Category: 街角探検
たっぷり歩いて、足に豆
大阪の朝は、気合です。

いい天気。

東京と似ているようで、何かが違います。

ナニワの都。散歩します。

まずは、中之島、御堂筋を挟んで大阪市役所並びの、日銀大阪支店。

この建物の外装には花崗岩が用いられています。
日本銀行大阪支店の敷地は、江戸時代に島原藩蔵屋敷があった場所で、 1871年(明治4年)には駅逓司大阪郵便役所が置かれました。
設計者の辰野金吾(たつの・きんご 1854-1919)は、 日本銀行の本店や旧小樽支店の設計も行っています。 (某HPから無断引用)
そして、府立中之島図書館。

立派です。ウィキペディアから。
住友家の寄付を受けて建造が開始され、1904年に「大阪図書館」として開館した。設計は野口孫市、日高胖。

1904年(明治37年)にネオ・バロック様式で建てられた建物は、1922年(大正11年)に左右の両翼を建て増しし、現在の形となった。本館は大阪空襲の戦災からも免れ、幾度かの書庫の増築を経て、今も残っている。1974年(昭和49年)、本館と左右の両翼が共に国の重要文化財に指定された。
さらに大阪市中央公会堂です。

凄いですねぇ。
1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

設計は、懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11月17日にオープン。岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年(大正5年)に自殺した。
建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッションを取り入れており、アーチ状の屋根と、松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が特徴となっている。

大阪市中央公会堂は、日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定されている。老朽化が進んだため、1999年(平成11年)3月から2002年(平成14年)9月末まで保存・再生工事が行われ同年11月にリニューアルオープン。耐震補強、免震レトロフィットやバリアフリー化がなされ、ライトアップもされるようになった。
画像もウィキペディアから借用。

堂島川沿い。

楽しい彫刻が並んでいます。

大阪は、ホームレスの多い街でした。

ここらで軽く朝飯。何の変哲もない、普通の喫茶店です。

水上バスにも乗ってみたかったのですが、船着場にはシャッターが降りていました。
そして、こんな建造物、ご存知でしょうか?

国立国際美術館です。

どこに美術館が、と思ったら地下にありました。
地下三階まで。震災浸水対策は大丈夫なのでしょうか。

近代から現代美術の展示。当然館内は撮影禁止なのでパンフのコピーです。

マグリットのレディメイドの花束を見ることが出来ました。昔フィレンツェで見た、ボッティチェリの春の女神フローラが書きこまれている絵です。
美術館の詳しい情報はこちらへ。

大きくはないけど、旅の途中に立ち寄るにはぴったりの素敵な美術館でした。
近い将来、大阪市立近代美術館が隣に移ってくるそうです。大丈夫なのかな震災対策。
梅田へ戻り、バスで空港まで。
来るときはモノレールと阪急電車でしたが、ICOCAはどれにも使えるものの、SUICAはすべて拒否されました。
空港で昼飯。鴨南うどん。

ゲート待合の売店で、黄金一味のコーナーを発見。色いろあるんですね、辛しの一味。

帰りはIBEXの機材でした。

一応ジェットだけど、またまた小さな機体。

調べたらこれもボンバルディアなのでした。
でも革張りシートでしたよ。

またまた空撮シリーズ。琵琶湖です。

おそらく栗東トレセン。

帰りも富士山は反対側でした(涙)。

中禅寺湖と男体山。

戦場ヶ原が色付いているのがわかりますね。

華厳の滝は見えませんでした。

吾妻山。毎度お馴染みのツーリングルートを空から眺めるのは、なんともいい気分です。

桶沼や浄土平の駐車場もよく見えます。

天気のお陰で、往復たっぷり鳥瞰旅行を楽しむことが出来ました。

仙台空港では、また歩かされました。

いい天気。

東京と似ているようで、何かが違います。

ナニワの都。散歩します。

まずは、中之島、御堂筋を挟んで大阪市役所並びの、日銀大阪支店。

この建物の外装には花崗岩が用いられています。
日本銀行大阪支店の敷地は、江戸時代に島原藩蔵屋敷があった場所で、 1871年(明治4年)には駅逓司大阪郵便役所が置かれました。
設計者の辰野金吾(たつの・きんご 1854-1919)は、 日本銀行の本店や旧小樽支店の設計も行っています。 (某HPから無断引用)
そして、府立中之島図書館。

