Category: 祭りだワッショイ
昼行灯は忠臣蔵

上の画像だけクリックすると拡大されます。
参考までに、下の画像が我々の場所から花火の上がる方向を見た図。

右の傘をさした人の位置が最前列、向こうは雄物川です。
左の柵が有料桟敷席との境になります。
つまり正面に陣取る桟敷客に向いて上がる花火を、斜め45度方向から見る形ですね。球形の花火はどちらから見ても同じですけど。
17時に始まるのが恒例、昼花火。

今や国内でも大曲限定のイベントとなっているようです。

夜の花火では邪魔な、煙に色を付けて、音と共に楽しませます。
競技としては五連発の決まり。

同じ色を五発上げるもの。

五色で楽しませるもの。

夜花火でも使われる技ですが、発煙部分が落下傘にぶら下がっていて、ゆっくりゆっくり煙を出しながら、くるくる回りながら降りて来ます。

夜花火より音も大きいような気がします。

目立ちませんが、もちろん光るものもあり。

夜の大会が始まるまでの時間をこんな形で楽しませてくれるんですね。

大会のHPから引用します。
夕刻から行われる昼花火は全国でも貴重であり、今日、競技会としては大曲でしか見られなくなりました。昼の花火では音ばかりではなく、七色の煙と光が楽しめます。また、パラシュートに吊る花火も明るい昼だからこそというものもあり、昼花火の楽しみ方は多種多様です。

夜と違って昼の空の色は様々ですし、天気の状況によってもその効果は大きく変わります。晴天の青空では白い煙も冴えますが、どんよりとした曇り空では見えません。反対に、黒い煙菊や黄菊はくっきりと浮かび上がります。また、煙はすぐには消えず、空を漂います。風の向き・強さによって、大空のキャンバスには花火師の意図しない絵が描かれます。そこに夜の花火とは違った趣があるのです。

そんな昼花火をのんびり楽しんでいると、夕闇が近づいてきます。
なんと40分の競技の最後には、百周年特別、昼花火スターマインがありました。

これには一同感激。大会関係者と、花火職人たちの心意気が、じわじわグングン伝わってくる一大イベントです。

これが終わると夜花火まではいよいよあと一時間。
わくわくドキドキの時間帯なんですが、寝ている人達も多いんです。

上の写真の中央右の三脚が私の撮影ポジション。
寝っ転がったり、リラックスした状態で花火を楽しむことが出来ました。
これは有料の狭い桟敷席では不可能なんです。
無料芝生席の一番端、かなり遠いけど、まだこんなにスペースはあります。

さぁ、トイレを済まし、二時間半の超特大スペクタクルの時間です。
Category: 祭りだワッショイ
人ごみは嫌いなんですけどね
金曜日、仕事を終え帰宅、シャワーを浴びて20時過ぎに出発です。

東北道に乗り、鶴巣SAで夕食。

今回は雨の予報はありません。天気には恵まれそうです。

秋田道では若干速度が落ちたものの、23時前には目的地のインターから出ることが出来ました。

24時まで高速内で粘れば、ETC割引になったはずですが、混まないうちに現地に入りたかったのでした。

雄物川の河川敷に23時半に到着。
テント設置班に宿泊場所の設営を任せ、私たちは、観覧場所の視察。姫神橋を渡って、歩いて15分ほどの距離です。

お決まりの場所は、向かって右側、有料桟敷席のすぐ外側なんですが、どうも前回から有料桟敷席の隙間に、無料で入れるようになったスペースがあるらしく、そこに入りたい人達の順番待ちの列が、私たちが座りたい場所に展開されており、近づけませんでした。
それでちょっと遠いけど、堤防斜面の場所をまず確保。

いわゆる場所取りは、公式には禁止されており、ブルーシート等は撤去されても文句は言えないのです。
でもやっぱりできるだけ近くで見たい。
河川敷のキャンピングスペースも大きなテントやキャンピングカーでいっぱいです。

このスペースは、ひとグループ2000円、クルマもテント脇に駐車できますが、金曜日の朝には満車。
なんとかテントスペースを知り合いに確保してもらい、堤防の外側にある民間のパーキングに3000円で車を停め、荷物を移動したのでした。

一級河川の河川敷は、公共の場所、年に一度の大イベントのために、整備されていますが、トイレや水道が仮設なのは致し方ありません。
風向きに依って、アンモニア臭も漂います。

寝る場所と観る場所の確保を終え、この日のミッションは終了、軽く宴会です。ビールが美味いひととき。
タープまで展開できなかったので、月夜の下。でも心地良い気温でした。
七夕花火の時にanego(かな?)が持ってきてくれた冷凍酒。

おおさんが送ってくれた本場千葉の真空パック落花生。

どちらも美味かったです。
数時間睡眠。
慣れないテント寝と、朝のキャンプ場の賑やかさで、オジサンは6時には起きてしまいました。

朝靄が漂う雄物川河川敷。キャンプ場の朝は爽やかです。
隣のサイトの奥さんが、入れてくれたコーヒーをいただいて、のんびりあくび。

天気も大丈夫そうですね。

晴れなくても、曇りぐらいでよかったのですが、8時前にはぐんぐん気温が上がってきます。
朝食後再び現場へ。概ね姫神橋の外側がキャンプサイト、内側が観覧場所になります。
手分けして並んだり、いろいろあったのですが、結局いつもの場所を確保でき、堤防斜面の線引きは撤去。

今回の教訓としては、場所取りは当日の朝10時で十分ということでした。
来年はどうなるかわかりませんが。
桟敷席後ろの堤防、かつては自由席だったらしいのですが、綺麗に整備され有料席になっています。

