Category: 街角探検
そんな時代もあぁったねと
昇天教会と最勝院を回ったあと、街へ戻ります。歩き始めてここまで一時間ぐらい。

目抜き通りの土手町。歩道にずっと子供の足型が続きます。

昼飯は珍しく、喫茶店へ。

「弘前は珈琲の街です委員会」と言う組織があるらしいのですが、此処もその一員、煉瓦亭。
BGMはオールディーズ、ルイジアナママ、ダイアナ、サーフィンUSA..........。

ライスランチ、パスタランチがどちらもコーヒー付きで700円。
こちらは本日の、焼そば・生姜焼き弁当。

今回の旅で一番美味しかった珈琲。

あったまったら即行軍再開です。
すぐ先にもう一軒、委員会所属の珈琲店がありました。こちらも良さ気。

弘前らしい、お洒落なお店が続きます。

弘前公園に近づくと、歩道はもうボブスレーのコース状態。

目抜き通りには一軒もなかったコンビニの看板にも、なぜかほっとさせられます。
私の靴は深めのスニーカーですが、出し入れできるスパイク付きです。

ただ、その上は普通のジーンズなので、足が沈みそうな雪原には入れません。
東北最古のプロテスタント系教会、日本キリスト教団 弘前教会。

1875年(明治8年)の建築。ノートルダム寺院を真似たそうです。

続いて、旧弘前市立図書館。実に美しい建物です。

昭和初期と平成になってから、二度の移築を経験し、今の場所に遺されていますが、オリジナルは1906年(明治39年)の建築。

そしてこれもその隣に移築されている、旧東奥義塾外人教師館。

1903年(明治36年)に、弘前市立東奥義塾(現:東奥義塾高等学校)に招かれていた英語教師の宿舎として建設されたもので、1987年(昭和62年)の同校移転時に市に寄贈され保存・一般公開されているそうです。
この裏に、弘前版ワールドスクエア、ミニチュア建築のならんだ公園があるのですが、冬は雪囲いされていて今ひとつです。

同じ敷地内に、弘前ねぷたなどの展示館がありました。

市の南西部、禅林街へと行軍は続きます。

長勝寺を始め、何十というお寺が集まる地域なんですが、見たかった建物は此処。

栄螺(さざえ)堂。1839年(天保10年)の建築。珍しい八角形のお堂です。

内部にも色々凝った工夫があるそうなのですが、入れませんでした。
街へ戻ります。

今更、雪かき道具を販売している店がありました。雪国にも泥縄な人はいるんでしょうか。

右上は、カンジキかな。
弘前大学の医学部附属病院の前を通って、今度は此処です。

青森銀行記念館、明治12年(1879年)に青森で初めて開業した銀行、第五十九銀行の本店、明治37年(1904年)の建築です。

堀江佐吉という地元の方が設計施工したとか、すごいですね。
そして今度は、映画「津軽百年食堂」の撮影にも使用された、旧弘前無尽社屋(三上ビル)、1927年(昭和2年)の建築。

弘前無尽株式会社(後に弘前相互銀行)が自社専用ビルとして建設したもの。弘前では二番目の鉄筋コンクリート造建造物である(一番目の「角は呉服店」は現存せず)。隅切りされた角からのアプローチが珍しく、外観は垂直性を強調したすっきりしたデザインでまとめられている。(某HPより引用)
つまり弘前で一番古い鉄筋コンのビル。

昼飯のあと、一時間半は歩いたので、ここで休憩です。珈琲時代屋。

ママが一人で珈琲を入れてるお店に、常連風のお客さんが4-5人。
カウンターの端っこが空いてました。BGMはラジオだったかな。ABS。

ママが先生と呼ぶ、ご老人が、新聞にほとんど顔をくっつけて読んでいました。棟方志功みたい。

二人の会話、津軽弁はほとんど外国語。さっぱり判りませんでした。

土手町の道路はロードヒーティングが通っていて歩きやすいこと、この後夕方はどこを見て歩けばいいか、いろいろ教わって店をあとにします。

ちなみに、この時代屋は、前述の委員会には所属していません。

目抜き通りの土手町。歩道にずっと子供の足型が続きます。

昼飯は珍しく、喫茶店へ。

「弘前は珈琲の街です委員会」と言う組織があるらしいのですが、此処もその一員、煉瓦亭。
BGMはオールディーズ、ルイジアナママ、ダイアナ、サーフィンUSA..........。

