Category: 船の旅
S・A・G・A嵯峨
さて、大高森から里浜に降りて来たのは朝8時ころ。
奥松島縄文村歴史資料館に行こうと思ってたのですが、開館は9時。
それで、これに乗ってみることにしました。

しかしこっちもやはり出港は9時でした。
しかし、松島湾の観光船と比べると、ちっさ。

長閑な浜のベンチで、缶コーヒーを飲みながらのんびり。
遊覧船の運行は5人以上が基本のようで、1時間ほどの遊覧で2000円なのですが、ひとりだと高くなっちゃうよとのこと。

9時に団体さんが来るから一緒にしなさいと、提案されました。

船長さんと話をしながら、おじいちゃんと孫二人の家族と待つこと25分、やっと大学生と思われる20人ほどのグループがわいわいガヤガヤやって来て、二艘で出港です。

曲面ガラスの映り込み、ご容赦願います。

本土と宮戸島を結ぶ、仮設橋をくぐって、太平洋へ。

船の後ろ側にデッキがあるので、そこに出て写真を撮ろうと思ってたのですが、若者たちに占領されてしまい、老人は船内から撮影です。

外海なのに、海が不思議なほど凪いでおり、小さい舟なので、手が届くほど岩々に近づくことが出来ました。

松島湾内もそうなんですが、この地域砂岩層が露出している場所が多いのですね。

波で浸食されやすい柔らかな層なんです。

うえは牡鹿半島。

砂岩の上に乗った別の岩の層が、何とか残ってる場所が、奇岩として露出しています。

これまた松島と同じく、それぞれの島には名前もついています。

そして嵯峨渓。

南北朝の騒乱の時に、都から逃げてきた後醍醐天皇の皇子、護良親王が京の嵯峨野のように美しいと語ったのが、地名の由来だそうです。

彼が隠れていたと伝えられる岩場もあります。
確か鎌倉のどこかで、護良親王が捕らわれていた土牢跡を見学した覚えがありますね。

楽しい船長さんの解説やおやじギャグに、素直に反応する女子大生たち。
へぇーーーー、きれーーーい、そうなんだぁ、すごーーーい。

賑やかです。

ウィキによると、島の東南端にある萱野崎に向かう岬は「嵯峨渓」と呼ばれている。女性的な松島湾の景観と対照的に男性的で荒々しい自然の造形美が見られる。岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ「日本三大渓」の1つである。遊歩百選にも選ばれている。

小さい舟なので、かなり狭い入り江にも入り込んでいきます。

松島海岸から出る中型の遊覧船では、遠くから眺めるだけでしょう。

自然が創り出した、摩訶不思議な造形。

これはみさご岩だったかな。オスプレーですね。

大津波で破壊されてしまった岩もあります。

逆に言えば、宮戸島が松島湾を守っているとも言えるわけです。

この日は静かな海。


美しい崖の模様。

この崖には、まるで日本列島の地図の様な模様があり、岩手の海岸あたりには、一本松もあったそうなのですが、北日本の部分が崩れ落ちてしまったそうです。

僚船。

洞窟。

シーカヤックならくぐり抜けられる穴もあります。

遊覧船では無理。

ここでも無理。

戻ります。

若者たちも帰りは大人しくなりました。

寝ている子多数。

上はカエル岩、奥の方が石巻の街です。

予報は曇りだった日曜日ですが、好天に好転しました。

大高森展望台の東やが見えます。

侵食の様子。

一時間のクルージングを楽しみました。

若者たちは、賑やかに記念撮影。

美しいところ、悲しい風景、しっかり目に焼き付けてくれたことでしょう。
奥松島縄文村歴史資料館に行こうと思ってたのですが、開館は9時。
それで、これに乗ってみることにしました。

しかしこっちもやはり出港は9時でした。
しかし、松島湾の観光船と比べると、ちっさ。

長閑な浜のベンチで、缶コーヒーを飲みながらのんびり。
遊覧船の運行は5人以上が基本のようで、1時間ほどの遊覧で2000円なのですが、ひとりだと高くなっちゃうよとのこと。

9時に団体さんが来るから一緒にしなさいと、提案されました。

船長さんと話をしながら、おじいちゃんと孫二人の家族と待つこと25分、やっと大学生と思われる20人ほどのグループがわいわいガヤガヤやって来て、二艘で出港です。

曲面ガラスの映り込み、ご容赦願います。

本土と宮戸島を結ぶ、仮設橋をくぐって、太平洋へ。

船の後ろ側にデッキがあるので、そこに出て写真を撮ろうと思ってたのですが、若者たちに占領されてしまい、老人は船内から撮影です。

外海なのに、海が不思議なほど凪いでおり、小さい舟なので、手が届くほど岩々に近づくことが出来ました。

松島湾内もそうなんですが、この地域砂岩層が露出している場所が多いのですね。

波で浸食されやすい柔らかな層なんです。

うえは牡鹿半島。

砂岩の上に乗った別の岩の層が、何とか残ってる場所が、奇岩として露出しています。

これまた松島と同じく、それぞれの島には名前もついています。

そして嵯峨渓。

南北朝の騒乱の時に、都から逃げてきた後醍醐天皇の皇子、護良親王が京の嵯峨野のように美しいと語ったのが、地名の由来だそうです。

彼が隠れていたと伝えられる岩場もあります。
確か鎌倉のどこかで、護良親王が捕らわれていた土牢跡を見学した覚えがありますね。

楽しい船長さんの解説やおやじギャグに、素直に反応する女子大生たち。
へぇーーーー、きれーーーい、そうなんだぁ、すごーーーい。

賑やかです。

ウィキによると、島の東南端にある萱野崎に向かう岬は「嵯峨渓」と呼ばれている。女性的な松島湾の景観と対照的に男性的で荒々しい自然の造形美が見られる。岩手県の猊鼻渓、大分県の耶馬渓と並ぶ「日本三大渓」の1つである。遊歩百選にも選ばれている。

小さい舟なので、かなり狭い入り江にも入り込んでいきます。

松島海岸から出る中型の遊覧船では、遠くから眺めるだけでしょう。

自然が創り出した、摩訶不思議な造形。

これはみさご岩だったかな。オスプレーですね。

大津波で破壊されてしまった岩もあります。

逆に言えば、宮戸島が松島湾を守っているとも言えるわけです。

この日は静かな海。


美しい崖の模様。

この崖には、まるで日本列島の地図の様な模様があり、岩手の海岸あたりには、一本松もあったそうなのですが、北日本の部分が崩れ落ちてしまったそうです。

僚船。

洞窟。

シーカヤックならくぐり抜けられる穴もあります。

遊覧船では無理。

ここでも無理。

戻ります。

若者たちも帰りは大人しくなりました。

寝ている子多数。

上はカエル岩、奥の方が石巻の街です。

予報は曇りだった日曜日ですが、好天に好転しました。

大高森展望台の東やが見えます。

侵食の様子。

一時間のクルージングを楽しみました。

若者たちは、賑やかに記念撮影。

美しいところ、悲しい風景、しっかり目に焼き付けてくれたことでしょう。
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