Category: 博物芸術
久しぶりの泊りドライブへ
土曜日は、年内最後の内科受診。結構混んでいました。
もらった処方箋で、薬局で薬を買います。特別に五週間分。
ずっと続いている咳は、最近テレビなどでよく見かける、咳喘息との話でしたが、まぁもう薬は必要ないとの診断。
その後ジムニーで泉中央方面へ。なでしこ皇后杯の準々決勝2試合の影響か、渋滞。
東北道泉インター手前のかつやで早めの昼めしです。

松・竹・梅、3種類のカツ丼がありました。
海老・ヒレ・メンチカツ定食、税込み853円。

豚汁もついてて、ボリューム満点。
その後、東北道に入って北上します。

天気はまぁまぁですが、横風強し。

ハンドルを取られます。

お盆に久慈や大館に行って以来でしょうか、じっくり高速道路を走るのは。
北上江釣子インターを降り、北上川や東北新幹線と交錯しながら、旧東和町土崎に向かいます。

萬鉄五郎記念美術館です。

これは、岩田鉄五郎。Google画像から引用です。

鉄五郎と言うと思い出しますよね。新潟古町には銅像もあります。
しかし萬鉄五郎の作品はあまりなく、彼と縁が深い地元の、藤根與治郎、藤原八弥と言う兄弟の作品展が開催されていました。
萬の作品は、やはり岩手県立美術館で見るべきです。
彼が子供のころ遊んだ自宅の土蔵が移築されていてギャラリーカフェになっています。

ウィキから。
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。
岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)出身。明治40年(1907年)、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。明治45年(1912年)、岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加している。萬は、その頃日本に紹介されつつあった、ポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。

特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著である。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として、萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

花巻市内へ移動して、今度は宮沢賢治イーハトーブ館。

花巻市内には、彼にちなんだ施設はいくつもあって、イギリス海岸以外には、初めて訪れるのですが、ここも彼の名前を取ったギャラリーとホールで、特に作品展示のようなものは、別の人の物しか見当たりません。
館内に掲示されていた、岩手軽便鉄道、瀬川陸橋の写真。

今はもうありません。
なんだか不完全燃焼で、宿に向かいます。
釜石自動車道のガード。

もらった処方箋で、薬局で薬を買います。特別に五週間分。
ずっと続いている咳は、最近テレビなどでよく見かける、咳喘息との話でしたが、まぁもう薬は必要ないとの診断。
その後ジムニーで泉中央方面へ。なでしこ皇后杯の準々決勝2試合の影響か、渋滞。
東北道泉インター手前のかつやで早めの昼めしです。


松・竹・梅、3種類のカツ丼がありました。
海老・ヒレ・メンチカツ定食、税込み853円。

豚汁もついてて、ボリューム満点。
その後、東北道に入って北上します。

天気はまぁまぁですが、横風強し。

ハンドルを取られます。

お盆に久慈や大館に行って以来でしょうか、じっくり高速道路を走るのは。
北上江釣子インターを降り、北上川や東北新幹線と交錯しながら、旧東和町土崎に向かいます。

萬鉄五郎記念美術館です。

これは、岩田鉄五郎。Google画像から引用です。

鉄五郎と言うと思い出しますよね。新潟古町には銅像もあります。
しかし萬鉄五郎の作品はあまりなく、彼と縁が深い地元の、藤根與治郎、藤原八弥と言う兄弟の作品展が開催されていました。
萬の作品は、やはり岩手県立美術館で見るべきです。
彼が子供のころ遊んだ自宅の土蔵が移築されていてギャラリーカフェになっています。

ウィキから。
萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1日)は大正~昭和初期の画家。
岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)出身。明治40年(1907年)、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。明治45年(1912年)、岸田劉生や高村光太郎らの結成したフュウザン会に参加している。萬は、その頃日本に紹介されつつあった、ポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴した。

特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著である。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として、萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。

花巻市内へ移動して、今度は宮沢賢治イーハトーブ館。

花巻市内には、彼にちなんだ施設はいくつもあって、イギリス海岸以外には、初めて訪れるのですが、ここも彼の名前を取ったギャラリーとホールで、特に作品展示のようなものは、別の人の物しか見当たりません。
館内に掲示されていた、岩手軽便鉄道、瀬川陸橋の写真。

今はもうありません。
なんだか不完全燃焼で、宿に向かいます。
釜石自動車道のガード。

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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術