立派です。ウィキペディアから。
住友家の寄付を受けて建造が開始され、1904年に「大阪図書館」として開館した。設計は野口孫市、日高胖。

1904年(明治37年)にネオ・バロック様式で建てられた建物は、1922年(大正11年)に左右の両翼を建て増しし、現在の形となった。本館は大阪空襲の戦災からも免れ、幾度かの書庫の増築を経て、今も残っている。1974年(昭和49年)、本館と左右の両翼が共に国の重要文化財に指定された。
さらに大阪市中央公会堂です。

凄いですねぇ。
1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

設計は、懸賞付き建築設計競技(最終的に13名が参加)により岡田信一郎案が1位となり、岡田の原案に基づいて、辰野金吾・片岡安が実施設計を行った。1913年(大正2年)6月に着工、1918年(大正7年)11月17日にオープン。岩本栄之助は第一次大戦による相場の変動で大きな損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年(大正5年)に自殺した。
建物は鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建て。意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはセセッションを取り入れており、アーチ状の屋根と、松岡壽によって天地開闢が描かれた特別室の天井画・壁画が特徴となっている。

大阪市中央公会堂は、日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定されている。老朽化が進んだため、1999年(平成11年)3月から2002年(平成14年)9月末まで保存・再生工事が行われ同年11月にリニューアルオープン。耐震補強、免震レトロフィットやバリアフリー化がなされ、ライトアップもされるようになった。
画像もウィキペディアから借用。

堂島川沿い。

楽しい彫刻が並んでいます。

大阪は、ホームレスの多い街でした。

ここらで軽く朝飯。何の変哲もない、普通の喫茶店です。

水上バスにも乗ってみたかったのですが、船着場にはシャッターが降りていました。
そして、こんな建造物、ご存知でしょうか?

国立国際美術館です。

どこに美術館が、と思ったら地下にありました。
地下三階まで。震災浸水対策は大丈夫なのでしょうか。

近代から現代美術の展示。当然館内は撮影禁止なのでパンフのコピーです。

マグリットのレディメイドの花束を見ることが出来ました。昔フィレンツェで見た、ボッティチェリの春の女神フローラが書きこまれている絵です。
美術館の詳しい情報はこちらへ。

大きくはないけど、旅の途中に立ち寄るにはぴったりの素敵な美術館でした。
近い将来、大阪市立近代美術館が隣に移ってくるそうです。大丈夫なのかな震災対策。
梅田へ戻り、バスで空港まで。
来るときはモノレールと阪急電車でしたが、ICOCAはどれにも使えるものの、SUICAはすべて拒否されました。
空港で昼飯。鴨南うどん。

ゲート待合の売店で、黄金一味のコーナーを発見。色いろあるんですね、辛しの一味。

帰りはIBEXの機材でした。

一応ジェットだけど、またまた小さな機体。

調べたらこれもボンバルディアなのでした。
でも革張りシートでしたよ。

またまた空撮シリーズ。琵琶湖です。

おそらく栗東トレセン。

帰りも富士山は反対側でした(涙)。

中禅寺湖と男体山。

戦場ヶ原が色付いているのがわかりますね。

華厳の滝は見えませんでした。

吾妻山。毎度お馴染みのツーリングルートを空から眺めるのは、なんともいい気分です。

桶沼や浄土平の駐車場もよく見えます。

天気のお陰で、往復たっぷり鳥瞰旅行を楽しむことが出来ました。

仙台空港では、また歩かされました。