場所を完全確保できたので、あとは食料とビールの買出しです。
街はお祭り一色、屋台や露店もたくさん出ているのですが、本来の食料品店があまりありません。
駅前の可愛いデパートも閉店してしまったし、コンビニも数店のみ。
本当に小さな街なんです。
糞暑い中、買い物と昼食を終え、全く街の散策にも出かけることが出来ない午後、猛暑のキャンプサイト。
でもタープを張る場所も確保できました。
早朝仙台を出た第二班も、秋田道の渋滞の中、何とか昼過ぎには辿りつきました。車も歩いて15分ほどの民間パーキングに停められたそうです。

テント場所まで確保していただいた気仙沼のアマチュアカメラマン、Oさんから恒例の差し入れです。

秋刀魚の串焼き、あまりま見たことがありません。
実は漁が遅れている今年の秋刀魚、まだ気仙沼には入っておらず、わざわざ北海道からのおとりよせだそうです、でもでっっかくて脂たっぷり。
でもこんな豪華なビールのツマミはありません。

しかし案の定。
身が柔らかい秋刀魚は食べてるうちに必ず落っこちるのです。
上手く受け止めて完食。居眠りしたり、まったり午後を過ごしました。
16時半に出発。姫神橋から見る河川敷です。

我々が観覧する無料の芝生広場。カラフルです。
この中でも一番あれに近い一角が我々の場所なんですね。

この雰囲気、私はウッドストックと呼んでいます。

さていよいよです。一昨年の様子はこちら。
Category: カメラ
クラシックカメラマン93

1950年発売、前のモデル、大戦前後に活躍したⅢcに、フラッシュ同調機構を追加したモデルです。バルナックライカの完成品と称されています。
シャッターダイアルの下についているリングと目盛りがその同調用の機能です。

目盛りの文字が黒いのが初期型のいわゆる"ブラックシンクロ"、後期型は赤い文字だそうで、"レッドシンクロ"と呼ばれます。レッドシンクロには、セルフタイマー付きのモデルもあります。M3の登場した1954年製のものだそうです。
ⅢfとⅢc。殆ど変わりませんね。

シンクロ用のダイアルが追加され、巻き上げノブ内に、フィルムの種類表示が入り、シャッターボタンが少し大きくなりました。

実に美しい金属作品です。ゾクゾクしてきませんか?

Ⅲfと戦前のDⅡ。バルナックライカでは、それまでの板金加工品がⅢcからダイキャストボディ、鋳物になり、この時からエプロンと呼ばれるレンズマウント回りの意匠が施されたのでした。

このエプロンは、バヨネットレンズマウントタイプのMシリーズでは、M3,M2までは残されましたが、M4で消滅します。

ⅢfとⅢg。

外観的にはブライトフレーム用の窓が追加されたⅢg、好みが分かれるモデルです。
ライカカメラのリンクは以下。
DⅡ Ⅲc Ⅱf Ⅲf M3 Ⅲg Ⅰg M2 Leicaflex M4 SL SL MOT CL M5 R3 SL2 MOT M4-2 M4-P R4 R5 R6 M6 D-LUX3 D-LUX4
Category: 空花鳥風月雲
8月も終り、月の入り
何代将軍と同じ年だとか、龍馬や篤姫にあったかもとか。
戸籍というのは極東のみのシステムだそうですね。
ウィキペディアによると、
戸籍(こせき)とは、戸と呼ばれる家族集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。日本では、戸籍法に定められている。
以下に述べるように、東アジア諸国特有の制度である。
古代以来の中国の華北社会では戸(こ)と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。そのため政権が社会を把握するためには個々の戸の把握が効果的であり、支配下の民の把握を個人単位、あるいは族的広域共同体単位ではなく、戸単位で行った。この戸単位の住民把握のために作成された文書が戸籍である。中華王朝や漢民族世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍を基礎として行われ、さらには中華文明から政治的、文化的影響を受けつつ国家形成を行った日本、朝鮮半島国家など周辺地域の国家でも戸籍の制度は踏襲された。
要は農耕民族社会では、家は不動、戸を把握しておけば、税の徴収には十分だったということなのでしょう。
一人ひとりが生きているかどうかは二の次というシステムなのかもしれませんね。
アングロサクソン系国家では個人単位、大陸系国家では家族登録制度を採用する傾向がある。戸籍は家族集団単位に把握する制度の代表的なものであるが、国家に認定された家族集団が東アジア固有の戸の思想系譜を引くものでなければ、それは戸籍制度ではない。特にアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリアでは国家による家族登録を行わない伝統を持ち、戸籍のような家族単位の国民登録制度は存在しない。社会保障番号(Social Security Number)制度はあるが、これは年金の加入・支給を管理するため、つまり日本における基礎年金番号に相当するもので、戸籍のようなものは存在せず、結婚などの登録も役所の住民登録で済まされる。
私の戸籍も未だに、世田谷の存在しない戸に棲む、他界した父の子という形。
別にこれじゃダメだというお達しがあるわけもありません。どうすべきなんでしょう。
今月は25日が満月でした。

天文学的にはおそらく、太陽と月の位置が180°開く瞬間が満月なんでしょうが、カレンダー的にはその瞬間がある日が満月日なんでしょうね。
見る人にとっては前後の日も合わせて三日ぐらいは満月ですけど。
これは25日の朝の月。沈んで行く月です。落月、月没。

