Category: 街角探検
土蔵が先か、内蔵が先か
昨日から続く。
さて、今回の旅の目的は、蔵の見学なんです。

酒蔵ですね。

見慣れた機材がたくさん並んでいます。

目的は、菰樽の奥にあるやつなんですが、その前に気になるコーナー。車線変更。

ありゃーーー、罠だ、罠が仕掛けてある、酒呑みトラップ。

朝から試飲しちゃいました、もう運転できない。日の丸醸造の「まんさくの花」です。
本線に復帰。
下の画像の黒漆喰の壁は、もちろん蔵の外壁なんですが、この蔵、最初の画像の木造のお店の中にあるんです。この内蔵構造が、増田の街に残る建物の特色なんですね。
内蔵、家の中に内蔵されていますが、ないぞうではないぞう、うちぐらと読みます。
世界中で、この増田だけにあるのかも。

蔵の中。すんごいJBLのスピーカーが並んでいたりしますが、内蔵の中では、SONYのブックシェルフスピーカーみたい。

蔵の中専用の階段。床もそうですが、ピカピカです。漆塗り?

実に変わった壁の作りです。
立入禁止でしたが、二階はこんな具合だそうです。

日の丸醸造。元禄二年(1689年)創業、文庫蔵は明治41年(1908年)の建築、国登録有形文化財です。

こんな内蔵が、増田の街には50棟以上或るそうなのですが、そのうち21棟が年に一度公開されるのでした。
こちらは、明治前期の建物、石直商店。

内蔵はなかったのかな。蔵はなくても有形文化財。凄いね増田。

佐藤多三郎家かな。明治後期の建築。

此処にも典型的な内蔵がありました。座敷蔵と呼ぶそうです。

二階の天井、何じゃーーーこりゃ。

内蔵の天井ってことは、たぶん屋根は室内にあるわけですよ。なんのためにこんなにがっちりしたもんを作るの??

これも室内の廊下に面した内蔵の外側の意匠、見事ですねぇ、でも普通の人は外から見られないわけです。
私が痺れたのはこの黒漆喰と白のエッジのコントラスト。見事です。

何と言うか、まるで自分の富を、見せたくない人の目から、隠そうとして造られたような構造です。
実物大のミニチュア(?)土蔵。
次は旧村田薬舗。

明治30年頃建築。ちょっと庶民的な感じがしました。

アンティークがいっぱい。

そして一番行きたかったのは此処でした。カメラ屋さん。

マタロクカメラ、佐藤又六商店です。これも明治前期の建築で、国の登録有形文化財。
此処が一番、内蔵の切妻部分が表から見えます。

展示してあったカメラは大したことありませんでしたが、此処は表側の主屋と、一番奥の文庫蔵のダブル内蔵。
奥行き100mだそうです。
普通に歩く分にはどこが蔵の中か外かは、あまり感じません。カメラ屋らしい灰皿。

これが裏の方から、主屋の内蔵へ入るところ。

今も住まわれているのでしょう。

本当に見事な建物が残されているものです。

通りに更地がありまして、売りに出ていました。

170坪、蔵つき。いいなぁ。
そして山中一郎家。明治19年(1886年)建築の国登録有形文化財。
左の書は西郷隆盛筆です。

複雑な天井(これは蔵の外ですが)の構造。

此処は内蔵の表だけしか見ることが出来ませんでした。

しかし、蔵が火事や天災から大切な物を守るためにあるのは当然ですが、金庫のように、元々家の中にあったのか、他の地方のように、母屋とは別に倉庫として建てられたのが普通なのか、増田を歩いていると解らなくなって来ます。

次は見事な三階建ての木造建築、旧石田理吉家。

これは昭和13年建築だそうです。

東海林重太郎家、これも国登録有形文化財です。

なんと明治二年(1869年)建築ですから、五稜郭が、明治政府軍に渡った年ですよ。もう国宝級。

あまり写真は撮っていませんが、こんな着物の展示もありますよ。

角の酒屋さんの店頭。

お猪口を一個いただきました。
そして、漆蔵資料館。

増田の「蔵の日」のポスターに使われている、見事な内蔵です。

此処は普段も見られる施設ですから、手入れも行き届いているのでしょう。

またまた感動の白エッジon黒漆喰。

そして内蔵二階の床。ピッカピカです。

この内蔵は、大正10年(1921年)建築で、これも国登録の有形文化財。

見事すぎます。

昨日の記事にあった佐藤養助商店の稲庭饂飩はこの建物内で食べられるのでした。
喫茶部もあり。

全ての内蔵を全部見てまわるのは、困難なことがこのあたりで判明したのでした。
最後に、旧勇駒酒造。

なんと宝暦4年(1754年)建築の宝暦蔵。ライブ演奏会場になってますが、これは内蔵じゃないかな。

また来年も根性入れて見に行きたいものです。
増田のみなさんありがとう。
詳細な説明と各蔵の画像が載っているサイトはこちら。
仙秋ライン、鳴子古川経由で還って来ました。
さて、今回の旅の目的は、蔵の見学なんです。

