Category: 欧羅巴追想
8年間のスタンプラリー
東北南部、梅雨入りしてしまいました。
平成16年、2004年から律儀に使い続けていた、いわゆるおくすり手帳が、一杯になりました。次回に作り直しでしょうか。まさか二冊持ち歩かなきゃないのかな。

それで何故か思い出したのが、我がパスポートです。

80年代に、デュッセルドルフを拠点に、仕事とバカンスで、ヨーロッパ中旅行してたので、ご覧のとおり、スタンプだらけ。もちろん全部ビザと入出国証明です。
当然期限切れ。

それでなぜパスポートを思い出したかというと、下は西ドイツの労働許可ですが、結構でかいですよね。場所を食う。

ある時、2回目ぐらいの許可延長の時に、パスポートにまっさらのページがないからという理由で、許可申請が突っ返されたのです。ゲルマンですよね。

それでパスポートは、日本領事館へ。

上のようになって戻って来ました。
増補と言うそうです。これは1986年11月に、向こうで作った2冊目のパスポートなんですが、1982年に作った最初のパスポートは40ページだったのに、1986年のやつは24ページしかないんです。
そのせいで足りなくなっちゃった。

これはかなり珍しいでしょう。
その後どうもルールが変わったようで、スタンプが一杯になったら、パスポートを作りなおす事が出来るようになりました。
それからパスポートを更新しても、古い方にビザが残っていて有効な場合、当然ですが、新しい方と一緒に持ち歩く必要があります。大体はビザの期限はパスポートの期限に設定されるのですが、普通はその前にパスポートが更新されるわけで、しばらくは面倒なんです。
あとはいろいろスタンプの紹介。
これはハンガリーの入国ビザです。ブタペストで入国して、ヒゲシャロームで出国。

実はブダペスト出張中に、二日間休みができたので、一泊二日でウィーンまで鉄道旅行したんです。この時は大変なことがあったのですが、いずれ書き込みたいと思います。
こちらは、フランスの入国ビザ。

元々は、ドイツやイギリスと同じく、短期であればフランスはビザ不要だったのですが、80年代にヨーロッパで爆弾テロが頻発した時期があり、突然EC諸国以外の国民は、ビザを取れと言い出したんです。フレンチです。
確かにシャルル・ド・ゴール空港で、不審物騒ぎに遭遇したことはありました。
それまではこんな感じの入出国スタンプだけ。

発表されたのが、折しもイギリス南部のブライトンで展示会が開かれている最中。私と同僚は、西ドイツから、オランダ・ベルギー・フランス経由で、機材をトラック輸送する担当運転手で、行きはカレーからドーバーへ渡る最短フェリーで海峡を越えたのですが、帰りはドーバーから少し遠い、ベルギーのオステンデへのフェリーを使わざるを得なくなったのでした。
函館から大間に行くはずが、青森まで行かされた感じでしょうか。
国境が一箇所減ると、税関手続き(高価な電子機器を沢山積載)の回数も減って、少し楽になるんですが、このルート、前だか後だか忘れましたが、転覆事故があって、フェリーエイドのレコードが出るきっかけになった路線なんです。
このマキシシングルは、もちろん買いました。
2回目まではいかにも間に合わせのビザシールでしたが、3回目に取った時は小奇麗なシールになりました。

えーと、これは今は亡き、チェコ・スロヴァキア共和国。

体調が悪かったかなにかで、誘われたプラハ市内観光をパスして寝ていた記憶があるのですが、結局その後一度も行けず。後悔しています。
ルーマニア。ローマの国というくらいですから、イタリア語が通じるようです。関係ないけど。

ブカレストには、チャウシェスク後に二回行ってますね。
こちらがもっとも頻繁に通った大英帝国。悪名高きパスポートコントロールの行列。

余りにも足繁く通う(多い時は月に4往復)ので、ブラックリスト入りし、いろいろもめましたが、通常3ヶ月滞在できるところ、1ヶ月限定になってしまいました。イングリッシュのやり方。