300mmレンズを使ってデジイチ手持ちで撮ると上のような感じ。
トリミングするとブレているか、ピントが甘いか判っちゃいます。

このぐらいのトリミングが一番心地よいのは国旗を見慣れているからでしょうか。
またまたウィキペディアによれば、
満月(まんげつ)とは、月と太陽の黄経差が180度となること、あるいはその瞬間。これを望(ぼう)ともいう。またこの時に見られる月の形をも指す。これを望月(ぼうげつ・もちづき)、盈月(えいげつ)ともいう。 月齢15日目の十五夜(満月)は、ほぼ 日没とともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈むが、 これ以降は月の出がおよそ50分ずつ遅くなる(つまり、新月では、太陽と同じく朝出てきて、夕方には沈む)。
月の入り。

ベランダから見えるギリギリの位置ですが、雲に隠れそうでした。
満月の時、月と太陽は地球を間において反対側にある。これが完全に直線上に乗れば月食が起こる。満月の日周運動は春と秋、夏と冬を逆にした太陽の日周運動とほぼ同じである。日没頃に昇り、夜半に南中し、日の出頃に沈む。日本では、夏は南東から昇って低く南の空を横切る。冬は北に寄り、南中時の満月は天高く位置する。春分・秋分頃は真東あたりから昇り真西あたりに沈む。
トリミングしてコントラスト補正。

青葉山 暑くて月も 雲隠れ
満月には不思議な力があるとも、満月の夜には犯罪が増えるとも言われていて、これを証明するデータも存在しているとされるが統計的には疑わしく、また機序はまったく不明である。
さて今晩は大曲の花火競技会。雨が降りませんように。
Category: 昭和の香り
忘れ物はないですか

フォクトレンダーブランドのマイクロフォーサーズ用交換レンズ「NOKTON(ノクトン)25mm F0.95」です。(画像は例によって無断借用)
マイクロフォーサーズカメラに装着すると、50mm相当。AFはありませんけど、Olympusなら手ブレ補正は効きます。
面白くなってきました。
ブログに書こう書こうと思っていて忘れていたもの。
まず、先日の七夕花火のあと、お陰様で沢山の食べ物と飲み物が残りましたが、順調に消化させていただいています。ありがとうございます。次回はもう少し少なめで結構です。
それに関連して、入れ物が二つ、忘れられ物。
メモリー目盛り付きの、タッパー。

どなたのものでしょうか? 出来ればお返ししたく。
ところでこの手の密閉式プラ容器をタッパーと呼ぶのはおそらく我々50代以上の世代。
タッパーウェアというのは商品名ですね。
子供のとき、母にくっついて行った集会所かどこかで、販売会みたいなのがあったような記憶があります。
それが初めての出会い。
それまでは蓋付きの陶器の入れ物ぐらいしか家にはありませんでした。
閉めるときは、蓋の真ん中の丸マークを押しながら、耳の部分を少し持ち上げつつ中の空気を抜くのよ、なんて。これこそ、カルチャーショック。
ウィキペディアによると、
タッパーウェア(Tupperware)は、米国のタッパーウェア・ブランズ・コーポレーション(タッパーウェア社)のこと、または同社が製造しているプラスチック容器のこと。
タッパーという名称は、同社の創始者アール・サイラス・タッパー(Earl Silas Tupper : 1907年–1983年)の名に由来し、タッパーやタッパーウェアという名称は同社が製造しているプラスチック製の容器の商品名として商標登録されている。したがって同社以外のプラスチック製の密閉容器全般をタッパーやタッパなどと呼ぶことは厳密に言えば正しくないが、一般にはしばしばそのようにも用いられる。
アメリカで生まれたタッパーウェア社は1963年に日本での販売を開始したが、その際にはアメリカで行っていたのと同様のホームパーティー商法がそのまま導入され、密閉性が高いという評判とアメリカ風の生活への憧れを演出しながら広めるという手法をとった。
たとえば大卒の初任給が15000円程度の当時、直径17cmのボウル6個セットが1360円と高価で、価格面でも高級感が演出された。またホームパーティー方式自体も、共同体意識が急速に薄れつつあった当時の都市部での近所づきあいの機会として確実に拡がった。
誰かの家だったのかな。
母もたぶん何個かは買ってきたと思います。高かったんだな。
もう一つ。
畳めるエコバックです。和紙っぽい(実際は違うけど)材質。

