Category: カメラ
クラシックカメラマン80
東京オリンピックは小学校二年の時でした。10月末の閉会式には滅茶苦茶感動して、次のメキシコオリンピックがとても待ち遠しかったのを覚えています。
叔父叔母の話では、その当時私と弟は良くジャボチンスキーの真似をしていたそうです。
年をとると年がら年中オリンピックをやっているような気がします。
夏大会と冬大会が二年おき交互になったからかもしれませんが。
クラシックカメラマンの80回目は、’80年代にドイツで使用していた、CanonのA-1です。
1978年発売。

格好いいでしょう。
キャノンのカメラでは、F-1と並ぶ最高傑作のデザインだと思っています。単にごついだけかもしれませんが。
1979年4月に就職し、1982年4月にドイツに赴任した私は、当時同じキャノンのAV-1と言う一眼レフを使用していました。
その後、キャノン初のAF一眼EOSを買った先輩に譲って貰ったのがこのA-1だったのですが、そのカメラは1990年にデュッセルドルフのアパートからライカやコンタックス諸共盗まれてしまったのでした。

だからこの個体は最近入手したものです。
キャノン初のμプロセッサ搭載AE一眼は、AE-1、1976年発売です。その頃私はやはりキャノンのFTbを使用していました。FTbは露出計で測光してメーターを見ながら手動で調節するマニュアルカメラです。
AE、自動露出カメラを設計するとき、普通は絞り優先、光を測ってシャッタースピードを制御するのが普通でした。なぜならば、一眼レフカメラのメカニズム上、シャッターはカメラ側にありますが、絞りはレンズ側にあるためです。
だから、カメラからレンズの絞りを制御するためには、機構的か、電気的なインターフェイスが必要です。そんなものを付けるなら絞りは勝手にレンズで調節させておいて、シャッター速度を変えて調節してやれば良いし、その方が設計が簡単なんですね。
ところがキャノンは、最初のEFから、速度優先を造ります。
ほとんどのメーカーが絞り優先だった時代にです。天の邪鬼。

速度優先か、絞り優先かは、当時ずいぶん議論になったのですが、結局まずミノルタが両優先(どっちでも出来る)XDを発売、キャノンは両優先に加えてプログラムオートが出来るこのA-1を発表したのでした。
当時のキャノンFDマウントは、ライバルたちと比べて径が大きく、絞り制御が設計しやすかったのかもしれません。

また、他社よりもF値が小さい、つまり明るいレンズもキャノンのお家芸、これも大きなマウント径のおかげかも知れません。
私が買ったAV-1は、A-1のあとに小型廉価版として発売されたモデルで、他社と同じ絞り優先なんですが、どうも営業からの圧力でやむなく作ったようです。
オークションで競り落としたこの個体、シンクロジャックからケーブルが伸びています。

データバックが付いているのですね。

実に仰々しいのですが、今でこそデジカメの画像には、撮った時間、カメラに依ってはGPSセンサーが付いていて、位置情報まで記録出来たりしますが、このカメラの当時は、ダイヤルで日付(だけですよ)を設定して、フィルムに焼き付ける方式。別電池も必要です。右下のセレクターはなんでしょう、日付の順番か、濃さかなぁ。

ところが1978年発売のこのカメラのデータバックのダイアル、YEARのダイアルを良く見て下さい。

発売12年後の90年までしか目盛りが、無いんですよ。MONTHは何故か30まであるのに。
そんなに長く使うカメラじゃないってことなんでしょうか。
昔持っていたA-1で撮影した写真はこちらをどうぞ。
叔父叔母の話では、その当時私と弟は良くジャボチンスキーの真似をしていたそうです。
年をとると年がら年中オリンピックをやっているような気がします。
夏大会と冬大会が二年おき交互になったからかもしれませんが。
クラシックカメラマンの80回目は、’80年代にドイツで使用していた、CanonのA-1です。
1978年発売。

格好いいでしょう。
キャノンのカメラでは、F-1と並ぶ最高傑作のデザインだと思っています。単にごついだけかもしれませんが。
1979年4月に就職し、1982年4月にドイツに赴任した私は、当時同じキャノンのAV-1と言う一眼レフを使用していました。
その後、キャノン初のAF一眼EOSを買った先輩に譲って貰ったのがこのA-1だったのですが、そのカメラは1990年にデュッセルドルフのアパートからライカやコンタックス諸共盗まれてしまったのでした。

だからこの個体は最近入手したものです。
キャノン初のμプロセッサ搭載AE一眼は、AE-1、1976年発売です。その頃私はやはりキャノンのFTbを使用していました。FTbは露出計で測光してメーターを見ながら手動で調節するマニュアルカメラです。
AE、自動露出カメラを設計するとき、普通は絞り優先、光を測ってシャッタースピードを制御するのが普通でした。なぜならば、一眼レフカメラのメカニズム上、シャッターはカメラ側にありますが、絞りはレンズ側にあるためです。
だから、カメラからレンズの絞りを制御するためには、機構的か、電気的なインターフェイスが必要です。そんなものを付けるなら絞りは勝手にレンズで調節させておいて、シャッター速度を変えて調節してやれば良いし、その方が設計が簡単なんですね。
ところがキャノンは、最初のEFから、速度優先を造ります。
ほとんどのメーカーが絞り優先だった時代にです。天の邪鬼。

速度優先か、絞り優先かは、当時ずいぶん議論になったのですが、結局まずミノルタが両優先(どっちでも出来る)XDを発売、キャノンは両優先に加えてプログラムオートが出来るこのA-1を発表したのでした。
当時のキャノンFDマウントは、ライバルたちと比べて径が大きく、絞り制御が設計しやすかったのかもしれません。

また、他社よりもF値が小さい、つまり明るいレンズもキャノンのお家芸、これも大きなマウント径のおかげかも知れません。
私が買ったAV-1は、A-1のあとに小型廉価版として発売されたモデルで、他社と同じ絞り優先なんですが、どうも営業からの圧力でやむなく作ったようです。
オークションで競り落としたこの個体、シンクロジャックからケーブルが伸びています。

データバックが付いているのですね。

実に仰々しいのですが、今でこそデジカメの画像には、撮った時間、カメラに依ってはGPSセンサーが付いていて、位置情報まで記録出来たりしますが、このカメラの当時は、ダイヤルで日付(だけですよ)を設定して、フィルムに焼き付ける方式。別電池も必要です。右下のセレクターはなんでしょう、日付の順番か、濃さかなぁ。

ところが1978年発売のこのカメラのデータバックのダイアル、YEARのダイアルを良く見て下さい。

発売12年後の90年までしか目盛りが、無いんですよ。MONTHは何故か30まであるのに。
そんなに長く使うカメラじゃないってことなんでしょうか。
昔持っていたA-1で撮影した写真はこちらをどうぞ。