Category: ドライブ
Nature is calling
昨日で岩手・宮城内陸地震から5年でした。
気仙沼ツァー、食い倒れだけはありません。
田中前から、サエモンさんの解説を聞きながら、津波被災地を車3台で回ります。
もっとも後ろ2台はついていくだけなので、貴重な解説は聞けませんね。次回はなにか無線機でも用意しますか。

南町や、魚市場の惨状を視察していると、ひときわ派手な漁船。

美しい船です、マグロ延縄船?
餅まきをやっていたのでした。食い物には必ず反応するサエモン隊、群がります。

藤壺もついていないピッカピカの船体、新造船でしょうか。

ラッキー。

大漁祈願ですね。
この夜泊まるホテルや、復興屋台村の位置を確認しつつ、魚町。角屋店舗。

何度も何度も押し寄せた津波と、火災で、破壊しつくされた気仙沼の海沿いの街。
エースポートがあった場所も更地になっていますし、建物は殆ど撤去されていますが、登録文化財の建築物は持ちこたえています。
一階と二階がさらわれて、だるま落としのように三階が地上に軟着陸している、男山本社も。

モニュメントとして残るのでしょうか。
そして、新浜町から鹿折地区。ししおり。

海岸から約750m入った場所に、すっくと立つ第18共徳丸。
震災後はまさに瓦礫の海だったこの地区に、彼女だけがそのままです。

旅人は遺して欲しいと思いますが、おそらく近く撤去されるのでしょう。

近くにある復幸マルシェでお買い物です。

丘の上に家々はありますが、平地の部分には住宅の建築は許されていません。

広がる土台だけの街の中に、ぽつんと建つ仮設の商店街。
決して観光客向けの道の駅ではありません。近隣住民のため、そして店舗を失った商店のための施設です。

改めて共徳丸を見学します。

鹿折唐桑駅の駅前に当たる地区なのですが、大船渡線の線路がどこを通っていたのかも定かではなく。

この船を撤去して、あとはどうなるのでしょうか。

市内の方向へ戻り、新浜町かで道をそれて山方向へ。
安波山です。あんばさん、初めてです。

ここからの気仙沼湾の眺めが、龍の姿に例えられるとか。

絶景ですが、ひときわ目立つのは、南気仙沼方面の赤茶けた土台だけの地域。絶句する景色ですね。

男女各5名で、記念写真。

山の上に、楽しいトイレ。

海と自然を眺めながら、放つことが正式に認められているのです。

まさに、Nature is calling.

山を降り、今度は、南方面、階上地区へ。はしかみ。
岩井崎の潮吹き岩、ちょっと元気はありませんでした。

周辺の民宿街はほぼ全滅でしたが、横綱は残っています。秀ノ山雷五郎、地元出身だそうです。

そして辰年に、誰かがこしらえた、一本松。

海に向かって吠えています。

ここ階上から、今度はBRTに乗ることにしました。陸前階上駅............跡。

JR気仙沼線は、線路の復旧の目処が立たず、舗装して、バスを走らせているのです。

bus rapid transit、道路は専用ですが、車両は普通のバスです。

整理券を取るところは、普通の市内用と同じですが、降りるときにバーコードを読み取って料金表示。

SUICAは使えません。

この辺りは、すーいすいでしたが、このあと一般国道も走りますので、ますます普通のバス。
しかしバス道路にさえ再建できない線路跡があるということなんです。
ニュースや天気予報が表示される液晶パネル、この情報量は、新幹線を上回っています。

BRTのJR松岩駅で下車。国道の片浜バス停と兼用。

ここから再び車に乗せていただいて、ホテルにチェックインです。

ほとんどまわりは土台だけ、それも1m前後地盤沈下している弁天町で、営業を再開している一景閣です。

頼もしい宿ですね、予約していたので問題ありませんでしたが、満室でした。

気仙沼に宿泊するのは、生まれて初めて。

このあとが、今回の旅のメーンです。
気仙沼ツァー、食い倒れだけはありません。
田中前から、サエモンさんの解説を聞きながら、津波被災地を車3台で回ります。
もっとも後ろ2台はついていくだけなので、貴重な解説は聞けませんね。次回はなにか無線機でも用意しますか。

