Category: 博物芸術
五郎の散歩道 冬
昨日は天気も良く、白銀も招くよというわけで、久しぶりにご近所散歩。

何度も歩いているコース。
まずは、県知事公館ですね。

門が開いていたので、ちょっと中に足を踏み込んで、本館を撮影。

すると雪掻きをされていた管理人さんが、どうぞどうぞと手招きしてくれた上に、いろいろ説明してくれたり、パンフレットをくれたり、至れり尽くせり。

ブライダル関係の見学者が来るそうで、休日勤務になってしまったようでした。
初めて来た風に装おわざるを得ない(日本語変?)展開になってしまったのですが、実は前にも来たことがあるし、ずっと続きそうな説明を、丁重にお断りし、公館を一回り。

ウイキペディアから。
仙台市都心部の北西、広瀬川中流の胡桃淵に面した左岸の仙台中町段丘面にある。藩政期、広瀬川左岸の仙台中町段丘と仙台下町段丘との間の段丘崖崖上には、対岸の仙台城を囲むように上級家臣の邸宅が延々と連なっていたが、当館もその一部に建つ。
現在の公館の建物は1921年(大正10年)に建てられたもので、外観は青色瓦、フランス式マンサード屋根の洋館となっている。洋室2つ、和室、休憩室、貴賓室などがある。

江戸時代の1695年(元禄8年)、広瀬川に澱橋が架けられると、北二番丁西端から澱橋北詰に下りる新坂が整備され、伊達家の家臣田村顕行がこの地に屋敷を賜った。
明治維新後の1868年(明治元年)、後に仙台市長となる山田揆一が購入し、米国バプテスト同盟の女性宣教師が設立した塾(学校法人尚絅学院の前身)として貸与、さらに仙台衛戍病院長邸宅を経て、大正時代、陸軍第二師団長官舎となる。終戦後は、進駐軍に接収され東北地方司令官官舎となる。

1958年(昭和33年)に東北財務局に返還されると宮城県に譲渡され、県の児童会館となる。1965年(昭和40年)に児童館が向山に移ったため知事公館に転用され、宮城県を訪問した諸外国の大公使、皇族など賓客を接遇する施設として利用されている。一般公開も行われている他、結婚式などイベントにも貸し出しされている。

ちなみに、年に50組ほどの結婚式が催されるそうです。
正門は、切妻造で本瓦葺きの四脚門。大正時代に仙台城にあった門を移築したものと伝えられる。宮城県指定有形文化財。

一周して、正門を眺めていたら、また管理人さんの説明が始まりました。
屋根にうさぎが乗っているのは、伊達政宗が兎年だったからだそうです。

管理人さん、ありがとうございます。
彼いわく、門が開いていて、貸切の看板がなければ、いつでも入っていいですよ、とのことでした。
桜が咲いたら、また来ます。
新坂を降りて、澱橋から眺める広瀬川。

渡り鳥がいるのは、坂の途中からも確認していたのですが、なんと。

白鳥が居ました。うーーーーーー、三羽かな。
思いっきりトリミングしてます。

この辺りで白鳥を見たのは初めて鴨。
直線距離だと、うちから400mも離れていない場所に白鳥!! 驚きです。
澱橋を渡ると、宮城県美術館。仙台二高前にある、宮城一高のテニスコート脇から、守衛さんに会釈して北庭へ。ここも雪に覆われています。

