Category: スポーツ
想い出が、ついてくる
今日は新聞記者だった父の10回目の命日。
何度も書いたかもしれないけど、また書きます。
私がまだドイツに居た頃、難病に罹った母を何年も看病してた父。
それで自分も病気になって、入退院の繰り返し。

それでも一時はずいぶん元気になり、私の転職にともなって、東京から水戸、そして仙台、文句を言いつつも一緒に来てくれました。持ち家があったわけでもないし、故郷に住んでいたわけでもない、親子の風来坊。
そんな親父がまた倒れて、救急車で東北大学病院にかつぎ込んだのが、2002年の夏。日韓ワールドカップのあとですね。
忘れもしない、J1に初めて上がったベガルタ仙台が、第2ステージの開幕戦、アントラーズをホームに迎える前の日でした。
全国放送を翌日に控え、カメラを上空にワイヤーで吊るのを手伝ったあと、自宅に戻ったら台所で意識不明。
翌日の仕事は先輩に替わってもらいました。
今になって、いろんな健康番組を見れば、脳梗塞の兆候は、仙台に来る前から確かにありました。

その後、意識が戻ることもありましたが、結局半年強頑張ったあとに、母が待つ世界へ旅立ちました。
その日、10年前の3月9日は、仙台ハーフマラソンの開催日。当時はこの季節だったのです。
中継放送本番直前に、病院から危篤の電話。
仕事を上司におっつけて病院へ。
父が大好きだったマラソン中継、病室で一緒に聞きながらの最期でした。
その12年余り前、母が他界した日は、1990年の秋、北京アジア大会の開会式当日。
私は北京に居たのですが、上司からの国際電話を受け、仕事をぶん投げて帰国。
つくづくもスポーツイベントには悲しい想い出がつきまとっているのでした。

写真は3月4日の朝の空。春には珍しい筋雲が、仙台の空を覆い尽くしていました。
今日から三日間は、特番と中継の嵐。
被災地の今を、日本中に伝えます。見てください。わせねでや。
何度も書いたかもしれないけど、また書きます。
私がまだドイツに居た頃、難病に罹った母を何年も看病してた父。
それで自分も病気になって、入退院の繰り返し。

それでも一時はずいぶん元気になり、私の転職にともなって、東京から水戸、そして仙台、文句を言いつつも一緒に来てくれました。持ち家があったわけでもないし、故郷に住んでいたわけでもない、親子の風来坊。
そんな親父がまた倒れて、救急車で東北大学病院にかつぎ込んだのが、2002年の夏。日韓ワールドカップのあとですね。
忘れもしない、J1に初めて上がったベガルタ仙台が、第2ステージの開幕戦、アントラーズをホームに迎える前の日でした。
全国放送を翌日に控え、カメラを上空にワイヤーで吊るのを手伝ったあと、自宅に戻ったら台所で意識不明。
翌日の仕事は先輩に替わってもらいました。
今になって、いろんな健康番組を見れば、脳梗塞の兆候は、仙台に来る前から確かにありました。

その後、意識が戻ることもありましたが、結局半年強頑張ったあとに、母が待つ世界へ旅立ちました。
その日、10年前の3月9日は、仙台ハーフマラソンの開催日。当時はこの季節だったのです。
中継放送本番直前に、病院から危篤の電話。
仕事を上司におっつけて病院へ。
父が大好きだったマラソン中継、病室で一緒に聞きながらの最期でした。
その12年余り前、母が他界した日は、1990年の秋、北京アジア大会の開会式当日。
私は北京に居たのですが、上司からの国際電話を受け、仕事をぶん投げて帰国。
つくづくもスポーツイベントには悲しい想い出がつきまとっているのでした。

写真は3月4日の朝の空。春には珍しい筋雲が、仙台の空を覆い尽くしていました。
今日から三日間は、特番と中継の嵐。
被災地の今を、日本中に伝えます。見てください。わせねでや。