そんなに長居はしないよ。
次にフランスと同じくらい、よく通ったスペイン。

アスタマニヤーナの国は、いつも優しく入れてくれます。エスパニョール大好き。上は出国印。
その次はスウェーデン。

こちらもいつも紳士的でした。
ポルトガル。

こちらは二回だけかな。女性の半分以上がマリアさんです。
何度か通ったトルコのイスタンブール。

こちらはプライベート旅行の最中に、お金を払って記念にもらった、サンマリノのスタンプと印紙。

切手も有名ですね。
これは珍しい、何度も行ったけど、たぶんこれだけ。オーストリアのウィーン空港。

たぶん日本から来た誰かと一緒で、そいつが欲しいといったので、ついでに私にもくれたか何かで。普通はわざわざ押しません。
ちなみに、ドイツ、スイス、イタリアあたりも普段は、行けと手振りされるだけ、スタンプは無しです。
ビザ用ではないページに押してるのは、これもトルコ。

ターキーです。
狭いスペースにきっちり押してくれたのが、フィンランド。

フィニッシュの国民性でしょうか。
こちらはデンマーク、デーニッシュはいつもきれいに押してくれるのが特徴です。

スタンプ台が優秀なのか。
これはアイスランド。

何も一番寒い2月に北極圏まで行かなくてもいいのに。でもホテルのバスルーム、お湯の蛇口から硫黄温泉が出たのにはびっくり。
下は、左がギリシャで、右がユーゴスラビア。

ユーゴはまだ分裂前ですね。
これも珍しい、オランダです。

アウトバーン上ですね。なんでスタンプをくれたのだろう。不明。
イスラエルにも行っていますが、此処のスタンプがあるとイスラム各国に入国できなくなるので、別の紙にスタンプを貰い、パスポートに挟んでおきます。
出国の時にはそれを回収しておしまい。だから残っていません。今なら写真を撮るけれど。
そしてオマケは中華人民共和国です。

これだけは日本に帰ってきてから。
この出張旅行の間に、母が他界したので、想い出深い記念になってしまいました。
平成16年、2004年から律儀に使い続けていた、いわゆるおくすり手帳が、一杯になりました。次回に作り直しでしょうか。まさか二冊持ち歩かなきゃないのかな。

それで何故か思い出したのが、我がパスポートです。

80年代に、デュッセルドルフを拠点に、仕事とバカンスで、ヨーロッパ中旅行してたので、ご覧のとおり、スタンプだらけ。もちろん全部ビザと入出国証明です。
当然期限切れ。

それでなぜパスポートを思い出したかというと、下は西ドイツの労働許可ですが、結構でかいですよね。場所を食う。

ある時、2回目ぐらいの許可延長の時に、パスポートにまっさらのページがないからという理由で、許可申請が突っ返されたのです。ゲルマンですよね。

それでパスポートは、日本領事館へ。

上のようになって戻って来ました。
増補と言うそうです。これは1986年11月に、向こうで作った2冊目のパスポートなんですが、1982年に作った最初のパスポートは40ページだったのに、1986年のやつは24ページしかないんです。
そのせいで足りなくなっちゃった。

これはかなり珍しいでしょう。
その後どうもルールが変わったようで、スタンプが一杯になったら、パスポートを作りなおす事が出来るようになりました。
それからパスポートを更新しても、古い方にビザが残っていて有効な場合、当然ですが、新しい方と一緒に持ち歩く必要があります。大体はビザの期限はパスポートの期限に設定されるのですが、普通はその前にパスポートが更新されるわけで、しばらくは面倒なんです。
あとはいろいろスタンプの紹介。
これはハンガリーの入国ビザです。ブタペストで入国して、ヒゲシャロームで出国。

実はブダペスト出張中に、二日間休みができたので、一泊二日でウィーンまで鉄道旅行したんです。この時は大変なことがあったのですが、いずれ書き込みたいと思います。
こちらは、フランスの入国ビザ。

