Category: ドライブ
松山ばかりが松山じゃない
昨日の朝。

それほどではないと高を括っていたら、5cmほど積もってました。
でも柔らかい雪で、すぐ払うことが出来、遅刻せずにすみました。
建国記念日、天気はいまいちでしたがちょっくら買い出しに出かけました。
仙台東道路(常磐道の北方面の延長線)の仙台港北IC。

ETC専用入口が渋滞です。 閉鎖中。おいおい。
どうも期限切れカードのクルマが入ったかなにかのような。

困るなぁ。
なんとかすぐ解除。順調に高速を走ります。
目的地は松山、道後温泉の松山ではなく、大崎市松山、旧松山町です。伊達家重臣の城下町。樅の木は残ったに登場する、茂庭周防の領地ですね。秋に一度来たことがあります。

街の中心には、古い建物が点在しています。いい感じ。

秩序のある保存、とまでは行きませんが、残っています。

珍しい、長い土蔵。

屋根の上には龍が居ます、龍鉾。ドラゴンズのお膝元だって、鯱鉾なのに。

珍しいのではないでしょうか。
黒石のこみせを思い出させる、古い木造アーケード。

薬屋さんや豆腐屋さんが昔ながらの街並みを守っています。

そして「ふるさと歴史館」には、松山出身の、フランク永井さんの展示室もあるようでした。

私が見学に向かったのは、酒ミュージアム。
松山は、宮城の地酒としては、塩竈の浦霞と並んで名を馳せてきた、一ノ蔵の地元でもあるのです。

こころ、醸す、ところ。 醸華邑 。
BGMは、有楽町で逢いましょうでした。

入場料300円(ふるさと歴史館との共通券は400円)ですが、石鳥谷や、米沢、大山の酒ミュージアムと比べると、展示も少ないし、かなり小ぶりです。

まあ、この日は買い出しなんで、隣の売店でお買い物。
4月には此処で試飲あり、シャトルバスありのイベントがあるようです。その名も「一ノ蔵蔵開放」。プチ風写隊ツアーを組みましょうか。

見学後は、南下して大郷町の道の駅でまた買い物。併設されている食堂で、天ざる定食、サラダバー付き。売店もレストランも地元の野菜がたっぷりです。

さらに南。仙台に帰ってくるルートにこんな公園がありました。

支倉常長メモリアルパーク。少し歩きます。

キリスト教徒となった支倉常長は、蟄居を命じられ、この地にいた弟の元に身を寄せたそうです。

仙台市内の北山にもお墓があるんですが、ここにもあります。

支倉氏の領地だった県南川崎町にもあるそうです。
死去したことにして川崎に墓を建て、松山に隠れ住んだと言うところでしょうか。
素晴らしい業績を残したのに悲惨です。
もし伊達政宗が天下をとって鎖国もしなければ、初代外務大臣だったのに。
歴女ブームの影響はここまでは及んでいないようでした。

それほどではないと高を括っていたら、5cmほど積もってました。
でも柔らかい雪で、すぐ払うことが出来、遅刻せずにすみました。
建国記念日、天気はいまいちでしたがちょっくら買い出しに出かけました。
仙台東道路(常磐道の北方面の延長線)の仙台港北IC。

ETC専用入口が渋滞です。 閉鎖中。おいおい。
どうも期限切れカードのクルマが入ったかなにかのような。

困るなぁ。
なんとかすぐ解除。順調に高速を走ります。
目的地は松山、道後温泉の松山ではなく、大崎市松山、旧松山町です。伊達家重臣の城下町。樅の木は残ったに登場する、茂庭周防の領地ですね。秋に一度来たことがあります。

街の中心には、古い建物が点在しています。いい感じ。

秩序のある保存、とまでは行きませんが、残っています。

珍しい、長い土蔵。

屋根の上には龍が居ます、龍鉾。ドラゴンズのお膝元だって、鯱鉾なのに。

珍しいのではないでしょうか。
黒石のこみせを思い出させる、古い木造アーケード。

薬屋さんや豆腐屋さんが昔ながらの街並みを守っています。

そして「ふるさと歴史館」には、松山出身の、フランク永井さんの展示室もあるようでした。

私が見学に向かったのは、酒ミュージアム。
松山は、宮城の地酒としては、塩竈の浦霞と並んで名を馳せてきた、一ノ蔵の地元でもあるのです。

こころ、醸す、ところ。 醸華邑 。
BGMは、有楽町で逢いましょうでした。

入場料300円(ふるさと歴史館との共通券は400円)ですが、石鳥谷や、米沢、大山の酒ミュージアムと比べると、展示も少ないし、かなり小ぶりです。

まあ、この日は買い出しなんで、隣の売店でお買い物。
4月には此処で試飲あり、シャトルバスありのイベントがあるようです。その名も「一ノ蔵蔵開放」。プチ風写隊ツアーを組みましょうか。

見学後は、南下して大郷町の道の駅でまた買い物。併設されている食堂で、天ざる定食、サラダバー付き。売店もレストランも地元の野菜がたっぷりです。

さらに南。仙台に帰ってくるルートにこんな公園がありました。

支倉常長メモリアルパーク。少し歩きます。

キリスト教徒となった支倉常長は、蟄居を命じられ、この地にいた弟の元に身を寄せたそうです。

仙台市内の北山にもお墓があるんですが、ここにもあります。

支倉氏の領地だった県南川崎町にもあるそうです。
死去したことにして川崎に墓を建て、松山に隠れ住んだと言うところでしょうか。
素晴らしい業績を残したのに悲惨です。
もし伊達政宗が天下をとって鎖国もしなければ、初代外務大臣だったのに。
歴女ブームの影響はここまでは及んでいないようでした。