Category: 神社仏閣教会
浜通りの浄土
あの日からちょうど50年ですか。長かったような短かったような。
ノーベル文学賞、今年も村上春樹じゃなかったですね。
ま、もっとたくさん書いてもらって、年取ってから貰えれば良いようにも思いますけど。
いわきの朝。
天気は曇りでした。
早速向かったのは此処。

初めて来た時は、年末年始で休業中。
二度目は、閉店後。入場できるのが朝8時半から3:45PM(冬場は3:15)までなんですね、なぜか。

願成寺白水阿弥陀堂。

東北地方では数少ない、国宝の建造物です。
またまたウィキから。

白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)は、福島県いわき市にある真言宗智山派の寺である。
平安時代末期の建築で、県内唯一の国宝建築物に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。また、その領域は白水阿彌陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。

白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年(永暦元年)に、岩城則道の妻・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した。

阿弥陀堂は方三間の単層宝形造で屋根は柿葺。堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅かな面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。

東北地方に現存する平安時代の建築は、岩手県平泉町の中尊寺金色堂、宮城県角田市の高蔵寺阿弥陀堂、当堂の3ヶ所のみである。

阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。

実際に「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、岩城氏の本拠地であった平という地名の由来も平泉の「平」を取った物だという説がある。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されたが、2012年7月に修復が終わり再開された。また、同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像が京都に送られ修復作業が行われた。

本当に毛越寺の雰囲気にそっくりです。

とても清々しい気持ちになれる場所、池の周囲を回るだけなら入場料か不要なので、ウォーキングに勤しむ方多数です。
ノーベル文学賞、今年も村上春樹じゃなかったですね。
ま、もっとたくさん書いてもらって、年取ってから貰えれば良いようにも思いますけど。
いわきの朝。
天気は曇りでした。
早速向かったのは此処。

初めて来た時は、年末年始で休業中。
二度目は、閉店後。入場できるのが朝8時半から3:45PM(冬場は3:15)までなんですね、なぜか。

願成寺白水阿弥陀堂。

東北地方では数少ない、国宝の建造物です。
またまたウィキから。

白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)は、福島県いわき市にある真言宗智山派の寺である。
平安時代末期の建築で、県内唯一の国宝建築物に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。また、その領域は白水阿彌陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。

白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年(永暦元年)に、岩城則道の妻・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した。

阿弥陀堂は方三間の単層宝形造で屋根は柿葺。堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅かな面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。

東北地方に現存する平安時代の建築は、岩手県平泉町の中尊寺金色堂、宮城県角田市の高蔵寺阿弥陀堂、当堂の3ヶ所のみである。

阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。

実際に「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、岩城氏の本拠地であった平という地名の由来も平泉の「平」を取った物だという説がある。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されたが、2012年7月に修復が終わり再開された。また、同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像が京都に送られ修復作業が行われた。

本当に毛越寺の雰囲気にそっくりです。

とても清々しい気持ちになれる場所、池の周囲を回るだけなら入場料か不要なので、ウォーキングに勤しむ方多数です。
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