ライスランチ、パスタランチがどちらもコーヒー付きで700円。
こちらは本日の、焼そば・生姜焼き弁当。

今回の旅で一番美味しかった珈琲。

あったまったら即行軍再開です。
すぐ先にもう一軒、委員会所属の珈琲店がありました。こちらも良さ気。

弘前らしい、お洒落なお店が続きます。

弘前公園に近づくと、歩道はもうボブスレーのコース状態。

目抜き通りには一軒もなかったコンビニの看板にも、なぜかほっとさせられます。
私の靴は深めのスニーカーですが、出し入れできるスパイク付きです。

ただ、その上は普通のジーンズなので、足が沈みそうな雪原には入れません。
東北最古のプロテスタント系教会、日本キリスト教団 弘前教会。

1875年(明治8年)の建築。ノートルダム寺院を真似たそうです。

続いて、旧弘前市立図書館。実に美しい建物です。

昭和初期と平成になってから、二度の移築を経験し、今の場所に遺されていますが、オリジナルは1906年(明治39年)の建築。

そしてこれもその隣に移築されている、旧東奥義塾外人教師館。

1903年(明治36年)に、弘前市立東奥義塾(現:東奥義塾高等学校)に招かれていた英語教師の宿舎として建設されたもので、1987年(昭和62年)の同校移転時に市に寄贈され保存・一般公開されているそうです。
この裏に、弘前版ワールドスクエア、ミニチュア建築のならんだ公園があるのですが、冬は雪囲いされていて今ひとつです。

同じ敷地内に、弘前ねぷたなどの展示館がありました。

市の南西部、禅林街へと行軍は続きます。

長勝寺を始め、何十というお寺が集まる地域なんですが、見たかった建物は此処。

栄螺(さざえ)堂。1839年(天保10年)の建築。珍しい八角形のお堂です。

内部にも色々凝った工夫があるそうなのですが、入れませんでした。
街へ戻ります。

今更、雪かき道具を販売している店がありました。雪国にも泥縄な人はいるんでしょうか。

右上は、カンジキかな。
弘前大学の医学部附属病院の前を通って、今度は此処です。

青森銀行記念館、明治12年(1879年)に青森で初めて開業した銀行、第五十九銀行の本店、明治37年(1904年)の建築です。

堀江佐吉という地元の方が設計施工したとか、すごいですね。
そして今度は、映画「津軽百年食堂」の撮影にも使用された、旧弘前無尽社屋(三上ビル)、1927年(昭和2年)の建築。

弘前無尽株式会社(後に弘前相互銀行)が自社専用ビルとして建設したもの。弘前では二番目の鉄筋コンクリート造建造物である(一番目の「角は呉服店」は現存せず)。隅切りされた角からのアプローチが珍しく、外観は垂直性を強調したすっきりしたデザインでまとめられている。(某HPより引用)
つまり弘前で一番古い鉄筋コンのビル。

昼飯のあと、一時間半は歩いたので、ここで休憩です。珈琲時代屋。

ママが一人で珈琲を入れてるお店に、常連風のお客さんが4-5人。
カウンターの端っこが空いてました。BGMはラジオだったかな。ABS。

ママが先生と呼ぶ、ご老人が、新聞にほとんど顔をくっつけて読んでいました。棟方志功みたい。

二人の会話、津軽弁はほとんど外国語。さっぱり判りませんでした。

土手町の道路はロードヒーティングが通っていて歩きやすいこと、この後夕方はどこを見て歩けばいいか、いろいろ教わって店をあとにします。

ちなみに、この時代屋は、前述の委員会には所属していません。