Category: カメラ
クラシックカメラマン85
54になりました。
53は素数だったけど、54は2x3x3x3に素因数分解出来ます。
そんな今日、紹介するのは、カメラ史上最高峰のレンジファインダーと言われる、このカメラです。
by A-1
Nikon SP。
1917年に日本光学を興したのは、三菱の岩崎小彌太。
土佐の岩崎彌太郎の弟である彌之助の子です。三菱人物列伝はこちら。
そのニコン最初のレンジファインダーカメラ、Ⅰ型が発売されたのは、1948年。ライカはⅢcが主力だった時代です。
Nikon Sが1951年、ライカのⅢfの発売と同じ年。
ニコンのレンズマウントは、ライカとは異なるのですが、この時期、ライカ用と言うか、キヤノン用と言うか、M39スクリュウマウントレンズも生産していて、いや違います、ニコンは元々レンズメーカーだから、レンズ生産が主で、カメラは後から追いてきたんですね。
そのレンズが朝鮮戦争で報道カメラマンにライカⅢfと共に使われて、アメリカで絶賛されたのが、ニコンの名声のスタートだったのです。
by GX100
その後、あのM3が発表された1954年にニコンS2を出し、その二年後、1957年にM3に真っ向勝負を挑んだのが、このSPなんです。

レンズマウントは、Contax Ⅱ/Ⅲの模倣で、フランジバックが異なるだけなんですが、同じように人差し指でギアを回せば、ピントの調整が可能です。

そしてこの大きな窓を持ったファインダー。ライカが昔ながらの丸型ヘッドライトの車だとしたら、SPは最新型の異型ヘッドライト車のようです。
夫婦ファインダーと呼ばれるタンデム型なんです。

バルナックライカもファインダー覗き窓が二つありましたが、あれは距離計専用と、ファインダーの二つでした。
ニコンSPでは、広角用とそれ以外用が並んでいるのです。左が28/35mm用。

そして右が、50/85/105/135mm用なんです。上部に付いているノブでフレームを切り替えるのですが、望遠側に回して行くと次々新しいフレームが内側に出てくるだけで、それ以外のフレームは出たまま、実に賑やかです。

6本のレンズを、外付けファインダー無しで使えるんですね。
右側のみパララックス補正します。
裏蓋は完全取り外し式。

若干モルトプレーンの遮光スポンジが外れて垂れてしまっていますが、SPのフォーカルプレーンシャッターは、前期が静かな布幕、後期がやや派手な音がするチタン幕で、これは恐らく1962年頃の製造、チタン幕の方です。

シャッター音については、人の好みはそれぞれ。とにかく正確に働いてくれれば良いですね。
SPとS2の2ショット。
by A-1
同じレンズマウント用とは思えない、5cmと3.5cmレンズ。
by GX100
いわゆる内爪と外爪があり、5cmは内爪式。美しいレンズでしょう。

3.5cmは外爪式です。

戦後日本の技術の粋を集めた、機械的にも、光学的にも、そして産業デザイン的にも、実に素晴らしい逸品、1958年のブリュッセル万博でグランプリを受賞しています。

ニコンはこの後、1959年に、一眼レフのNikon Fを発売、世界を席巻します。

ただ恐らくこの時代、ニコンはプロ用のカメラとして、どちらも真剣にSPとFを開発し販売したのでしょう。
時代が選んだのは、距離計連動式ではなく一眼レフでした。
1964年の東京五輪では、世界中から来たカメラマンたちが、Nikon Fと望遠レンズの砲列を展開したそうなんですが、どちらに転んでも良い備えをニコンは用意したいたとも言えます。
53は素数だったけど、54は2x3x3x3に素因数分解出来ます。
そんな今日、紹介するのは、カメラ史上最高峰のレンジファインダーと言われる、このカメラです。

