Category: 音楽
♬DOWN TOWNへ くりだそう
最近、さる方からのメールに、昔懐かしいバンドの名がありました。

1970年代に山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド、シュガーベイブ。
たぶん残したアルバムは、「SONGS」だけ。

プロデューサー大瀧詠一が自らフェーダーをコントロールしたと言われる、ナイアガラレーベルのレコードです。

高校時代に聴き始めた、はっぴいえんど好きから、大瀧詠一、シュガーベイブへの流れ、ロックでもフォークでも、歌謡曲でもない、そしてさらに欧米ポップスの真似でもない、日本のポップス、私はそれがサザンオールスターズへも繋がっていると思うのですが、無名でしたが、まさに個性的で素敵なバンドでした。

画像は、SONGSのCD盤に入っているブックレットからなんですが、ビジュアル的にはロック系ですね。
当時はいわゆるロック喫茶が、ライブ演奏が聞ける場所へグレードアップした時代で、比較的近所の、吉祥寺から荻窪までや、下北沢や渋谷がライブのメッカでした。

まだこの手のバンドがテレビに出るなんて、考えられない時代でしたから、大学時代には時々通ったのですが、思い出すのが下北ロフトでの、シュガーベイブ。
(矛盾してますが)地下にあったロフトへ降りる階段で順番待ちしていたら、5人ぐらい前で満員になっちゃったんです。見られない。
下北ロフトは小さい店で、楽屋もなく、ステージ横の一角が彼らの楽屋がわりのスペースだったんです。

そうしたら、まもなく達郎くんが、そこのスペースを空けて、もっと入ってもらおうと言い出してくれたんですね。
それで晴れて、解散前の数少ないライブを聞くことができたんです。

その時入場できた数人は、きっと今でも達郎くんのファンなはずです。
オリジナルナンバーはもちろん、鈴木茂の「砂の女」を演奏して、かっこ良かったのをよく覚えています。
そして、楽屋を私らに開放したために、引き上げる場所がなくなった彼らは、3回も4回もアンコールを続ける事になったのでした。
得意のウィキペディアによると、1976年の1月24日と、2月14日に下北沢ロフトで演奏しています。
1月の方かな。ちょうど35年前ですよ、年を取るわけです。
その後、3月31日に解散コンサートを開いています。

1970年代に山下達郎や大貫妙子が所属していたバンド、シュガーベイブ。
たぶん残したアルバムは、「SONGS」だけ。

プロデューサー大瀧詠一が自らフェーダーをコントロールしたと言われる、ナイアガラレーベルのレコードです。

高校時代に聴き始めた、はっぴいえんど好きから、大瀧詠一、シュガーベイブへの流れ、ロックでもフォークでも、歌謡曲でもない、そしてさらに欧米ポップスの真似でもない、日本のポップス、私はそれがサザンオールスターズへも繋がっていると思うのですが、無名でしたが、まさに個性的で素敵なバンドでした。

画像は、SONGSのCD盤に入っているブックレットからなんですが、ビジュアル的にはロック系ですね。
当時はいわゆるロック喫茶が、ライブ演奏が聞ける場所へグレードアップした時代で、比較的近所の、吉祥寺から荻窪までや、下北沢や渋谷がライブのメッカでした。

まだこの手のバンドがテレビに出るなんて、考えられない時代でしたから、大学時代には時々通ったのですが、思い出すのが下北ロフトでの、シュガーベイブ。
(矛盾してますが)地下にあったロフトへ降りる階段で順番待ちしていたら、5人ぐらい前で満員になっちゃったんです。見られない。
下北ロフトは小さい店で、楽屋もなく、ステージ横の一角が彼らの楽屋がわりのスペースだったんです。

そうしたら、まもなく達郎くんが、そこのスペースを空けて、もっと入ってもらおうと言い出してくれたんですね。
それで晴れて、解散前の数少ないライブを聞くことができたんです。

その時入場できた数人は、きっと今でも達郎くんのファンなはずです。
オリジナルナンバーはもちろん、鈴木茂の「砂の女」を演奏して、かっこ良かったのをよく覚えています。
そして、楽屋を私らに開放したために、引き上げる場所がなくなった彼らは、3回も4回もアンコールを続ける事になったのでした。
得意のウィキペディアによると、1976年の1月24日と、2月14日に下北沢ロフトで演奏しています。
1月の方かな。ちょうど35年前ですよ、年を取るわけです。
その後、3月31日に解散コンサートを開いています。
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