Category: 昭和の香り
ロシア語のような
今朝の仙台は雨です。
梅雨入り宣言が出そうですが、あまり意味はありません。要は今日が晴れなのか雨なのかですから。
先週某日。
東北新幹線はやぶさで北へ。

ラインがヴァイオレットのH5系を期待したのですが、ピンクでした。JR東日本のE5系。
奥羽山脈側の窓側を確保しましたが、あいにくの天気。


39分で最初の停車駅、盛岡です。
昨年8月のさんさ踊りの時以来。

バスで開運橋を通り抜け、あの場所へ。

バスタ盛岡です。

ウィキによると、盛岡バスセンター(もりおかバスセンター)は、盛岡市最大のバスターミナルである。
1960年(昭和35年)開業。建物は老朽化が著しいが、センター内は昔ながらの雰囲気が漂っている。自動車ターミナル法の適用第1号施設である。

盛岡市は第二次世界大戦時の空襲による被害が比較的小さかった都市であるため古くからの狭い道路が多かったが、路線バスが会社ごとに発着所を開設していたことで次第に交通渋滞が悪化し、市民からの苦情も増えるようになった。

そこで、バス会社共通のバスターミナルを建設することになり、1959年(昭和34年)5月に盛岡市やバス会社、地元商店街が出資し株式会社盛岡バスセンターを設立した。しかし、当時としては画期的な交通センターの存在は集客面で大きな恩恵を及ぼすため、古くからある「肴町商店街(現:ホットライン肴町)」と、戦後急速に発展した「大通商店街」との間で設置場所を巡る対立が起きた。そこで盛岡市は事態収拾に乗り出し、学識経験者を加えたバスターミナル建設促進委員会が審議を行い、建設地を現在地である中ノ橋通に決定。翌1960年(昭和35年)4月に利用が開始された。建物内には洋品店や理髪店、食堂などがあり、デパートのような趣きであった。

敷地は3,000m²で開設当時は十分な広さだったが、バス路線・運行本数の増加、バスの大型化が進み、次第に狭さが際立つようになった。現在ではバスセンター構内で発着できない便が多数発生しており、「盛岡バスセンター」名義で設置された周辺のバス停が発着地点の機能を担っている。

バスセンターそのものも、長年の使用で建物の老朽化が叫ばれており、現行の建築基準法の耐震基準を満たしていないことから、2008年には市が再開発計画を発表。バスセンターを核とした複合施設に建て替えられる見通しであったが、経済情勢の悪化や東日本大震災後の建設資材高騰の影響により、建て替えの目途は立たず、2016年3月14日に盛岡バスセンターはバスターミナル事業から撤退し、2016年9月30日で閉鎖、年内に取り壊されることが発表された。

バスセンター内のレトロチックな味わいを残す雰囲気はたびたび地元メディアで取り上げられ、老若男女問わず人気は根強く「昭和レトロ」の観光資源として注目されている。

2013年に第2期盛岡市中心市街地活性化基本計画に盛り込まれ、2014年から建て替え工事を着手する予定[2]であったが、盛岡バスセンターの経営権を持つ国際興業の経営変化や建設資材の高騰により、着手の目途が立たず、2016年9月30日に閉鎖されることとなった。
閉鎖後は、周辺に停留所を設け、周辺に用足しする利用客の便を図る方向だが、バスセンターを始発地及び終点とする高速バス路線の一部は、盛岡駅東口または盛岡駅西口止まりとする方針となっている(東京駅を結ぶドリーム盛岡号と仙台市を結ぶアーバン号は、先立つ2016年7月31日の便を以て、バスセンター乗り入れを中止し、翌日からはドリーム盛岡号は盛岡駅東口止まりに、アーバン号は盛岡駅西口止まりとなる)。

バスセンターから、昼飯処を物色しながら、鉈屋町方面へ。

ここにしてみます。

ランチのうな丼1300円。

可愛らしいけど、美味しい鰻でした。
蒲焼のたれが追加可能なので、鰻を食べつくしてしまっても、うなだれライスで味わえます。

ふつうのうな重だと2500円くらいかな。
梅雨入り宣言が出そうですが、あまり意味はありません。要は今日が晴れなのか雨なのかですから。
先週某日。
東北新幹線はやぶさで北へ。