Nikon SP。
1917年に日本光学を興したのは、三菱の岩崎小彌太。
土佐の岩崎彌太郎の弟である彌之助の子です。三菱人物列伝はこちら。
そのニコン最初のレンジファインダーカメラ、Ⅰ型が発売されたのは、1948年。ライカはⅢcが主力だった時代です。
Nikon Sが1951年、ライカのⅢfの発売と同じ年。
ニコンのレンズマウントは、ライカとは異なるのですが、この時期、ライカ用と言うか、キヤノン用と言うか、M39スクリュウマウントレンズも生産していて、いや違います、ニコンは元々レンズメーカーだから、レンズ生産が主で、カメラは後から追いてきたんですね。
そのレンズが朝鮮戦争で報道カメラマンにライカⅢfと共に使われて、アメリカで絶賛されたのが、ニコンの名声のスタートだったのです。

その後、あのM3が発表された1954年にニコンS2を出し、その二年後、1957年にM3に真っ向勝負を挑んだのが、このSPなんです。

レンズマウントは、Contax Ⅱ/Ⅲの模倣で、フランジバックが異なるだけなんですが、同じように人差し指でギアを回せば、ピントの調整が可能です。

そしてこの大きな窓を持ったファインダー。ライカが昔ながらの丸型ヘッドライトの車だとしたら、SPは最新型の異型ヘッドライト車のようです。
夫婦ファインダーと呼ばれるタンデム型なんです。

バルナックライカもファインダー覗き窓が二つありましたが、あれは距離計専用と、ファインダーの二つでした。
ニコンSPでは、広角用とそれ以外用が並んでいるのです。左が28/35mm用。

そして右が、50/85/105/135mm用なんです。上部に付いているノブでフレームを切り替えるのですが、望遠側に回して行くと次々新しいフレームが内側に出てくるだけで、それ以外のフレームは出たまま、実に賑やかです。

6本のレンズを、外付けファインダー無しで使えるんですね。
右側のみパララックス補正します。
裏蓋は完全取り外し式。

若干モルトプレーンの遮光スポンジが外れて垂れてしまっていますが、SPのフォーカルプレーンシャッターは、前期が静かな布幕、後期がやや派手な音がするチタン幕で、これは恐らく1962年頃の製造、チタン幕の方です。

シャッター音については、人の好みはそれぞれ。とにかく正確に働いてくれれば良いですね。
SPとS2の2ショット。

同じレンズマウント用とは思えない、5cmと3.5cmレンズ。

いわゆる内爪と外爪があり、5cmは内爪式。美しいレンズでしょう。

3.5cmは外爪式です。

戦後日本の技術の粋を集めた、機械的にも、光学的にも、そして産業デザイン的にも、実に素晴らしい逸品、1958年のブリュッセル万博でグランプリを受賞しています。

ニコンはこの後、1959年に、一眼レフのNikon Fを発売、世界を席巻します。

ただ恐らくこの時代、ニコンはプロ用のカメラとして、どちらも真剣にSPとFを開発し販売したのでしょう。
時代が選んだのは、距離計連動式ではなく一眼レフでした。
1964年の東京五輪では、世界中から来たカメラマンたちが、Nikon Fと望遠レンズの砲列を展開したそうなんですが、どちらに転んでも良い備えをニコンは用意したいたとも言えます。
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Comments
No title
健作、いや、検索から来ました。
SPのファインダーは、こうなんですねー。良いものを見ました。
重量税を信じてしまいました。全てが電気自動車というか、電子制御になり、電脳につながる事が必須になったら怖いなぁ~。
ある朝、クルマがスタートしないのでロードサービスを呼ぶと、『お客さん、税金未納の支払期限切れですよ』
差し支えなれば、リンクさせてください。
SPのファインダーは、こうなんですねー。良いものを見ました。
重量税を信じてしまいました。全てが電気自動車というか、電子制御になり、電脳につながる事が必須になったら怖いなぁ~。
ある朝、クルマがスタートしないのでロードサービスを呼ぶと、『お客さん、税金未納の支払期限切れですよ』
差し支えなれば、リンクさせてください。