新宮晋さんの時の旅人。のーーんびり回っていました。風で動くモニュメントはみんな好きです。

アリスの庭の入口(出口?)。

裏口から侵入したので、普通の見学者とは逆コースかな。

来る季節と時間によって様々な表情を見せてくれる空間の、光と陰。

アリスの庭です。

誰もいなくて、一人で撮影しているように感じることがありますが、実はミラーガラスの向こうには結構人が大勢居たりするので、要注意。

もうちょっと光が回り込む時刻、昼前後がベストでしょうか。

異空間。

煉瓦と雪の縞模様も綺麗でした。

現在、生誕100年/追悼 彫刻家 佐藤忠良展「人間」を探求しつづけた表現者の歩み 開催中です。

しかし早く春が来てほしいものですね。

何度も歩いているコース。
まずは、県知事公館ですね。

門が開いていたので、ちょっと中に足を踏み込んで、本館を撮影。

すると雪掻きをされていた管理人さんが、どうぞどうぞと手招きしてくれた上に、いろいろ説明してくれたり、パンフレットをくれたり、至れり尽くせり。

ブライダル関係の見学者が来るそうで、休日勤務になってしまったようでした。
初めて来た風に装おわざるを得ない(日本語変?)展開になってしまったのですが、実は前にも来たことがあるし、ずっと続きそうな説明を、丁重にお断りし、公館を一回り。

ウイキペディアから。
仙台市都心部の北西、広瀬川中流の胡桃淵に面した左岸の仙台中町段丘面にある。藩政期、広瀬川左岸の仙台中町段丘と仙台下町段丘との間の段丘崖崖上には、対岸の仙台城を囲むように上級家臣の邸宅が延々と連なっていたが、当館もその一部に建つ。
現在の公館の建物は1921年(大正10年)に建てられたもので、外観は青色瓦、フランス式マンサード屋根の洋館となっている。洋室2つ、和室、休憩室、貴賓室などがある。

江戸時代の1695年(元禄8年)、広瀬川に澱橋が架けられると、北二番丁西端から澱橋北詰に下りる新坂が整備され、伊達家の家臣田村顕行がこの地に屋敷を賜った。
明治維新後の1868年(明治元年)、後に仙台市長となる山田揆一が購入し、米国バプテスト同盟の女性宣教師が設立した塾(学校法人尚絅学院の前身)として貸与、さらに仙台衛戍病院長邸宅を経て、大正時代、陸軍第二師団長官舎となる。終戦後は、進駐軍に接収され東北地方司令官官舎となる。

1958年(昭和33年)に東北財務局に返還されると宮城県に譲渡され、県の児童会館となる。1965年(昭和40年)に児童館が向山に移ったため知事公館に転用され、宮城県を訪問した諸外国の大公使、皇族など賓客を接遇する施設として利用されている。一般公開も行われている他、結婚式などイベントにも貸し出しされている。

ちなみに、年に50組ほどの結婚式が催されるそうです。
正門は、切妻造で本瓦葺きの四脚門。大正時代に仙台城にあった門を移築したものと伝えられる。宮城県指定有形文化財。

一周して、正門を眺めていたら、また管理人さんの説明が始まりました。
屋根にうさぎが乗っているのは、伊達政宗が兎年だったからだそうです。

管理人さん、ありがとうございます。
彼いわく、門が開いていて、貸切の看板がなければ、いつでも入っていいですよ、とのことでした。
桜が咲いたら、また来ます。
新坂を降りて、澱橋から眺める広瀬川。

渡り鳥がいるのは、坂の途中からも確認していたのですが、なんと。

白鳥が居ました。うーーーーーー、三羽かな。
思いっきりトリミングしてます。

この辺りで白鳥を見たのは初めて鴨。
直線距離だと、うちから400mも離れていない場所に白鳥!! 驚きです。
澱橋を渡ると、宮城県美術館。仙台二高前にある、宮城一高のテニスコート脇から、守衛さんに会釈して北庭へ。ここも雪に覆われています。

新宮晋さんの時の旅人。のーーんびり回っていました。風で動くモニュメントはみんな好きです。

アリスの庭の入口(出口?)。

裏口から侵入したので、普通の見学者とは逆コースかな。

来る季節と時間によって様々な表情を見せてくれる空間の、光と陰。

アリスの庭です。

誰もいなくて、一人で撮影しているように感じることがありますが、実はミラーガラスの向こうには結構人が大勢居たりするので、要注意。

もうちょっと光が回り込む時刻、昼前後がベストでしょうか。

異空間。

煉瓦と雪の縞模様も綺麗でした。

現在、生誕100年/追悼 彫刻家 佐藤忠良展「人間」を探求しつづけた表現者の歩み 開催中です。

しかし早く春が来てほしいものですね。