ラインがヴァイオレットのH5系を期待したのですが、ピンクでした。JR東日本のE5系。
奥羽山脈側の窓側を確保しましたが、あいにくの天気。


39分で最初の停車駅、盛岡です。
昨年8月のさんさ踊りの時以来。

バスで開運橋を通り抜け、あの場所へ。

バスタ盛岡です。

ウィキによると、盛岡バスセンター(もりおかバスセンター)は、盛岡市最大のバスターミナルである。
1960年(昭和35年)開業。建物は老朽化が著しいが、センター内は昔ながらの雰囲気が漂っている。自動車ターミナル法の適用第1号施設である。

盛岡市は第二次世界大戦時の空襲による被害が比較的小さかった都市であるため古くからの狭い道路が多かったが、路線バスが会社ごとに発着所を開設していたことで次第に交通渋滞が悪化し、市民からの苦情も増えるようになった。

そこで、バス会社共通のバスターミナルを建設することになり、1959年(昭和34年)5月に盛岡市やバス会社、地元商店街が出資し株式会社盛岡バスセンターを設立した。しかし、当時としては画期的な交通センターの存在は集客面で大きな恩恵を及ぼすため、古くからある「肴町商店街(現:ホットライン肴町)」と、戦後急速に発展した「大通商店街」との間で設置場所を巡る対立が起きた。そこで盛岡市は事態収拾に乗り出し、学識経験者を加えたバスターミナル建設促進委員会が審議を行い、建設地を現在地である中ノ橋通に決定。翌1960年(昭和35年)4月に利用が開始された。建物内には洋品店や理髪店、食堂などがあり、デパートのような趣きであった。

敷地は3,000m²で開設当時は十分な広さだったが、バス路線・運行本数の増加、バスの大型化が進み、次第に狭さが際立つようになった。現在ではバスセンター構内で発着できない便が多数発生しており、「盛岡バスセンター」名義で設置された周辺のバス停が発着地点の機能を担っている。

バスセンターそのものも、長年の使用で建物の老朽化が叫ばれており、現行の建築基準法の耐震基準を満たしていないことから、2008年には市が再開発計画を発表。バスセンターを核とした複合施設に建て替えられる見通しであったが、経済情勢の悪化や東日本大震災後の建設資材高騰の影響により、建て替えの目途は立たず、2016年3月14日に盛岡バスセンターはバスターミナル事業から撤退し、2016年9月30日で閉鎖、年内に取り壊されることが発表された。

バスセンター内のレトロチックな味わいを残す雰囲気はたびたび地元メディアで取り上げられ、老若男女問わず人気は根強く「昭和レトロ」の観光資源として注目されている。

2013年に第2期盛岡市中心市街地活性化基本計画に盛り込まれ、2014年から建て替え工事を着手する予定[2]であったが、盛岡バスセンターの経営権を持つ国際興業の経営変化や建設資材の高騰により、着手の目途が立たず、2016年9月30日に閉鎖されることとなった。
閉鎖後は、周辺に停留所を設け、周辺に用足しする利用客の便を図る方向だが、バスセンターを始発地及び終点とする高速バス路線の一部は、盛岡駅東口または盛岡駅西口止まりとする方針となっている(東京駅を結ぶドリーム盛岡号と仙台市を結ぶアーバン号は、先立つ2016年7月31日の便を以て、バスセンター乗り入れを中止し、翌日からはドリーム盛岡号は盛岡駅東口止まりに、アーバン号は盛岡駅西口止まりとなる)。

バスセンターから、昼飯処を物色しながら、鉈屋町方面へ。

ここにしてみます。

ランチのうな丼1300円。

可愛らしいけど、美味しい鰻でした。
蒲焼のたれが追加可能なので、鰻を食べつくしてしまっても、うなだれライスで味わえます。

ふつうのうな重だと2500円くらいかな。
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Comments
バスタの草分けね
風写さんへ。
今朝のNHKBS2「こころ旅」で火野正平が、盛岡バスセンター訪れてました。
私も、現役時代、確かここから宮古まで長距離バスに乗って取材に行ったことあります。
途中何もなく、随分時間がかかったなという記憶しかありません。
三陸海岸は風向明媚だったけど…
今朝のNHKBS2「こころ旅」で火野正平が、盛岡バスセンター訪れてました。
私も、現役時代、確かここから宮古まで長距離バスに乗って取材に行ったことあります。
途中何もなく、随分時間がかかったなという記憶しかありません。
三陸海岸は風向明媚だったけど…