Category: 博物芸術
會津平の端っこまで
2ヶ月前に不具合が出て、テンプレートを一時的に別のものにしていましたが、「今日のナカツリ」ブログパーツを削除するついでに、やっと元に戻しました。ただまだフォントサイズ等、デフォルトのままです。少し小さい。
のんびり戻していきますので、温かく見守ってください。
承前。
ホテルをチェックアウトして、喜多方の町内から北北西の方向へ。今は通行止めですが、1984年に大峠の大トンネルが出来るまでは、會津と米沢を結んでいた、国道121号線の旧道です。

黄金の稲穂と、花満開の蕎麦畑が並ぶ、北會津の穀倉地帯。

喜多方の市街地から数キロ離れた、たった5軒しかない、小さな集落に、こんな建物があるんです。

南国に来たみたい。

岩月町三津谷の煉瓦蔵です。

大正5年建造の三階蔵。

左奥が、明治43年完成の、農作業蔵。

これは蔵というより、西洋建築ですね。

そして、大正10年建造の、味噌蔵。

1906(明治39)年頃に磐越西線工事用のレンガ工場が近くにできたのがきっかけで、ドイツ人鉱山技師によって設計されたそうなんです。
つまり煉瓦も地場産。

美しい建築です。

上の三階蔵の右側にある、座敷蔵は中に入れてもらえました。

何やらいろんなお宝。

煉瓦蔵は、會津の農家が、どれだけの財力を持っていたかの証明ですね。
農作業蔵の中では、米や野菜が売られていました。

秋桜と向日葵。

百日紅と未確認飛行動物。

こんな煉瓦蔵もありました。

此処のラーメンも美味そうです。

再び蕎麦畑。

仙台の名店でも、會津の蕎麦を使っている店はありますね。

だけど、喜多方には、あまり蕎麦屋はないようです。
この日は更に旧国道を北上します。そうすると、またまた、蔵の集落。

会津盆地の北の端、杉山集落です。

此処の蔵は屋根が二重です。しかも兜型。かっこいい。

村田の蔵とは異なり、多くが縦というか、妻側が道路向きに、誇らしげに建てられています。
これは横向きですが、なんとも立派な防火扉。

物を守るために蔵を作り、蔵を守るために屋根を二重にし、更にその両方を守るために、蔵を家の中にすっぽり入れてしまったのが、増田の内蔵なのかも知れませんね。

會津恐るべし、です。

ちょっと変わった制限速度標識のある道を、再び喜多方市内方向へ戻りました。

のんびり戻していきますので、温かく見守ってください。
承前。
ホテルをチェックアウトして、喜多方の町内から北北西の方向へ。今は通行止めですが、1984年に大峠の大トンネルが出来るまでは、會津と米沢を結んでいた、国道121号線の旧道です。