どなたのものでしょうか。
買い物かご、昔のおっかぁはみんな持ってましたね。
母が使っていたのは、籐で編んだような丸っこいやつでした。
お店は必ず、紙袋に商品を包んでくれて、それをその買い物籠に入れていくのでした。
レジ袋に入れてくれるようになったのは、スーパーマーケットが一般化してからでしょうか。
24歳で一人暮らしをするようになったときには買い物かごはなかったような気がします。
25歳でドイツに行ったとき、スーパーのレジ袋は必ず有料で、勿体無い(それからレジで袋下さいとドイツ語で言うのが苦手)ので買い物にいくときは何時も身近にあった袋、大抵は出張帰りに酒を買ってきたデューティーフリーショップのバッグを、ポケットに突っ込んで出かけていました。
ハンガリーかルーマニアあたりに出張したとき、道端でそんなビニールバック(ヨーロッパ人はプラスチックバッグと呼びます)を積んで売っている人がいて、共産圏で不足していたものだったことをひしひしと感じましたが、今から考えれば、傲慢な優越感ですね。カゴがあれば良いのですから。
それで今の日本の流行りはエコバック。とても日本的な現象です。
いろんな場所でもらったり、面白いロゴ入りのものを買い求めたり、家の玄関と車のバックシートに合わせて既に10枚以上あります。
もうこの状態がエコじゃない。
二重三重の包装、まだまだ多いですよね。
最後にまた、ウィキペディア。
端的に言えばマイバッグ運動は、レジ袋の過剰な消費から、繰り返し利用できる買い物袋の使用に切り替えることで、ごみの削減や、それに伴う二酸化炭素などの温室効果ガスの削減、レジ袋の原料となる原油の節約(資源保護)などを目的としている。
その効果は、レジ袋使用時と買い物袋使用時の環境負荷を比較することで明らかとなる。レジ袋1枚(大型のもの)を作るのに必要な原油は約18.3ml、原油1l当たりの二酸化炭素排出量(固有単位当たり係数)は0.7225kgCなので、レジ袋を削減して製造量も同時に減らしたと仮定し、買い物袋の環境負荷を無視した場合、レジ袋1枚あたり0.013222kgC(=13.2gC)の削減効果があると考えられる[6]。買い物袋の環境負荷と合わせて考えるには、買い物袋1袋を作るのに必要な原油の量と、買い物袋1袋をレジ袋何枚分使用するか(レジ袋代替枚数)を算出し、1枚当たり必要原油量(l)×0.7225(kgC)÷レジ袋代替枚数(枚)を計算すればよい。この計算で出る値はレジ袋1枚分に換算した買い物袋の環境負荷なので、この値とレジ袋1枚あたりの値0.013222kgC(=13.2gC)を比較し、後者のほうが大きい場合に効果があるといえる。ただし、これは焼却処分時のCO2だけを考えたもので、ライフサイクルアセスメント(LCA)の手法では、原料採取・製造・輸送・販売で使用するエネルギーまで考慮に入れなければいけない。
また、買い物袋の使用による環境負荷軽減の効果は、同じ買い物袋を長くたくさん使い続けるほど大きくなる。同じように、必要な原油量がより少ない買い物袋に変えたり(石油原料の合成繊維製から天然繊維製に変える、など)、エネルギー消費なども考えたLCA基準で環境負荷が少ない買い物袋に変えることで、効果は大きくなる。
一方、レジ袋から買い物袋に変えた場合新たに増える環境負荷も指摘されている。例えば、レジ袋が果たしていたゴミ袋としての役割が、他の袋で代用された場合の環境負荷などである。
よく解りませんね、どーしたらいいの!?
ところで、週末こんなイベントが。

横丁ビヤガーデン、良いですね。

詳しくはこちらまで。
Category: ドライブ
さまよえる南部氏
昨日の昼飯は、お馴染み八木山十八番の、からし焼き定食。

この夏から初めてサービス定食が始まり、通常800円のこの定食だけ600円なんです。週替わりかと思ったけどずっとこれ。
豆腐を一丁炒めます。下には少し肉も。
腹一杯になりまして、午後は身動き取れず。
先々週末のツーリングの前後に、遠野に関していろいろ調べた中で、ブログに書き込み忘れたネタがありました。

南部煎餅や、鉄器で有名な南部藩。
南部氏が甲斐の国南部の出というのは有名な話ですね。元々は源氏の血。
それこそ前九年後三年の役やらの頃に、北畠親房軍や源氏軍の一端を担って活躍、蝦夷の勢力が小さくなった東北地方に渡って来た一族であるわけです。
八戸の市街の端に、根城(ねじょう)という城址公園があるのですが、どうも此処が最初のまさに根城(ねじろ)。建武元年(1334年)に城を作ったそうです。ここの写真はありません。
その後居城を三戸城に移し、鎌倉時代から戦国時代、さらに盛岡に移って現代まで生き残っているわけです。

本家が三戸に移ったあとも、八戸には分家(一説によるとこっちが宗家)があり、八戸南部氏と呼ばれます。この分家が本家の三戸南部氏と喧嘩して、寛永4年(1627年)ですから伊達政宗と同時代に、遠野に転封されたんです。
だから遠野のお殿様といえば南部氏なんですね。つながってる。
八戸の中心部に残る八戸城址は、八戸南部氏が遠野に移ったあとに入った三戸南部氏の分家が造ったそうです。

今でも三八上北地方の伝統行事には、山梨県南部町と共通するものがあるとか。
ひょっとしたら、河童やオシラサマの伝説も、南アルプスや富士川から来たのかも。
Category: 美味いもん
ちゃんぽんも同類やん
まぁ、なんにもイベントがない日の華は食事ですし。
それで先日サエモン師匠から、野菜不足、ラタトィユを作って保存し食するよう指令が下ったのでした。
サエモンさんや、ぱんだ(親)さんのように、家庭菜園もないし、びーえむあいさんの記事を思い出し、まず買出しです。

JAみやぎ登米の産直市場「あがらいん」。クルマで15分ほどの原町にあるんです。坂下交差点そば。
とにかく安いです。ただし小分けがないので、私の日常には多すぎます。

得意のウィキペディアから。
ラタトゥイユ(仏: Ratatouille)とはフランス南部プロヴァンス地方、ニースの野菜煮込み料理。
ナス、ピーマン、ズッキーニといった夏野菜、香草などをオリーブ油で炒め、トマトを加えてワインで煮て作る。うまみを出すためにベーコンなどの肉類を入れたり、ニンニクや唐辛子を用いる工夫がある。
語源はフランス語のTouiller(かき混ぜる)で、初めのRata-は軍隊言葉で「ごった煮」という意味である。
プロヴァンスには何度か行ったことがあるし、現地で食べたこともあるはずですが、付け合せ風なので、記憶にありません。
あがらいんには、ゴーヤはありましたがズッキーニはありませんでした。どっちにしても茄子だけで十分。
まず賽の目切りの茄子をオリーブ油で炒めます。

