風写の黙示録

No Camera No Life. No Wind No Power. 時間に追われず、のんびり気ままに暮らしたい。 晴れてる方へツーリング、雨が降ったら過去への旅。 貴方のコメントを楽しみに、書き綴っています。 

Category: 博物芸術

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最古のタイドアーチ橋

 毎週のように、今シーズン一番の冷え込みと言う言葉が聞こえてくる今日此の頃。
 本当に嫌になります。
 ほとんど部屋に籠りきりだった連休、暖房費が嵩みます。春よ来い!!

 A帯のワイヤレスマイクの周波数が移行するので、バタバタしていますが、清洲橋の次に向かったのは、永代橋。

 こちらも国の重文です。隅田川大橋から。

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 背景は、佃島の大川端リバーシティ。

 永代橋が架橋されたのは、元禄11年(1698年)8月であり、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝したもので、現在の位置よりも100m程上流、(西岸中央区日本橋箱崎町、東岸江東区佐賀一丁目付近)当時大渡し(深川の渡し)のあった場所である。隅田川で四番目に作られた橋。

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 「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説(「永代島」は「永代橋」から採られたとする)がある。

 こちらは近くの日本橋川の合流点にかかる、豊海橋。昭和2年築造のフィーンデール橋。

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 永代橋の架橋を行ったのは関東郡代の伊奈忠順。上野寛永寺根本中堂造営の際の余材を使ったとされる。長さ110間(約200m)、幅3間余(約6m)、また隅田川で最も下流で、江戸湊の外港に近く船手番所が近くにあり、多数の廻船が通過するために橋脚は満潮時でも3m以上あり、当時としては最大規模の大橋であった。

永代橋2

 橋上からは「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと記録(『武江図説』)に残る。

永代橋3

 元禄15年(1702年)12月の赤穂浪士の吉良上野介屋敷(所在地は現墨田区両国)への討ち入りでは、討ち入り後に上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったという。

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 幕府財政が窮地に立った享保4年(1719年)に、幕府は永代橋の維持管理をあきらめ、廃橋を決めるが、町民衆の嘆願により、橋梁維持に伴う諸経費を町方が全て負担することを条件に存続を許された。通行料を取り、また橋詰にて市場を開くなどして維持に務めたが、文化4年8月19日 (旧暦)(1807年9月20日)、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こす。

 橋の中央部よりやや東側の部分で数間ほどが崩れ落ち、後ろから群衆が次々と押し寄せては転落し、死者・行方不明者は実に1400人を超え、史上最悪の落橋事故と言われている。この事故について、大田南畝が狂歌を書き残している。

永代橋落橋

 永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼

 なお古典落語の「永代橋」という噺も、この落橋事故を元にしている。南町奉行組同心の渡辺小佐衛門が、刀を振るって群集を制止させたという逸話も残っている。曲亭馬琴は「兎園小説」に「前に進みしものの、橋おちたりと叫ぶをもきかで、せんかたなかりしに、一個の武士あり、刀を引抜きてさし上げつつうち振りしかば、人みなおそれてやうやく後へ戻りしとぞ」と書いている。

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 事故後、橋の維持の重要性に気づいた幕府により再架橋されるが、維新を迎えるころには相当痛んでいたようで明治30年(1897年)、道路橋としては日本初の鉄橋として、鋼鉄製のトラス橋が現在の場所に架橋された。明治37年には東京市電による路面電車も敷設された(昭和47年11月に廃止)。

永代橋4

 しかし、橋底には木材を使用していたため、関東大震災の時には多数の避難民とともに炎上し、多くの焼死者、溺死者を出した。その後、大正15年に震災復興事業の第一号として現在の橋が再架橋された。

永代橋

 「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われたこの橋は、ドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100mを超えた橋でもある。

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 各地に似た橋はありますが、この橋が最古。

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 映画やドラマ、CMにもよく出てくるような気がします。

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 愚か者が登らないように。

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 隅田川大橋とスカイツリー。

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 観光客はなし。

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 大正15年と、平成24年製。

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 行き交う水上バス。左奥は相生橋

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 乗ってみないと。

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 素晴らしい幾何学模様。

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 光と陰。

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 美しくセクシィなカーブです。

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 しかし、毎日、いい天気でした。正月の東京。

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 見応えがある橋でした。

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 次は日本橋に向かいます。

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 長閑な正月。

   
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Author:風写
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苦手なものは、人混み、行列、会議、出会い、初対面、対面販売、電話、girl's talk、職員室、甘いもの。
人前で話すこと、満員電車は真っ平御免。

癒されるものは、風に立ち向かう風力発電機、ごめんね青春!の中井さんと蜂矢先生、暖炉の炎、ミーアキャット、困った顔の石田ゆり子、喜多方宮古の刺身こんにゃく、越中八尾の風の盆、井上あさひアナの微笑み、あん肝、クラシックカメラの手触りとシャッター音、新垣結衣のすっぴん、生シロエビ、ピンクフロイド、ひたすらアクセルオンで登り続けられる峠道、ずっと下り坂だけのサイクリング、いきものがかり、掘りたての筍刺し、首を傾げた麻生久美子、時間が止まったような日だまり、サイモンとガーファンクル、大町へそのをの煮込、美術館の静けさ、博物館のかび臭さ、手嶌葵のハスキーヴォイス、薪の燃える香り、湯葉刺し、タレントもクイズも無しのドキュメンタリー番組、カエデの若葉、硫黄温泉、青空、街灯、水門、消火栓、冷えた純米酒、旬のサンマ刺、姫神、カワセミのダイビング、街独特のマンホール、わっぱ飯、桑子真帆アナの突込み、Across the Universe、イワトビペンギン、お寺の鐘、碧い海と砂浜、水を張ったばかりの棚田、QueenⅡのBlack Side、アジのたたき、レイラ後半のデュアンオールマンのスライドギター、小梅蕙草、アルトビール、ブリーカーストリートの青春、ヤマユリ、パリパリの餃子、原田知世の「ふう」、広くて静かな板の間、街角の向こうから聞こえてくる定禅寺ストリートジャズフェスティバルの演奏………〆のラーメン

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