黄金の稲穂と、花満開の蕎麦畑が並ぶ、北會津の穀倉地帯。

喜多方の市街地から数キロ離れた、たった5軒しかない、小さな集落に、こんな建物があるんです。

南国に来たみたい。

岩月町三津谷の煉瓦蔵です。

大正5年建造の三階蔵。

左奥が、明治43年完成の、農作業蔵。

これは蔵というより、西洋建築ですね。

そして、大正10年建造の、味噌蔵。

1906(明治39)年頃に磐越西線工事用のレンガ工場が近くにできたのがきっかけで、ドイツ人鉱山技師によって設計されたそうなんです。
つまり煉瓦も地場産。

美しい建築です。

上の三階蔵の右側にある、座敷蔵は中に入れてもらえました。

何やらいろんなお宝。

煉瓦蔵は、會津の農家が、どれだけの財力を持っていたかの証明ですね。
農作業蔵の中では、米や野菜が売られていました。

秋桜と向日葵。

百日紅と未確認飛行動物。

こんな煉瓦蔵もありました。

此処のラーメンも美味そうです。

再び蕎麦畑。

仙台の名店でも、會津の蕎麦を使っている店はありますね。

だけど、喜多方には、あまり蕎麦屋はないようです。
この日は更に旧国道を北上します。そうすると、またまた、蔵の集落。

会津盆地の北の端、杉山集落です。

此処の蔵は屋根が二重です。しかも兜型。かっこいい。

村田の蔵とは異なり、多くが縦というか、妻側が道路向きに、誇らしげに建てられています。
これは横向きですが、なんとも立派な防火扉。

物を守るために蔵を作り、蔵を守るために屋根を二重にし、更にその両方を守るために、蔵を家の中にすっぽり入れてしまったのが、増田の内蔵なのかも知れませんね。

會津恐るべし、です。

ちょっと変わった制限速度標識のある道を、再び喜多方市内方向へ戻りました。

- 関連記事
-
- たゆまぬ努力の結果 (2013/06/11)
- 五郎の散歩道 冬 (2013/01/20)
- 戌年でもないし (2013/01/03)
- 府民の憩いを求めて (2012/10/27)
- もう足が棒 (2012/10/26)
- 専売公社が出来る前 (2012/10/24)
- ミロ見ろ モネもね (2012/10/10)
- 會津平の端っこまで (2012/09/09)
- School's out (2012/08/18)
- いなかみち ヨロレイー (2012/08/17)
- 七夕 幻想灯夜 (2012/08/10)
- 修復中と、修復待ち (2012/07/22)
- 岩銀なう (2012/07/14)
- 人々が生きてきた証し (2012/06/28)
- 時移り代変じても (2012/06/20)
Comments
この煉瓦作り蔵、まだ残っているんですね
なつかしい。記憶では住居にもなっていたような…
確か、昔、大火があって、その後、蔵造り仕様が多くなったとか。
で、耐火煉瓦を使ったのかな。
デザインは違うけど、埼玉・川越も同じ理由かな。
戦時中、こちらは空襲を避けるため、目立たぬよう白壁などを黒く塗りつぶした、と聞きました。
ローリングストーンズの「Paint it black」ですね。
確か、昔、大火があって、その後、蔵造り仕様が多くなったとか。
で、耐火煉瓦を使ったのかな。
デザインは違うけど、埼玉・川越も同じ理由かな。
戦時中、こちらは空襲を避けるため、目立たぬよう白壁などを黒く塗りつぶした、と聞きました。
ローリングストーンズの「Paint it black」ですね。
kazuさんへ
残ってますよー-
そんな簡単には壊れないと思います。
http://www.tif.ne.jp/jp/photo/photo_disp.php?id=6677
国の登録有形文化財や近代化産業遺産にも指定されていますから、修復維持には補助金も出たりするのでしょう。
今回そこだけは、フィルムカメラで撮影したので、間に合わなかったのですが、同じ集落の外れに、煉瓦を焼く登り窯が現存するんです。それも十連ですよ。
記事にも書いた通り、磐越西線が建設された時に活躍したんですね。
http://blog.goo.ne.jp/20151938/e/39cc59d589308c78f735e5aaf74bf072
おそらくその頃、誰かが思いついたのでしょう。
土蔵を煉瓦で造ってみようって。
どうも伝統の土蔵造りよりも、煉瓦蔵の方が工期が短いようです。
耐火煉瓦は、耐候性が低いそうですので、蔵に使うのは普通の煉瓦かと思います。
そんな簡単には壊れないと思います。
http://www.tif.ne.jp/jp/photo/photo_disp.php?id=6677
国の登録有形文化財や近代化産業遺産にも指定されていますから、修復維持には補助金も出たりするのでしょう。
今回そこだけは、フィルムカメラで撮影したので、間に合わなかったのですが、同じ集落の外れに、煉瓦を焼く登り窯が現存するんです。それも十連ですよ。
記事にも書いた通り、磐越西線が建設された時に活躍したんですね。
http://blog.goo.ne.jp/20151938/e/39cc59d589308c78f735e5aaf74bf072
おそらくその頃、誰かが思いついたのでしょう。
土蔵を煉瓦で造ってみようって。
どうも伝統の土蔵造りよりも、煉瓦蔵の方が工期が短いようです。
耐火煉瓦は、耐候性が低いそうですので、蔵に使うのは普通の煉瓦かと思います。