ところで、別の料理について、これまたウィキペディアから。
xxxとは、野菜やzzzなどを炒めたyyy料理。xxxとはyyy方言で「混ぜこぜにした」というような意味があり、野菜やzzzに限らず、さまざまな材料を一緒にして炒める。
特に暑い時期で食欲が減退した時でも、ふんだんに野菜のビタミン・ミネラルや、zzzや肉のタンパク質、肉や調理油の脂質といった、各種栄養が取れるよう工夫されている。またバリエーションが多く、近年ではテレビ番組で紹介されるなどして、yyy県以外の日本各地でも食べられるようになった。
さて、xxx、yyy、zzzにはそれぞれなんという言葉が入るでしょう。
茄子にオイルが染み込んだら、玉葱を投入。

トマトは、初めて湯むきとやらをしてみました。

ヘタは先に取っておくのかなぁ。
パプリカは高級食材なので、ピーマンで代用。植物としては同種なんでしょうか。

トマトも投入、ちょっと切り身が大きかったでしょうか。缶詰の方が上手く出来るのかも。
塩胡椒して炒めます。

火が通ったら、白ワインをダブダブかけて、マギーブイヨンを入れ、最初は強火でアルコールを飛ばし(そうしないと朝食べられない)、あとは蓋をして弱火で10分弱煮込みました。

すみません、手振れしてます。
あとはタッパーに入れて冷蔵。
冷えた物を毎日少しずついただきます。

まぁ私には十分美味いです。
予想していたより酸味が強い。生トマトのせいでしょうね。
エリンギを入れると合いそうに思います。豆類も欲しいかな。
おまけ
ウィキペディによるさらに別種の料理の説明。
長崎ちゃんぽんの語源については、諸説ある。福建語の挨拶「吃飯」若しくは「吃飯了」(直訳するなら「飯は食ったか?」)から来ているとの説、同じく福建語の「混ぜる」を意味する語「掺混」から来ているとする説(北京語にはchānの読みで「混ぜる」という字――掺;手偏に参――が有る)が存在する。 また、yyyのxxxと関連があるともいわれる。 語源事典では「異なるものを混ぜること」の語源として、鉦の音(ちゃん)と鼓の音(ぽん)という擬音としてつなげた近世(江戸時代)の造語であるとしている。これらの語源事典では、「混ぜること」より発生が遅い料理名の「ちゃんぽん」について、中国語説を取り上げながらも、「混ぜること」の意味から影響された名前としている。 ただ、いずれも根拠が乏しく単なる連想による民間語源の可能性が強い。
ラタトィユもパスタにからめて食べるらしいし、皿うどんと同じ歴史をたどっているようです。たまたまかぶってしまったサエモンさんのブログによれば、xxxも麺と相性が良いみたいだし、似ていますね。
上記三種類の料理で解ることですが、わざわざ混ぜることを強調するメニューがあるということは、料理の基本は和洋を問わず材料を別々に調理するということなんですか(当たり前?)。
洒落た日本料理の炊き合わせなんかも、別々に煮たり茹でたりして最後の段階で一緒になるのでしょうね、きっと。
今日はとても恥ずかしい記事でした。
Category: 美味いもん
食欲モリ母里
今は直径10cmの長い穴が唯一の地上とのつながり。救出まではまだまだ時間がかかりそうです。
仕事柄、ついつい考えてしまうのは、あのカメラなら入れられる、ケーブルは通せないのか。
もうやってるでしょうね現地の同業者たちは。
日曜日の昼飯。
しばらく自宅以外では食べていなかった蕎麦。

長町、モールの前の「母里」もりと読みます。先日友人を偲ぶ会で来たばかり。
ランチ御膳や、ネギ穴子蕎麦、おまけに今はウナギまで、食べたいものばかり並んでいるのですが、初志貫徹で、蕎麦、これは島豚蕎麦1300円の大盛り250円増です。給料日後の大盤振る舞い。

陶器の鉢が二つ付いてきますが、これはとても全部食べられません。

左が、柚子胡椒、右が、黄金一味です。辛いんだなこれが。
この辛味を味わうだけでもこのお店に行く価値があります。
ちょっとメタボの島豚。んまいんです。黄金一味をパラパラふりかけて、いただきました。

もちろん蕎麦も絶品。長町は良いところです。
そして、カウンターで販売中だったこれもゲット。

BBSの方へ、なおちゃんが投稿してくれてたやつでした。840円。

並みの唐辛子の十倍辛い、京都製。でも辛味が爽やか柑橘系なんです。
その後ガレージでまったり。増殖中のカメラたちを見せていただきました。

負けないぞ!
Category: カメラ
クラシックカメラマン92
昨日は久しぶりに、スワローズ、ベガルタ、イーグルス、三連勝です。
今日紹介するカメラはこれ。
1967年発売、ライカのM4です。

ライカ史上、最も完成されたデザインと言われるカメラ。

文句のつけようがない美しさです。
左からM2、M3、M4。

M3の発表が1954年。機構やデザインを簡略化したものの、35mmレンズ用のファインダーまで備えた廉価版、M2の発表が1958年でした。
M4はそのM3とM2のいいとこ取り。

M2で簡略化されたフィルムカウンターは、M3と同じスタイルに戻っています。
そしてもっとも大きな改善点は、フィルム巻き戻しノブが斜めに取り付けられ、回しやすくなったこと。13年後の改良がこれくらいというのも情けない話ではありますが、良い時代でした。
上から、M4、M3、M2。

