Category: 街角探検
蘇ってくる '70
さて、新町通を北へ。

これは珍しいのかな。
京町家の建物ですが、醤油の醸造元です。明治12年創業の、澤井本店。美味そうです。

土蔵もなんとなく、京都らしく品がある雰囲気。

車で来てたら買って帰るのだけれど。
烏丸通に戻って、御所の西側を北へに行くと、赤レンガ造りの建物が沢山並んでいました。

同志社大学ですね。礼拝堂は明治19年の建築だそうです。

大勢の学生たち。
実は高校3年生当時、通っていた高校は自由な校風で、ほとんどの生徒は大学に進学するのですが、一浪が標準。特に男子は、クラスから二人しか現役で入学しませんでした。
私もそのつもりで、志望を高めにしぼり、大学を4つ、予備校をふたつ受験したのですが、なんとなく浪人して、翌年は京都の大学を受験しようかと思っていたんですね。
観光で来るよりも、学生として生活してみたかったと言うことでしょうか。

最初の三つの大学と、予備校ひとつは桜散る。
ところが次の予備校と、発表がエイプリルフールにあった大学には合格したんですね。
学費は、予備校のほうが五倍か十倍ぐらい高い。
それで東京にある大学、自宅から通えるし、実は高校よりも近い大学に入学決定、クラスで二人のうちの一人になったのでした。まぐれだったと思いますが、まぁ親孝行は出来ました。自画自賛。
そんなことを思い出しながら、もしかしたら此処で学んだかもしれないキャンパスを歩いていると、なんだか華やかな雰囲気。

いつの間にか同志社女子大になってました。此処はどう頑張っても入れなかったな。
女子大の中を、カメラをぶら下げて歩くおっさん、危険です。
なんとなく今出川通から、寺町通へ右折。通りの名前が、いちいちそそられますね。
立派な門構えのマンション、さすが京都です。

画廊には、ビュフェの版画。

旅行者と思われる中年のご夫婦が、ビュフェに誘われて店に入って行きました。
これは、同志社の創設者、新島襄と妻八重の旧邸です。

残念ながら見学は要予約、やんわりとお断りされました。

明治11年竣工。八重が86歳まで暮らしたお家です。
代々木の巨大なスタジオに、再現されるかもしれないですね。

河原町通。
大正浪漫を感じさせる、丸太町東洋亭。

創業者は大正時代に、19歳の若さで世界一周、仏蘭西で料理を学び、大正13年にこのレストランを開いたそうです。
鴨川沿いに出ます。

二条から三条。

市民のオアシスですね。
仙台の広瀬川もこんなふうになって欲しいと思っているのですが、府庁舎で案内していただいた方の説明では、もともと鴨川はもっと東を流れていたそうです。

平安京が整備されるに従って、流量がコントロールされ、位置も変わって、今の姿なんですね。

水量の変化が激しい急流、広瀬川では難しいのかもしれません。
地酒屋さん。獺祭はどこでも人気のようですね。

ホテル近所の何気ないお寺の門。奥は幼稚園でした。

三条大橋。

学生時代、tsunaさんも一緒に、北海道で引っ掛けた、知り合った大阪の女子大生たちと、太秦に遊びに行こうと、京都三条で待ち合わせ。

彼女たちは当然のように嵐山の方の三条で待っていたのですが、僕らは迷わずこの辺りで待ってたんですね。
会えるはずがありません。

いろんなことを思い出す、京都散歩でもあるのでした。

これは珍しいのかな。
京町家の建物ですが、醤油の醸造元です。明治12年創業の、澤井本店。美味そうです。

土蔵もなんとなく、京都らしく品がある雰囲気。

車で来てたら買って帰るのだけれど。
烏丸通に戻って、御所の西側を北へに行くと、赤レンガ造りの建物が沢山並んでいました。

同志社大学ですね。礼拝堂は明治19年の建築だそうです。

大勢の学生たち。
実は高校3年生当時、通っていた高校は自由な校風で、ほとんどの生徒は大学に進学するのですが、一浪が標準。特に男子は、クラスから二人しか現役で入学しませんでした。
私もそのつもりで、志望を高めにしぼり、大学を4つ、予備校をふたつ受験したのですが、なんとなく浪人して、翌年は京都の大学を受験しようかと思っていたんですね。
観光で来るよりも、学生として生活してみたかったと言うことでしょうか。

最初の三つの大学と、予備校ひとつは桜散る。
ところが次の予備校と、発表がエイプリルフールにあった大学には合格したんですね。
学費は、予備校のほうが五倍か十倍ぐらい高い。
それで東京にある大学、自宅から通えるし、実は高校よりも近い大学に入学決定、クラスで二人のうちの一人になったのでした。まぐれだったと思いますが、まぁ親孝行は出来ました。自画自賛。
そんなことを思い出しながら、もしかしたら此処で学んだかもしれないキャンパスを歩いていると、なんだか華やかな雰囲気。

いつの間にか同志社女子大になってました。此処はどう頑張っても入れなかったな。
女子大の中を、カメラをぶら下げて歩くおっさん、危険です。
なんとなく今出川通から、寺町通へ右折。通りの名前が、いちいちそそられますね。
立派な門構えのマンション、さすが京都です。

画廊には、ビュフェの版画。

旅行者と思われる中年のご夫婦が、ビュフェに誘われて店に入って行きました。
これは、同志社の創設者、新島襄と妻八重の旧邸です。

残念ながら見学は要予約、やんわりとお断りされました。

明治11年竣工。八重が86歳まで暮らしたお家です。
代々木の巨大なスタジオに、再現されるかもしれないですね。

河原町通。
大正浪漫を感じさせる、丸太町東洋亭。

創業者は大正時代に、19歳の若さで世界一周、仏蘭西で料理を学び、大正13年にこのレストランを開いたそうです。
鴨川沿いに出ます。

二条から三条。

市民のオアシスですね。
仙台の広瀬川もこんなふうになって欲しいと思っているのですが、府庁舎で案内していただいた方の説明では、もともと鴨川はもっと東を流れていたそうです。

平安京が整備されるに従って、流量がコントロールされ、位置も変わって、今の姿なんですね。

水量の変化が激しい急流、広瀬川では難しいのかもしれません。
地酒屋さん。獺祭はどこでも人気のようですね。

ホテル近所の何気ないお寺の門。奥は幼稚園でした。

三条大橋。

学生時代、tsunaさんも一緒に、北海道で

彼女たちは当然のように嵐山の方の三条で待っていたのですが、僕らは迷わずこの辺りで待ってたんですね。
会えるはずがありません。

いろんなことを思い出す、京都散歩でもあるのでした。