酒蔵ですね。

見慣れた機材がたくさん並んでいます。

目的は、菰樽の奥にあるやつなんですが、その前に気になるコーナー。車線変更。

ありゃーーー、罠だ、罠が仕掛けてある、酒呑みトラップ。

朝から試飲しちゃいました、もう運転できない。日の丸醸造の「まんさくの花」です。
本線に復帰。
下の画像の黒漆喰の壁は、もちろん蔵の外壁なんですが、この蔵、最初の画像の木造のお店の中にあるんです。この内蔵構造が、増田の街に残る建物の特色なんですね。
内蔵、家の中に内蔵されていますが、ないぞうではないぞう、うちぐらと読みます。
世界中で、この増田だけにあるのかも。

蔵の中。すんごいJBLのスピーカーが並んでいたりしますが、内蔵の中では、SONYのブックシェルフスピーカーみたい。

蔵の中専用の階段。床もそうですが、ピカピカです。漆塗り?

実に変わった壁の作りです。
立入禁止でしたが、二階はこんな具合だそうです。

日の丸醸造。元禄二年(1689年)創業、文庫蔵は明治41年(1908年)の建築、国登録有形文化財です。

こんな内蔵が、増田の街には50棟以上或るそうなのですが、そのうち21棟が年に一度公開されるのでした。
こちらは、明治前期の建物、石直商店。

内蔵はなかったのかな。蔵はなくても有形文化財。凄いね増田。

佐藤多三郎家かな。明治後期の建築。

此処にも典型的な内蔵がありました。座敷蔵と呼ぶそうです。

二階の天井、何じゃーーーこりゃ。

内蔵の天井ってことは、たぶん屋根は室内にあるわけですよ。なんのためにこんなにがっちりしたもんを作るの??

これも室内の廊下に面した内蔵の外側の意匠、見事ですねぇ、でも普通の人は外から見られないわけです。
私が痺れたのはこの黒漆喰と白のエッジのコントラスト。見事です。

何と言うか、まるで自分の富を、見せたくない人の目から、隠そうとして造られたような構造です。
実物大のミニチュア(?)土蔵。
次は旧村田薬舗。

明治30年頃建築。ちょっと庶民的な感じがしました。

アンティークがいっぱい。

そして一番行きたかったのは此処でした。カメラ屋さん。

マタロクカメラ、佐藤又六商店です。これも明治前期の建築で、国の登録有形文化財。
此処が一番、内蔵の切妻部分が表から見えます。

展示してあったカメラは大したことありませんでしたが、此処は表側の主屋と、一番奥の文庫蔵のダブル内蔵。
奥行き100mだそうです。
普通に歩く分にはどこが蔵の中か外かは、あまり感じません。カメラ屋らしい灰皿。

これが裏の方から、主屋の内蔵へ入るところ。

今も住まわれているのでしょう。

本当に見事な建物が残されているものです。

通りに更地がありまして、売りに出ていました。

170坪、蔵つき。いいなぁ。
そして山中一郎家。明治19年(1886年)建築の国登録有形文化財。
左の書は西郷隆盛筆です。

複雑な天井(これは蔵の外ですが)の構造。

此処は内蔵の表だけしか見ることが出来ませんでした。

しかし、蔵が火事や天災から大切な物を守るためにあるのは当然ですが、金庫のように、元々家の中にあったのか、他の地方のように、母屋とは別に倉庫として建てられたのが普通なのか、増田を歩いていると解らなくなって来ます。

次は見事な三階建ての木造建築、旧石田理吉家。

これは昭和13年建築だそうです。

東海林重太郎家、これも国登録有形文化財です。

なんと明治二年(1869年)建築ですから、五稜郭が、明治政府軍に渡った年ですよ。もう国宝級。

あまり写真は撮っていませんが、こんな着物の展示もありますよ。

角の酒屋さんの店頭。

お猪口を一個いただきました。
そして、漆蔵資料館。

増田の「蔵の日」のポスターに使われている、見事な内蔵です。

此処は普段も見られる施設ですから、手入れも行き届いているのでしょう。

またまた感動の白エッジon黒漆喰。

そして内蔵二階の床。ピッカピカです。

この内蔵は、大正10年(1921年)建築で、これも国登録の有形文化財。

見事すぎます。

昨日の記事にあった佐藤養助商店の稲庭饂飩はこの建物内で食べられるのでした。
喫茶部もあり。

全ての内蔵を全部見てまわるのは、困難なことがこのあたりで判明したのでした。
最後に、旧勇駒酒造。

なんと宝暦4年(1754年)建築の宝暦蔵。ライブ演奏会場になってますが、これは内蔵じゃないかな。

また来年も根性入れて見に行きたいものです。
増田のみなさんありがとう。
詳細な説明と各蔵の画像が載っているサイトはこちら。
仙秋ライン、鳴子古川経由で還って来ました。