元々は、ドイツやイギリスと同じく、短期であればフランスはビザ不要だったのですが、80年代にヨーロッパで爆弾テロが頻発した時期があり、突然EC諸国以外の国民は、ビザを取れと言い出したんです。フレンチです。
確かにシャルル・ド・ゴール空港で、不審物騒ぎに遭遇したことはありました。
それまではこんな感じの入出国スタンプだけ。

発表されたのが、折しもイギリス南部のブライトンで展示会が開かれている最中。私と同僚は、西ドイツから、オランダ・ベルギー・フランス経由で、機材をトラック輸送する担当運転手で、行きはカレーからドーバーへ渡る最短フェリーで海峡を越えたのですが、帰りはドーバーから少し遠い、ベルギーのオステンデへのフェリーを使わざるを得なくなったのでした。
函館から大間に行くはずが、青森まで行かされた感じでしょうか。
国境が一箇所減ると、税関手続き(高価な電子機器を沢山積載)の回数も減って、少し楽になるんですが、このルート、前だか後だか忘れましたが、転覆事故があって、フェリーエイドのレコードが出るきっかけになった路線なんです。
このマキシシングルは、もちろん買いました。
2回目まではいかにも間に合わせのビザシールでしたが、3回目に取った時は小奇麗なシールになりました。

えーと、これは今は亡き、チェコ・スロヴァキア共和国。

体調が悪かったかなにかで、誘われたプラハ市内観光をパスして寝ていた記憶があるのですが、結局その後一度も行けず。後悔しています。
ルーマニア。ローマの国というくらいですから、イタリア語が通じるようです。関係ないけど。

ブカレストには、チャウシェスク後に二回行ってますね。
こちらがもっとも頻繁に通った大英帝国。悪名高きパスポートコントロールの行列。

余りにも足繁く通う(多い時は月に4往復)ので、ブラックリスト入りし、いろいろもめましたが、通常3ヶ月滞在できるところ、1ヶ月限定になってしまいました。イングリッシュのやり方。

そんなに長居はしないよ。
次にフランスと同じくらい、よく通ったスペイン。

アスタマニヤーナの国は、いつも優しく入れてくれます。エスパニョール大好き。上は出国印。
その次はスウェーデン。

こちらもいつも紳士的でした。
ポルトガル。

こちらは二回だけかな。女性の半分以上がマリアさんです。
何度か通ったトルコのイスタンブール。

こちらはプライベート旅行の最中に、お金を払って記念にもらった、サンマリノのスタンプと印紙。

切手も有名ですね。
これは珍しい、何度も行ったけど、たぶんこれだけ。オーストリアのウィーン空港。

たぶん日本から来た誰かと一緒で、そいつが欲しいといったので、ついでに私にもくれたか何かで。普通はわざわざ押しません。
ちなみに、ドイツ、スイス、イタリアあたりも普段は、行けと手振りされるだけ、スタンプは無しです。
ビザ用ではないページに押してるのは、これもトルコ。

ターキーです。
狭いスペースにきっちり押してくれたのが、フィンランド。

フィニッシュの国民性でしょうか。
こちらはデンマーク、デーニッシュはいつもきれいに押してくれるのが特徴です。

スタンプ台が優秀なのか。
これはアイスランド。

何も一番寒い2月に北極圏まで行かなくてもいいのに。でもホテルのバスルーム、お湯の蛇口から硫黄温泉が出たのにはびっくり。
下は、左がギリシャで、右がユーゴスラビア。

ユーゴはまだ分裂前ですね。
これも珍しい、オランダです。

アウトバーン上ですね。なんでスタンプをくれたのだろう。不明。
イスラエルにも行っていますが、此処のスタンプがあるとイスラム各国に入国できなくなるので、別の紙にスタンプを貰い、パスポートに挟んでおきます。
出国の時にはそれを回収しておしまい。だから残っていません。今なら写真を撮るけれど。
そしてオマケは中華人民共和国です。

これだけは日本に帰ってきてから。
この出張旅行の間に、母が他界したので、想い出深い記念になってしまいました。
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