デザイン的に大きな違いは、いわゆるエプロンの有無。上がM4で、下がM3です。

M4ではレンズマウントの回りまで、革装が施されていることが美しさの理由でしょうか。
今度はM4キャンディーズ。

左から1981年のM4-P、1978年のM4-2、そして1967年のM4です。
下の写真は、左からM4、M4-P、M4-2です。M4はドイツ製、あとの2台はカナダ製です。

ドイツ製は、ロゴが"Leica"、カナダ製は"Leitz"になっています。

ところで、Mシリーズのファインダーは、倍率は固定ですが、フレームがレンズに依って変化し、下のように表示されます。単位はmm。
M3: 50+135、50、50+90
M2: 35、50、90
M4: 35+135、50、90
M4-2:35+135、50、90
M4-P:35+135、50+75、28+90
M6: 35+135、50+75、28+90
倍率は、M3がx0.91。これは裸眼より僅かに像が小さく見えることを意味します。
その他はx0.75。少し像が小さめに見えることになります。
ところが、このM4、本来出てこないはずの28mmのフレームも出てくるんです。もちろん75mmのフレームも50mmと一緒に出てきます。
おそらく、故障修理か、或いは故意にファインダー光学系をM4-Pのものに交換してあるのです。最初は驚きましたが、このほうが使いやすいので、今は満足しています。
おまけにM6と2ショット。

どちらのデザインがお好みですか?

先日の遠野ツーリングに、持って行きました。MRメーターを着けて試写です。レンズはウルトロン35mm/F1.7。

例によって、ホワイト急便で現像とCD焼きこみ、710円。
山口集落の水車小屋。

たかむろ水光園の曲り家。

同じく土蔵。

なぜか孔雀。網越しです。

カッパ淵。

クラシックカメラで撮ったほうが、河童が写りそうな気がしませんか。

ほら、そこそこ。

やっぱり、フィルムカメラが似合う遠野です。

Category: 美味いもん
大町よいとこ行ったり来たり
二年前と同じ健診センターだったのですが、体重が1kg増、腹囲は1inch増で、女医さんのお託宣はは、いつも言われてるでしょうが、体重を減らしてください、の一言。
返事も何時もと同じ、ハイ、わかりました。
ご存知のとおり、人間ドックの日の朝、朝食は摂れません。
それで楽しみなのは断食破りBreakfastなんです。五橋(今年トラストタワーに移動したようですが)の場合、国際ホテルかSS30の食券が付くので、それでリッチな昼飯をいただくのですが、今回の国分町の方は、それはありません。
しかし、バリウムを頂いているし、先のご託宣の前に、小一時間待つのですが、そこに無料の自動販売機と、スナック類各種があてがわれるんです。
貧乏性の私は、そこでコーヒーやらオニオンスープを飲みつつ、煎餅やあられ類をしこたま齧り、そうか、それが1インチ増の原因だ、結構腹も満たされていたのでした。

で、昼は、まぁ、健診センターから近場の此処へ。
うちからだと歩いて行くには遠いので、あまり行かないんです。
Q: 一風堂になる前、此処はなんの店だったか、御存知ですか?

BGMはモダンジャズ。若くて元気なスタッフたち。
魅力的なランチメニューや、替え玉100円の誘惑もあったのですが、白丸元味750円のみ。麺カタメ。
カウンターの鉢から、辛味もやしと紅生姜をトッピングしています。
ご託宣の効果かな。

やっぱり美味いです。一閃閣の方がスープがもう少しザラザラした感じかな。一風堂の方がまろやか。

バスで帰宅して、高校野球なぞを見つつ、異物の排出にいそしんでいたのですが、まるで、隙を狙ったような悪魔の誘い。
昔の会社のプチ同窓会@仙臺です。
それも場所が一風堂の直ぐ側のお馴染み「大町へそのを」。
時間調整で、床屋に行ったあと再びバスに乗って大町へ。

写真撮り忘れたので、びーえむあいさんのブログから無断拝借事後承諾です。ありがとう。
初めて二階の一番奥の席へ通されました。レトロモダン? 椅子席なのが良いですね。

メイドさんが出てきそう。

乾杯。休肝日明けのビールは、腹に沁みます。
レントゲン台の上で器械体操もしたし。

へそのをと言えば、世界一旨いモツ煮込み。

以前は玉子抜きもあったような気がしますが、今回はもつたま。

地酒の種類が多いというほどではないのですが、綿屋、日高見、愛宕の松、豊盃、好みの酒があるので十分。

部屋が貸切状態で、逆にちょっと寂しい夜でした。

〆にTKGなんかがありました、食べなかったけどね。ご託宣の効果。

店長に挨拶されましたが、最近姉妹店の伊達呑楽居酒屋らくだから異動して来たそうで、名刺をもらいました。

な、な、なんと、また姉妹店が増えています。ココロコーポレーション。
仙臺銀座 居酒屋「輪っか」。新たな攻撃目標だけど、遠いなぁ。誰かレポートお願いします。
Category: ドライブ
うまく伝承できるでんしょう

ただし伝承園そのものに入るには入場料が必要です。

構えはよくある古民家園。

旅人として言わせてもらえれば、このような民家が本物の田園の中に佇んでいたなら最高なんです。

保存するためにはある程度致し方ありませんが、一つ所に寄せて集めた感じ。屋根には定番の百合。

金精様。

移築された曲り家。

とても広い家です。

曲り家とつながっている、オシラサマが集められたオシラ堂。様々な念が籠っているようです。

お蚕棚。

本物の繭から絹糸を紡ぎ出す体験コーナー。

そして本日のメインイベント。

語り部、佐々木イセさんの昔話を聴くことが出来ました。
イセさんが座っているのは、お嫁さんの席。
囲炉裏端には天皇皇后ご夫妻も来られたとか。
みんな、あづまれーーーー。

