Category: 街角探検
いつもの洋館めぐり
ドイツブラジル戦、始まりましたがあっという間に5-0。
やはりエースとキャプテンを欠いたブラジルは変。果敢ですが雑です。
ドイツ有利とは思ってましたが、やはりブラジル選手へのプレッシャーは相当なものなんでしょう。
ドイツチームのほうが二人ぐらい人数が多いような感じ。
新横浜から乗った、横浜線の電車は根岸線直通。
横浜を通り過ぎ、石川町で下車します。もちろん大人の休日倶楽部パス利用。

早速、瀟洒な洋館が、ホームから見えました。

元町のショッピング街。

東北の酒瓶が並んでいます。

こちらは、秋田系の居酒屋。酒は飛良泉。

中華街も間近ですが、目的は飲食ではありません。
大丸谷坂を、ふぅふぅはかはか登ります。

最初の洋館。ブラフ18番館。

この後にもいろいろ出てくる洋館めぐりですが、名前の付け方が、変わっています。

ウィキペディアから引用(以下同様)。
ブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた木造2階建の外国人住宅。戦後は天主公教横浜地区(現・カトリック横浜司教区)の所有となり、1991年(平成3年)までカトリック山手教会の司祭館として使用されてきた。1991年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元。1993年から一般公開されている。館内は大正末期から昭和初期に掛けての震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現。

とても景色の良い展望台です。
山手イタリア山庭園(やまてイタリアやまていえん)は、横浜市中区の山手地区にある庭園。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、イタリア山と呼ばれている。水路や花壇を幾何学式に配したイタリア式庭園で、1993年にはブラフ18番館、1997年には外交官の家が移築された。花壇には、バラの季節には姉妹都市のリヨン市から贈られたプレステージ・ドゥ・リヨンが咲き誇る。

そして石川町駅からも見えた洋館。

外交官の家。

外交官の家(がいこうかんのいえ)は、1910年(明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館。1997年に、国の重要文化財に指定されている。明治政府の外交官内田定槌の邸宅として、アメリカ人建築家のジェームズ・ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台町に建てられた。

1997年(平成9年)に、内田定槌の孫の宮入久子から横浜市に寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元のうえ一般公開された。1階は食堂と客間、2階は寝室や書斎が再現され、展示室にはガーディナーの建築作品や、当時の外交官の暮らしに関する資料が展示されている。

弘前図書館や、弘前学院外人宣教師館を想い出しました。

結婚記念写真撮影中で、あまり建物に近づけません。

こんなレンタカーがありました。

これは案内板もない一般のお家。

何やら見慣れない、きれいな花房。

そう言えば、葡萄って、実が生る前はこんなふうに花が咲くんでしょうね。

先日仙台であった後輩の結婚式の時、教会で新郎新婦に投げた花がこんな花だったような。

山手の丘を歩きます。

たぶん初めて来た路。

こんな場所で、アドバルーンを造ってるの?

違いました。

ルートは尾根伝い。景色良好です。

教会が見えてきました。カトリック山手教会。

ユーミンが結婚した教会?
横浜が開港して、外国人たちが移り住んできた頃、暮らす場所に嗜好の違いがあったのか、それとも追いやられたのか、理由には研究の余地大ですが、山手には欧羅巴人たち、特にキリスト教関係者が多く移り住んだようです。

日曜日の朝、ミサが行われていました。

壮大に流れる賛美歌。多くの信者。
これは教会じゃないな。

そしてベーリックホール。

セント・ジョセフ・カレッジ(Saint Joseph College)は、江戸時代末期の横浜開港に伴い、山下町・山手周辺に外国人居留地が、関内にはその居留者の業務地が設けられ、これらの地に暮らす外国人子弟の教育施設として、1901年(明治34年)にカトリック教会のマリア会によって、幼稚園から高校までを備えた英語教育主体のインターナショナルスクールとして横浜市山手町に開校された。

その後1934年(昭和9年)には、ヤン・ヨセフ・スワガーが設計した講堂兼体育館を増築するなど規模を拡張し、その後勃発した第二次世界大戦とイギリスやアメリカなどの連合国軍による占領を経てさらに規模を拡大し、1956年(昭和31年)からは外人墓地脇に建つベーリックホールを寄宿舎として使用していた。

その後も高度経済成長期以降の日本経済の成長に伴う在日外国人や帰国子女の増大を背景に児童、生徒数を増やし、隣接するフェリス女学院や横浜インターナショナルスクール、サンモール・インターナショナルスクールなどとともに、横浜を代表するインターナショナルスクールとして市民に親しまれた。

まるで、ホテルカリフォルニアですね。
いろいろあって2000年に廃校になったそうです。
主な出身者は、EHエリック、イサム・ノグチ、三船美佳。どんな学校だ?

