Category: 街角探検
宴会は夕方
月島でもんじゃを食べたあと、佃島にやって来ました。

昔から知る地名ですが、多分来るのは初めて。
住吉神社。石蔵がありました。

ウィキに依れば、徳川家康が関東へ下降する折の1590年8月30日(天正18年8月1日)、摂津国佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り、1645年に元々あった名前のない砂州に百間四方の土砂を埋め立てて拡張し、築島して定住することとなり、この島を故郷にちなんで「佃嶋」と命名した。

葛飾北斎『冨嶽三十六景』の内「武陽佃嶌」
古地図には「田」の字の島が描かれ、現在の地図においても同様の形状が佃一丁目の一部に確認できる。

日本のヴェネッツィアですね。

昔ながらの街のそばに小さなマリーナ。その向こうは、大川端リバーシティ。

津波が来た時、マンションは大丈夫なんでしょうけど、複雑な場所です。

こんな神社がありました。波除稲荷。

もちろん佃煮屋さんもあったりします。
ここはスパニッシュレストラン。

正月準備で忙しそうな街でした。

何度も書きますが、津波の避難場所、表示すらありませんでした。

いったん部屋に戻り小休止。
夕方、再び歩き出します。
勝鬨橋をわたって、築地へ。築地本願寺です。

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。

築地も人が作った土地なのでした。
まるでモンサンミシェル。

現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。

不思議な雰囲気の寺院でした。
そして歌舞伎座。最近建てなおされたんですよね、確か。

華やかです。
そしてその近くの中古カメラ屋さん。少し移動してました。

その三軒並びが、この夕方4時の集合場所。

仙台からこっちに転勤してた、おおさんが常連のお店なのでした。

年末なので、おまかせコース。

料理にあったお酒が次から次と出てくる、北の峰方式。
そう言えば、おおさんと初めて呑んだのも、北の峰だったかも。

クエの鍋です。カニや牡蠣、白子も入ってます。

お造りもクエ。

偶然出してくれた阿部勘 純米吟醸生酒 福露搾りと、怖くて名前を聞けなかった立派な海老。

ふぐの唐揚げ。

堪能しました。

おおさんが新潟に帰る時間が迫り、早めに撤収。

私は散歩、夜の部です。

お江戸の銀杏はまだ葉っぱが落ちていません。

昔から知る地名ですが、多分来るのは初めて。
住吉神社。石蔵がありました。

ウィキに依れば、徳川家康が関東へ下降する折の1590年8月30日(天正18年8月1日)、摂津国佃村(現在の大阪府大阪市西淀川区佃)の漁夫33人が江戸に移り、1645年に元々あった名前のない砂州に百間四方の土砂を埋め立てて拡張し、築島して定住することとなり、この島を故郷にちなんで「佃嶋」と命名した。

葛飾北斎『冨嶽三十六景』の内「武陽佃嶌」
古地図には「田」の字の島が描かれ、現在の地図においても同様の形状が佃一丁目の一部に確認できる。

日本のヴェネッツィアですね。

昔ながらの街のそばに小さなマリーナ。その向こうは、大川端リバーシティ。

津波が来た時、マンションは大丈夫なんでしょうけど、複雑な場所です。

こんな神社がありました。波除稲荷。

もちろん佃煮屋さんもあったりします。
ここはスパニッシュレストラン。

正月準備で忙しそうな街でした。

何度も書きますが、津波の避難場所、表示すらありませんでした。

いったん部屋に戻り小休止。
夕方、再び歩き出します。
勝鬨橋をわたって、築地へ。築地本願寺です。

築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。

築地も人が作った土地なのでした。
まるでモンサンミシェル。

現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。

不思議な雰囲気の寺院でした。
そして歌舞伎座。最近建てなおされたんですよね、確か。

華やかです。
そしてその近くの中古カメラ屋さん。少し移動してました。

その三軒並びが、この夕方4時の集合場所。

仙台からこっちに転勤してた、おおさんが常連のお店なのでした。

年末なので、おまかせコース。

料理にあったお酒が次から次と出てくる、北の峰方式。
そう言えば、おおさんと初めて呑んだのも、北の峰だったかも。

クエの鍋です。カニや牡蠣、白子も入ってます。

お造りもクエ。

偶然出してくれた阿部勘 純米吟醸生酒 福露搾りと、怖くて名前を聞けなかった立派な海老。

ふぐの唐揚げ。

堪能しました。

おおさんが新潟に帰る時間が迫り、早めに撤収。

私は散歩、夜の部です。

お江戸の銀杏はまだ葉っぱが落ちていません。
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