ご両親がお伊勢参りをした翌年に生まれた、8x歳のイセさん。
この日は偶然、三重県からの旅人もいてびっくりでした。
河童の恩返し、オシラサマ、おなごの座敷わらし。

縁側に寝っ転がって、一日中でも聞いていたい。優しくて懐かしい昔語りでした。

河童や座敷童子には遭遇できませんでしたが、遠野ならではの雰囲気は少し感じてくることが出来ました。

願わくばこんな家に泊まって、回りの山や川で遊びまわってみたいものです。
少し北のほうに、遠野ふるさと村という、類似の施設もあるようです。どっちが本家で、どっちが元祖なんでしょう。
県道国道を走り継いで、遠野から赤羽根峠、住田、高田、海沿いの45号線は混みそうなので、大船渡線と並んで走る県道34号、飯盛峠へ。

45号線の気仙沼バイパスはやっぱり渋滞。
本吉から内陸に入って、和sian-cafe aimakiの前を通過して(寄れば良かった)、林林館「森の茶屋」で昼飯。

森のキリシタン麺、なんのこっちゃ680円。

混みそうな東北道を避けて、三陸道に来たのに、石巻周辺で渋滞。
ちょうどラジオで放送中だった、仙台育英の試合を聞きながら、高速を出たり入ったり。

仙台に着いたのが、ちょうど延長戦終了の午後6時でした。もーーー渋滞は嫌。
Category: ドライブ
どこにでもあるけど
求めていた遠野がありました。ミステリーサークル。

河童の仕業でしょう。

ちょうど100年前に発表された、遠野物語で有名になった遠野ですが、風土も、景色も、伝説も特別なものではありません。

当時も今も、どこにでもある山里です。
明治維新後、急激に進んだ近代化と人の交流移動が、地方特有の伝説を希薄にしてしまう直前に、伝承を記録したことが、佐々木喜善と柳田國男が残した偉大な足跡なのでしょう。

情報化が進んだ現代では、逆に本当の情報を見分けるのが困難になっています。
それを感じた祖父も、柳田たちの後を追って、故郷の民話を収集したに違いありません。

故郷はどこにでもある場所なのに、そこにしかない場所なのだそうです。
デンデラ野。

かつてコストパフォーマンスに見合わなくなった年寄りが捨てられた、もしくは自ら進んで移り住んだ場所。

しかし遠野のデンデラ野は、姥捨山に想像されるような人里はなれた場所ではなくて、里のはずれでした。

年寄りたちは此処で寄り添い、里の仕事を手伝いながら、旅立っていったそうです。

かつて暮らした故郷を見下ろす場所、でんでら野は、蓮台野が訛ったものでしょうか。
山村によく見られる墓地の場所と重なります。
常堅寺。

此処の狛犬は変わっています。


本堂にもこんなペアが。


あの有名な河童の伝説はこのお寺の境内で生まれたようなんです。

本堂のすぐ脇、パワースポットの入り口です。

あの悪戯好きな河童の子を救ったのは、常堅寺の住職さんだったのです。
感じる人は感じるのでしょうね。

二代目の河童釣り師。

七つ道具でしょうか。

スイングパノラマ。クリックすると拡大します。



賑やかな祠の内部。

大雨のあとで、濁っていたせいか、河童は見えません。

残念でした。
駐車場までの道。

背の高い向日葵が並んでいたのですが、その後ろにある植物。

なんだかわかりますか?

国内生産日本一の、痛風の敵の元でした。

現在の遠野の重要な特産物なんです。

新たな伝説は生まれるのでしょうか。
Category: 不健康
年に一度はいろいろあれど

花火の晩の残ったお酒と、鈴木水産の赤身の鮪刺し。
今週月曜日の昼飯。

社食も十八番も休みだったので、山を下って向山の「豪屋」の冷やし中華。700円。
麺にゴーヤが練りこんであって、ほんのり緑色、わかりますか?

火曜日の昼飯は、十八番のソース焼きそば。スープ付きで650円。

仙台育英が敗退し、晴れて甲子園から帰ってきたクルーのお土産。

甲子園クッキー。

そして20時までに食べなければならなかった、昨日の夕飯。

風前の灯、民事再生法適用申請中のスーパー「モリヤ」の幕の内弁当。480円。ポテサラと、赤味噌(花火の時の残り)汁。
そして、アルコールなしの、キリン「休む日のAlc.0.00%」シジミ900個分のエキスが入っている、休肝日用ドリンク。

そうなんです、今日は人間ドックなのでした。
これまた、どうなることやら。
断食明けの昼飯と、晩酌が楽しみです。検診結果は楽しみじゃないけど。
今年の健診は大町の健康医学センター、どこで食べようかなぁ。
店探しをしていると、腹の虫が大騒ぎ。
Category: 街角探検
わりと普通の街でした。
いろいろ歩いてみたかったのですが、とにかく雨が酷く、まだ時間は早いけど宿に入ることにしました。