これはスモークツリーでしょうか。

朝露が残る、良い時間帯でした。

想像してた以上に、優雅な散歩コースです。

犬の散歩道でもありました。
やはりエースとキャプテンを欠いたブラジルは変。果敢ですが雑です。
ドイツ有利とは思ってましたが、やはりブラジル選手へのプレッシャーは相当なものなんでしょう。
ドイツチームのほうが二人ぐらい人数が多いような感じ。
新横浜から乗った、横浜線の電車は根岸線直通。
横浜を通り過ぎ、石川町で下車します。もちろん大人の休日倶楽部パス利用。

早速、瀟洒な洋館が、ホームから見えました。

元町のショッピング街。

東北の酒瓶が並んでいます。

こちらは、秋田系の居酒屋。酒は飛良泉。

中華街も間近ですが、目的は飲食ではありません。
大丸谷坂を、ふぅふぅはかはか登ります。

最初の洋館。ブラフ18番館。

この後にもいろいろ出てくる洋館めぐりですが、名前の付け方が、変わっています。

ウィキペディアから引用(以下同様)。
ブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた木造2階建の外国人住宅。戦後は天主公教横浜地区(現・カトリック横浜司教区)の所有となり、1991年(平成3年)までカトリック山手教会の司祭館として使用されてきた。1991年に横浜市が部材の寄付を受け、山手イタリア山庭園内に移築復元。1993年から一般公開されている。館内は大正末期から昭和初期に掛けての震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現。

とても景色の良い展望台です。
山手イタリア山庭園(やまてイタリアやまていえん)は、横浜市中区の山手地区にある庭園。1880年(明治13年)から1886年までイタリア領事館が置かれたことから、イタリア山と呼ばれている。水路や花壇を幾何学式に配したイタリア式庭園で、1993年にはブラフ18番館、1997年には外交官の家が移築された。花壇には、バラの季節には姉妹都市のリヨン市から贈られたプレステージ・ドゥ・リヨンが咲き誇る。

そして石川町駅からも見えた洋館。

外交官の家。

外交官の家(がいこうかんのいえ)は、1910年(明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館。1997年に、国の重要文化財に指定されている。明治政府の外交官内田定槌の邸宅として、アメリカ人建築家のジェームズ・ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台町に建てられた。

1997年(平成9年)に、内田定槌の孫の宮入久子から横浜市に寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元のうえ一般公開された。1階は食堂と客間、2階は寝室や書斎が再現され、展示室にはガーディナーの建築作品や、当時の外交官の暮らしに関する資料が展示されている。

弘前図書館や、弘前学院外人宣教師館を想い出しました。

結婚記念写真撮影中で、あまり建物に近づけません。

こんなレンタカーがありました。

これは案内板もない一般のお家。

何やら見慣れない、きれいな花房。

そう言えば、葡萄って、実が生る前はこんなふうに花が咲くんでしょうね。

先日仙台であった後輩の結婚式の時、教会で新郎新婦に投げた花がこんな花だったような。

山手の丘を歩きます。

たぶん初めて来た路。

こんな場所で、アドバルーンを造ってるの?

違いました。

ルートは尾根伝い。景色良好です。

教会が見えてきました。カトリック山手教会。

ユーミンが結婚した教会?
横浜が開港して、外国人たちが移り住んできた頃、暮らす場所に嗜好の違いがあったのか、それとも追いやられたのか、理由には研究の余地大ですが、山手には欧羅巴人たち、特にキリスト教関係者が多く移り住んだようです。

日曜日の朝、ミサが行われていました。

壮大に流れる賛美歌。多くの信者。
これは教会じゃないな。

そしてベーリックホール。

セント・ジョセフ・カレッジ(Saint Joseph College)は、江戸時代末期の横浜開港に伴い、山下町・山手周辺に外国人居留地が、関内にはその居留者の業務地が設けられ、これらの地に暮らす外国人子弟の教育施設として、1901年(明治34年)にカトリック教会のマリア会によって、幼稚園から高校までを備えた英語教育主体のインターナショナルスクールとして横浜市山手町に開校された。

その後1934年(昭和9年)には、ヤン・ヨセフ・スワガーが設計した講堂兼体育館を増築するなど規模を拡張し、その後勃発した第二次世界大戦とイギリスやアメリカなどの連合国軍による占領を経てさらに規模を拡大し、1956年(昭和31年)からは外人墓地脇に建つベーリックホールを寄宿舎として使用していた。

その後も高度経済成長期以降の日本経済の成長に伴う在日外国人や帰国子女の増大を背景に児童、生徒数を増やし、隣接するフェリス女学院や横浜インターナショナルスクール、サンモール・インターナショナルスクールなどとともに、横浜を代表するインターナショナルスクールとして市民に親しまれた。

まるで、ホテルカリフォルニアですね。
いろいろあって2000年に廃校になったそうです。
主な出身者は、EHエリック、イサム・ノグチ、三船美佳。どんな学校だ?

これはスモークツリーでしょうか。

朝露が残る、良い時間帯でした。

想像してた以上に、優雅な散歩コースです。

犬の散歩道でもありました。

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