南町や、魚市場の惨状を視察していると、ひときわ派手な漁船。

美しい船です、マグロ延縄船?
餅まきをやっていたのでした。食い物には必ず反応するサエモン隊、群がります。

藤壺もついていないピッカピカの船体、新造船でしょうか。

ラッキー。

大漁祈願ですね。
この夜泊まるホテルや、復興屋台村の位置を確認しつつ、魚町。角屋店舗。

何度も何度も押し寄せた津波と、火災で、破壊しつくされた気仙沼の海沿いの街。
エースポートがあった場所も更地になっていますし、建物は殆ど撤去されていますが、登録文化財の建築物は持ちこたえています。
一階と二階がさらわれて、だるま落としのように三階が地上に軟着陸している、男山本社も。

モニュメントとして残るのでしょうか。
そして、新浜町から鹿折地区。ししおり。

海岸から約750m入った場所に、すっくと立つ第18共徳丸。
震災後はまさに瓦礫の海だったこの地区に、彼女だけがそのままです。

旅人は遺して欲しいと思いますが、おそらく近く撤去されるのでしょう。

近くにある復幸マルシェでお買い物です。

丘の上に家々はありますが、平地の部分には住宅の建築は許されていません。

広がる土台だけの街の中に、ぽつんと建つ仮設の商店街。
決して観光客向けの道の駅ではありません。近隣住民のため、そして店舗を失った商店のための施設です。

改めて共徳丸を見学します。

鹿折唐桑駅の駅前に当たる地区なのですが、大船渡線の線路がどこを通っていたのかも定かではなく。

この船を撤去して、あとはどうなるのでしょうか。

市内の方向へ戻り、新浜町かで道をそれて山方向へ。
安波山です。あんばさん、初めてです。

ここからの気仙沼湾の眺めが、龍の姿に例えられるとか。

絶景ですが、ひときわ目立つのは、南気仙沼方面の赤茶けた土台だけの地域。絶句する景色ですね。

男女各5名で、記念写真。

山の上に、楽しいトイレ。

海と自然を眺めながら、放つことが正式に認められているのです。

まさに、Nature is calling.

山を降り、今度は、南方面、階上地区へ。はしかみ。
岩井崎の潮吹き岩、ちょっと元気はありませんでした。

周辺の民宿街はほぼ全滅でしたが、横綱は残っています。秀ノ山雷五郎、地元出身だそうです。

そして辰年に、誰かがこしらえた、一本松。

海に向かって吠えています。

ここ階上から、今度はBRTに乗ることにしました。陸前階上駅............跡。

JR気仙沼線は、線路の復旧の目処が立たず、舗装して、バスを走らせているのです。

bus rapid transit、道路は専用ですが、車両は普通のバスです。

整理券を取るところは、普通の市内用と同じですが、降りるときにバーコードを読み取って料金表示。

SUICAは使えません。

この辺りは、すーいすいでしたが、このあと一般国道も走りますので、ますます普通のバス。
しかしバス道路にさえ再建できない線路跡があるということなんです。
ニュースや天気予報が表示される液晶パネル、この情報量は、新幹線を上回っています。

BRTのJR松岩駅で下車。国道の片浜バス停と兼用。

ここから再び車に乗せていただいて、ホテルにチェックインです。

ほとんどまわりは土台だけ、それも1m前後地盤沈下している弁天町で、営業を再開している一景閣です。

頼もしい宿ですね、予約していたので問題ありませんでしたが、満室でした。

気仙沼に宿泊するのは、生まれて初めて。

このあとが、今回の旅のメーンです。