遠野では有名らしい、古い和菓子屋さんの向かいにある古い旅館です。

遠野に泊まるなら、座敷童子に会えそうな宿。

ピカピカに磨かれた廊下が印象的でした。

古いけど、逗留したら筆も進みそうな部屋。

普通に宿泊客が通行する廊下の向こうの中庭。五月蝿いほど雨粒が落下中です。

野良猫もロビーで雨宿り。

インターネットも繋がらないし、館内探検。

遠野ノスタルジィです。
このまま夜まででは、記事にもならないので、再び濡れた靴を履いて、街角探検。

上は、仙臺屋という駄菓子屋さんだそうです。なぜか仙臺。

遠野の市街は、ごく普通の地方都市の趣ですが、、観光地ということもあるのでしょうか、シャッター通りという場所もなく、落ち着いて静かな街です。

とおの昔話村という場所に古民家風の建物や、ミニ博物館が集中していました。
どうもフレーミングが今イチなのは片手で傘をさしているせいです。

これもよくある地方都市の施設で、遠野に求められるファンタジックなイメージとは、ズレがある感じ。
それでも、雨が半端でないので、さらに近代的な遠野博物館へ。

AVにもお金がかかっていて、予習するにはとても良い施設でした。

今回全体的に感じたことですが、私が求める遠野の雰囲気、懐かしい農村の風景や、河童や座敷童子が顔を出しそうな場所と、今遠野の町が、観光客を受け入れるシステムに大きな乖離がある気がします。
私だけがずれているのかもしれませんが。
普通のリーズナブルなお宿の夕食。

三陸も近いので、海産物中心ですが、期待していたのがジンギスカン。

このために、お昼のあんべを我慢したのに、これではジンギスカン煮。残念。
部屋食だという話だったので、近所の酒屋で買ってきた地酒。

どぶろく風のにごり酒でした、季節限定の辛口。

韓国料理には、マッコリが一番だと思うのですが、どうも海産物に、にごり酒は合いません。

酒自体は書いてあるとおり、美味しいんですがね。
半分だけいただいて、残りは持ち帰り。

〆にご飯と出てきたひっつみ汁が、美味しかったです。
期待していた、座敷童子にも会えず、朝。

朗報です、雨がやみました。
中心部で、比較的良い雰囲気を出している、大工町。

歩道が木製です。

この日は、夜にお盆の花火大会があったせいか、なんとなく華やかさも。

喜多方ほどではありませんが、昔ながらの建物が残っています。

銀山温泉のような木造三階建ても目立ちました。

花火屋さんは、文房具店でした。

まだまだ魅力的な町に変身できそうな気はしました。

雨をたっぷり吸って、垂れ下がった寺町の百日紅。

この日も見守ってくれていたお地蔵さんたち。

可愛らしいシティホテルが併設されているJR遠野駅。ホテルは満室でした。

アウトロー風の河童グループ。

どんな悪さを企んでいるのでしょうか。

遠野で暮らす新市民募集中。

宿にもどって朝食です。

なんとか天気が持って欲しい終戦記念日でした。

Category: ドライブ
曲り家に、あがりや
アテルイの時代から馬の産地としても有名だったようです。

美しく、豊かで静かな、典型的な東北の盆地の町。
ツーリングの途中で立ち寄ったり、釜石広域ウィンドファームを拝みに来たり、何度も遠野には来ているのですが、市内のいわゆる観光スポットを訪れるのは、初めてか、大学時代以来なんです。

そんなひなびた集落のそばにも、コンクリート文化は伸びてきており、花巻から釜石へ向かう高速道路の工事は着々と進んでいます。
今のところ完成しているのは、東和ICまで。そこから遠野に抜けるとき、ちょっと回り道をすると、この曲り家に立ち寄ることが出来ます。遠野の町の西北の端。

重要文化財、南部曲り家、千葉家です。

素人目にも、豪壮、剛健、立派な建物。
曲り家の特徴は片方のウィングが馬屋であることですね。

温かい地方では、門の脇に馬屋がある構造が多いかと思いますが、平和だったから塀や門がなかったのか、馬を大事にするからひとつ屋根の下で暮らしたのか、L字型の構造が、耐久性に影響したのか、まだまだ研究が足りませんが、遠野では新しい建物にもL字型が多いように感じました。

しかしよく降る雨です。

もう一方のウィングが、もちろん母屋です。遠野では至る所にこの馬の手綱を縛る木製の柵がありますね、なんと呼ぶのでしょう。

持ち主の方(受付にいたオジサン?)がこちらで生活されているとのことで、母屋の内部は見ることが出来ません。

他にも、土蔵、石蔵。

水場。

お稲荷さん。

農具小屋。他にも古い農具民具の展示がある巨大な納屋もありました。

遠野の茅葺き屋根には必ず百合が咲いています。

母屋の部屋には、お盆の飾り物が見えますね。

一番最初の写真、道路から見える左側の建物。
土蔵の前がこんな映画セットみたいに。

遠野の里が見晴らせる絶好の場所でした。

町へ降りて向かった先はカラフルな場所。

卯子酉様と呼ばれる小さな神社とはちょっと呼びにくい、小さな祠です。

願い事を書くのが絵馬ではなく、この赤い布なんですね。

卯子酉様は、遠野に限らず、岩手県内にあるそうですが、どこでもこの赤い布が翻っているのかは、定かではありません。

立派な神社ではない分、怪しげというか、一種異様な雰囲気で、存在感があります。

この周辺には、愛宕神社やら、五百羅漢といった、ぶらぶら散歩向きのスポットがあるのですが、雨がひどいので、あきらめました。

ちょうどこの丘の上の五百羅漢の向こう側に、高速道路が建設中でした。
猿ヶ石川の向こう岸には、最新の風力発電機が。

無風で、止まっています。
とにかく雨がひどくて靴もびちゃびちゃ。
早めに宿へ向かいました。