道か津軽あたりにあってもよさそうな名称が、どうも違和感を感じました。

造った人たちの茶目っ気が感じられる建物。三楽亭と言うのですが、落語ではありません。

これも写真だと非常に判りにくいと思うのですが、三角形の日本建築なんです。

移築されたと思われる古民家も数棟。

伊藤家の屋敷を見たあとではあまり興味もわきません。

なまこ壁のバス停から新潟市内に移動します。

いよいよサエモン会に合流です。
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Comments
No title
北方文化博物館、しっかりチェックしました・・ここも行ってみたいと思います。
SL C57180 こんなサイトも有りますよ
http://park7.wakwak.com/~c57180/2010.c57180menu.html
SL C57180 こんなサイトも有りますよ
http://park7.wakwak.com/~c57180/2010.c57180menu.html
No title
いやーノンビリと良い旅してまっすねえー、映像のプロの撮る写真観てると何だか叔父さんも一緒に
旅してる良い感じ!
それに付け叔父さんなんか週末変な披露宴への出席の後始末に未だ追われているんですからね、
旅してる良い感じ!
それに付け叔父さんなんか週末変な披露宴への出席の後始末に未だ追われているんですからね、
LYNX☆さんへ
少しでもツーリングの参考になれば幸いです。
どうも転車台は会津若松と新津にあるようですね。新潟にはない。
だから新津新潟間は、小牛田(にも転車台あり)仙台間のように、後ろ向きに引っ張られるか、わざわざバックして転回し再び客車と連結するものと思われます。
どうも転車台は会津若松と新津にあるようですね。新潟にはない。
だから新津新潟間は、小牛田(にも転車台あり)仙台間のように、後ろ向きに引っ張られるか、わざわざバックして転回し再び客車と連結するものと思われます。
先入観みごとに裏切られましたね
泥棒が入ったら、出口が分からなくなった、という逸話があるほど広大な屋敷です。農地解放までは弥彦神社まで、土地があったそうです。どんだけ~。
元会社の近くのDPE屋さんの店主、伊藤家の大番頭の子孫。血縁だったのか、当時の当主伊藤文吉さんに似てました。
元会社の近くのDPE屋さんの店主、伊藤家の大番頭の子孫。血縁だったのか、当時の当主伊藤文吉さんに似てました。