Category: 街角探検
ここも駐車場か?
10月になりました。1日は都民の日ですね。
衣替え。
近所の広瀬町にあった太白飴本舗。これは8月30日です。

以前の記事で紹介した通り、築130年の兵藤飴老舗が取り壊されることになりました。
ついに9月12日、解体工事が始まっていました。

既に太白飴本舗の看板は外されています。
南側の駐車場にユンボが入り、壊していくようでした。

あっという間に無くなりそう。

商家と言えども、一般のかたのおうち、遠慮しつつ眺めさせていただきました。

9月13日、意外とゆっくり、工事が進んでいます。

作業員の会話は、関西弁でした。

9月15日。

表側は裏通りですが、結構交通量が多いので、防塵幕が張られていました。

9月22日。

9月26日。

角っこにあった立派な庭木も伐採されていました。
そして9月29日。

すべて更地に。

太白飴本舗 兵藤飴老舗 2012年7月31日(火)閉店(開店閉店サイトから引用)
仙台市で唯一のあめ専門店「兵藤飴(あめ)老舗」(青葉区広瀬町)が7月末で閉店し、128年の歴史に幕を閉じた。老夫婦が二人三脚で切り盛りしてきたが、震災で店舗が半壊。後継者はなく、体調の心配もあって店を畳むことにした。すべて手作りの看板商品「太白飴」をはじめ、昔ながらの優しい味を惜しむ声が上がりそうだ。
■老夫婦で切り盛り
創業は明治17年(1884年)。4代目店主の兵藤嘉夫さん(71)は「閉店は残念だけど、いつかこういう日が来るんだな、とは思っていた。震災で少し決断が早まっただけ」と話す。店番などを担当する妻の〆(しめ)子さん(73)が今春、体調を崩して2か月ほど入院。嘉夫さんも4、5年前から30キロの砂糖の袋を引きずるようにして運ぶようになっていた。
創業時からの建物は、4枚のガラス戸に、陳列ケースが並ぶ昔ながらの店構え。戦争の空襲にも耐えてきたが、震災の揺れで壁が沈下し、あめ作りの作業台や機械が傾いた。
■太白飴
売れ筋の太白飴は、蒸したモチ米に麦芽を混ぜて作った自家製の水あめが原料。砂糖を加えない自然な甘みと、軟らかい口どけが特徴だった。最盛期だった戦後の高度成長期には、しょうゆやニッキも含め15種類程度が店頭に並び、自転車で市内全域に宅配もした。近くの大崎八幡宮のどんと祭の夜は参拝客がひっきりなしに訪れ、午前3時頃まで営業する習わしだった。「あの頃は甘い物といえば、あめ。作れば作るほど売れた」と嘉夫さんは懐かしむ。
1999年に81歳で死去した先代の父、巳三郎さんは頑固な職人肌で、あめ作りのことは息子に何一つ教えず、見よう見まねで覚えさせた。晩年、「お前の代で店は終わりにしろ。これ以上やっても無理だぞ」と言われた言葉が強く印象に残っているという。あめ一筋の店は40年ほど前まで市内に20店近くあったが、徐々に閉店するなどして兵藤飴老舗が最後になっていた。
■「技術消えてしまう」
「ふわっとした独特の口どけと甘さを生む技術が消えてしまうのは寂しいですね」と嘉夫さん。建物は今月下旬にも解体が始まり、夫婦は近所のマンションに引っ越す予定だ
衣替え。
近所の広瀬町にあった太白飴本舗。これは8月30日です。

以前の記事で紹介した通り、築130年の兵藤飴老舗が取り壊されることになりました。
ついに9月12日、解体工事が始まっていました。

既に太白飴本舗の看板は外されています。
南側の駐車場にユンボが入り、壊していくようでした。

あっという間に無くなりそう。

商家と言えども、一般のかたのおうち、遠慮しつつ眺めさせていただきました。

9月13日、意外とゆっくり、工事が進んでいます。

作業員の会話は、関西弁でした。

9月15日。

表側は裏通りですが、結構交通量が多いので、防塵幕が張られていました。

9月22日。

9月26日。

角っこにあった立派な庭木も伐採されていました。
そして9月29日。

すべて更地に。

太白飴本舗 兵藤飴老舗 2012年7月31日(火)閉店(開店閉店サイトから引用)
仙台市で唯一のあめ専門店「兵藤飴(あめ)老舗」(青葉区広瀬町)が7月末で閉店し、128年の歴史に幕を閉じた。老夫婦が二人三脚で切り盛りしてきたが、震災で店舗が半壊。後継者はなく、体調の心配もあって店を畳むことにした。すべて手作りの看板商品「太白飴」をはじめ、昔ながらの優しい味を惜しむ声が上がりそうだ。
■老夫婦で切り盛り
創業は明治17年(1884年)。4代目店主の兵藤嘉夫さん(71)は「閉店は残念だけど、いつかこういう日が来るんだな、とは思っていた。震災で少し決断が早まっただけ」と話す。店番などを担当する妻の〆(しめ)子さん(73)が今春、体調を崩して2か月ほど入院。嘉夫さんも4、5年前から30キロの砂糖の袋を引きずるようにして運ぶようになっていた。
創業時からの建物は、4枚のガラス戸に、陳列ケースが並ぶ昔ながらの店構え。戦争の空襲にも耐えてきたが、震災の揺れで壁が沈下し、あめ作りの作業台や機械が傾いた。
■太白飴
売れ筋の太白飴は、蒸したモチ米に麦芽を混ぜて作った自家製の水あめが原料。砂糖を加えない自然な甘みと、軟らかい口どけが特徴だった。最盛期だった戦後の高度成長期には、しょうゆやニッキも含め15種類程度が店頭に並び、自転車で市内全域に宅配もした。近くの大崎八幡宮のどんと祭の夜は参拝客がひっきりなしに訪れ、午前3時頃まで営業する習わしだった。「あの頃は甘い物といえば、あめ。作れば作るほど売れた」と嘉夫さんは懐かしむ。
1999年に81歳で死去した先代の父、巳三郎さんは頑固な職人肌で、あめ作りのことは息子に何一つ教えず、見よう見まねで覚えさせた。晩年、「お前の代で店は終わりにしろ。これ以上やっても無理だぞ」と言われた言葉が強く印象に残っているという。あめ一筋の店は40年ほど前まで市内に20店近くあったが、徐々に閉店するなどして兵藤飴老舗が最後になっていた。
■「技術消えてしまう」
「ふわっとした独特の口どけと甘さを生む技術が消えてしまうのは寂しいですね」と嘉夫さん。建物は今月下旬にも解体が始まり、夫婦は近所のマンションに引っ越す予定だ
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