Category: 博物芸術
懐かしいと想う人がいなくなる
会津下郷で、県道347号線へ左折、会津西街道の旧道で会津田島へ。
旧会津南郡役所の前を通り抜けて、そのまま直進すると道は再び国道289号です。
山間の水田の中に集落が点在する会津らしいルート。
道の駅きらら289の先のドン突きを左折すると、国道401号。
直進すると桧枝岐へ向かい、尾瀬の登山口まで行けるルートですが、この日は内川で左折。
単にぐるっとだらだら走っただけになってしまいましたが、ここに到着です。

近江八幡と同じく、伝建、重要伝統的建造物群保存地区のひとつ、前沢曲家集落です。
このお蕎麦屋さんは含まれないのかな。

駐車場に車を停めて、入場料大人300円。

歩いて橋を渡ります。美しい舘岩川の谷。

昔は川沿いに集落があったらしいのですが、大火や洪水があったのかな、今残っている家々はもう少し山手です。

前日の強風で秋桜たちは、歓迎のお辞儀。

バッタリ。

水車小屋。

そのまま時代物の撮影に使えそうです。

残念ながら小雨、傘をさして歩きます。

綺麗に整備されていますね。

ガイドブックにもあまり載っていないし、ウィキペディアにも項目がない山間の集落です。

なので今回は某サイトからの無断引用。
前沢曲家集落のはじまりは、文禄年間(1592年~1595年)に、只見川流域を拝領した横田城主・山内氏勝の家臣である小勝入道沢西という人が、主人・氏勝が滅んだのちに当地に移り住んだとされ、「中世に会津武士が拓いた集落」として地元の人々に言い伝えられています。

集落は、はじめは舘岩川近くにあったといわれ、集落の前に沢(川)が流れていたことから「前沢」と呼ばれるようになりました。その後、現在の位置に移動したようです。
明治40年(1907年)に、この前沢集落が全戸消失するという大火に遭い、その後、同一の大工集団によって一時期に各戸を建築したことによって、統一的な景観が生まれました。

そして平成23年(2011年)6月、この統一的景観保護のため、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。

一部を除いて、住民が生活する家々なので、電柱が目立ちます。

曲家(まがりや)とは、その文字の通り、L字に曲がった住まいのことです。手前の突出部には、生活(農耕や運搬)に欠かせない大切な牛や馬を、そして奥の建物は人の生活空間として、牛・馬と人とが同じ家の中に暮らしていました。

農業の機械化とともに牛・馬は人々の生活から離れていきましたが、集落23戸のうち半数ちかくが曲家を維持して生活しています。(L字型の曲家ではない作りを直家(じかや)と呼びます。)

生け簀。

残したい日本の原風景です。

このセキセイインコの巣箱みたいなのは、何だろう。

きのこショップ。

静かです。

澤水。

下水。

押し売りお断り。

納税章。

焼却炉。

豆腐屋さん。

懐かしい、心に残る風景と言われますが、あと50年もしたらそんな風に想う人がいなくなりますね。

縄文時代の竪穴住居は、懐かしくないですから。

だから、棲み続けて子孫を増やしていく人が必要ですね。

唯一中に入れる、曲家資料館。

子供たちを何を感じるんだろう。

こんなところに住めませんよ! でしょうね。

薪の燃える、芳しい香りが、身体と衣服に浸み込んでいきます。

囲炉裏、好いなぁ。

気が付いたのですが、初めて7年前に来た時とほぼ同じ季節。

この季節になると、来たくなるのかな。

伝建にはその後に指定されました。

若い人には、やっぱり魅力が少ないだろうなと思う一方、

じゃぁ、自分なら住めるのかと自問自答。

美しい山里が、まだまだたくさん国中に息づいている、ニッポン。

世界に誇れる風景だとも思うのだけれど。

旧会津南郡役所の前を通り抜けて、そのまま直進すると道は再び国道289号です。
山間の水田の中に集落が点在する会津らしいルート。
道の駅きらら289の先のドン突きを左折すると、国道401号。
直進すると桧枝岐へ向かい、尾瀬の登山口まで行けるルートですが、この日は内川で左折。
単にぐるっとだらだら走っただけになってしまいましたが、ここに到着です。

近江八幡と同じく、伝建、重要伝統的建造物群保存地区のひとつ、前沢曲家集落です。
このお蕎麦屋さんは含まれないのかな。

駐車場に車を停めて、入場料大人300円。

歩いて橋を渡ります。美しい舘岩川の谷。

昔は川沿いに集落があったらしいのですが、大火や洪水があったのかな、今残っている家々はもう少し山手です。

前日の強風で秋桜たちは、歓迎のお辞儀。

バッタリ。

水車小屋。

そのまま時代物の撮影に使えそうです。

残念ながら小雨、傘をさして歩きます。

綺麗に整備されていますね。

ガイドブックにもあまり載っていないし、ウィキペディアにも項目がない山間の集落です。

なので今回は某サイトからの無断引用。
前沢曲家集落のはじまりは、文禄年間(1592年~1595年)に、只見川流域を拝領した横田城主・山内氏勝の家臣である小勝入道沢西という人が、主人・氏勝が滅んだのちに当地に移り住んだとされ、「中世に会津武士が拓いた集落」として地元の人々に言い伝えられています。

集落は、はじめは舘岩川近くにあったといわれ、集落の前に沢(川)が流れていたことから「前沢」と呼ばれるようになりました。その後、現在の位置に移動したようです。
明治40年(1907年)に、この前沢集落が全戸消失するという大火に遭い、その後、同一の大工集団によって一時期に各戸を建築したことによって、統一的な景観が生まれました。

そして平成23年(2011年)6月、この統一的景観保護のため、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。

一部を除いて、住民が生活する家々なので、電柱が目立ちます。

曲家(まがりや)とは、その文字の通り、L字に曲がった住まいのことです。手前の突出部には、生活(農耕や運搬)に欠かせない大切な牛や馬を、そして奥の建物は人の生活空間として、牛・馬と人とが同じ家の中に暮らしていました。

農業の機械化とともに牛・馬は人々の生活から離れていきましたが、集落23戸のうち半数ちかくが曲家を維持して生活しています。(L字型の曲家ではない作りを直家(じかや)と呼びます。)

生け簀。

残したい日本の原風景です。

このセキセイインコの巣箱みたいなのは、何だろう。

きのこショップ。

静かです。

澤水。

下水。

押し売りお断り。

納税章。

焼却炉。

豆腐屋さん。

懐かしい、心に残る風景と言われますが、あと50年もしたらそんな風に想う人がいなくなりますね。

縄文時代の竪穴住居は、懐かしくないですから。

だから、棲み続けて子孫を増やしていく人が必要ですね。

唯一中に入れる、曲家資料館。

子供たちを何を感じるんだろう。

こんなところに住めませんよ! でしょうね。

薪の燃える、芳しい香りが、身体と衣服に浸み込んでいきます。

囲炉裏、好いなぁ。

気が付いたのですが、初めて7年前に来た時とほぼ同じ季節。

この季節になると、来たくなるのかな。

伝建にはその後に指定されました。

若い人には、やっぱり魅力が少ないだろうなと思う一方、

じゃぁ、自分なら住めるのかと自問自答。

美しい山里が、まだまだたくさん国中に息づいている、ニッポン。

世界に誇れる風景だとも思うのだけれど。

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