Category: ドライブ
肘折損の草臥れ儲け
夕べから未明にかけての強風は、物凄かったですね。
空気の圧力が急変するのを実感しました。
暮れの鶴岡の散策散歩は散々でしたが、今回のツーリングの第二のミッションへ向かいます。
藤島からまず立川へ。立川ウィンドファームの風車たちが元気に発電しているのを確認し、国道47号線を最上川に沿って東進。
新庄市に入ってから道を南へそれて、今度は国道458号線。大蔵村に入り、銅山川に沿って山を登ります。

再び、雪道です。

なんとスキー場をかすめてさらに登ります。この道はいつかきた道なんですが、こんな山奥だったかな。
肘折トンネルを通った先に突然開ける集落が、肘折温泉郷。
タイムトンネルの向こう側です。

最新のデータによれば、温泉宿が27軒もあるのです。
しかし流石に冬は1/3が閉まっていたように見えました。

この銅山川の上流には、永松銅山と言う、戦前までは日本有数の銅山があったそうで、同じ新庄盆地周辺には、銀山と銅山があったわけです。金山もあったかな。表彰台独占。

銀山温泉もそうですが、実に絵になる秘湯の地なんですね。
by Pentax K-x + DA21mm/F3.2
普段は朝市で有名な目抜き通り。

流石に真っ暗だったのですが、最新のデジタル一眼は、自動でISO6400まで感度が上がるので、手持ちで写真が撮れてしまいます。

この旧肘折郵便局の写真、ISO-6400、絞り開放で、1/20秒ぐらいですよ。

肘折温泉の開湯由来を得意のコピペで。温泉のHPからです。
地蔵権現の教えを信じ、今に伝わる長い歴史を湯の中に見る。
肘折温泉の発見は、今から約千二百年ほど前、大同二年(807)平城天皇の時代とされ、第百代後小松天皇の御代明徳二年(1391)の正月二日に、初めて温泉場として開業しました。

発見にまつわる伝説も興味深く、“昔、豊後の国(大分県)からきた源翁という老人が山中で道に迷い途方にくれていたところ、後光きらめく老僧に出会った。”というようなことがらが縁起書に記されています。この老僧こそが地蔵権現であり、かつて肘を折って苦しんでいたときに、この湯につかったところたちまち傷が治った、と語り、世上に湯の効能を伝えるべく翁にいい渡したとされています。以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、また骨折や傷に有効な湯治場としてにぎわってきました。

また、老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として参詣が絶えません。

肘折の名物のひとつに挙げられるのが朝市。自分で作ったもの、畑で採れたものを気さくなおばちゃんたちが旅館の軒先で直接売ってくれる、全国でも珍しい市です。冬場を除く毎日、午前5時になると地元・朝市組合のおばさんたちが新鮮な野菜や山菜、果物、また自分で作った笹巻きやしそ巻きなど、その季節の新鮮な旬のもの、サルノコシカケ、マムシといった漢方薬などを道端にズラリと並べ、賑やかに朝市が始まります 。

そして両側に並んだ市をのぞきこみながら、カランコロンと下駄を鳴らして歩く湯治客に、おばさんたちから元気よく声がかかります。毎年訪れる常連さんも多く「おばちゃん、今年も来たよ」「元気で来られて良かったね」といった会話や「元気になって明日帰るから、何か珍しいもの持ってきて」といった声があちこちから聞こえ、ほのぼのとした雰囲気が街に広がります。

今では、旅館で食事を出してもらう人が多いのですが、以前は湯治と言えば自炊が一般的でした。肘折に泊まっている湯治客は、この朝市で材料を調達し、自炊しながら何日も滞在したといわれています。もちろん、今もその風情を残し、自炊する人もいます。また、家族や知人へのお土産として、新鮮な肘折特産品を買って帰っていきます。

[泉質] 塩化物泉 炭酸水素塩泉
[浴用] 切傷・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
[飲用] 慢性消化器病・慢性便秘・糖尿病・痛風・肝臓病
*腎臓病・高血圧症などで、むくみのある場合は禁忌。

そして今宵のお宿は「湯宿 元河原湯」

源泉かけ流しのお湯を、惜しげもなく路面凍結防止に使用しています。

”風”の文字と、正時を告げる古い振り子時計の前に、インターネット用のパソコン。

湯治宿にも、ネット環境はあった方が良いのです。
こっち側に戻れなくなる。
空気の圧力が急変するのを実感しました。
暮れの鶴岡の散策散歩は散々でしたが、今回のツーリングの第二のミッションへ向かいます。
藤島からまず立川へ。立川ウィンドファームの風車たちが元気に発電しているのを確認し、国道47号線を最上川に沿って東進。
新庄市に入ってから道を南へそれて、今度は国道458号線。大蔵村に入り、銅山川に沿って山を登ります。

再び、雪道です。

なんとスキー場をかすめてさらに登ります。この道はいつかきた道なんですが、こんな山奥だったかな。
肘折トンネルを通った先に突然開ける集落が、肘折温泉郷。
タイムトンネルの向こう側です。

最新のデータによれば、温泉宿が27軒もあるのです。
しかし流石に冬は1/3が閉まっていたように見えました。

この銅山川の上流には、永松銅山と言う、戦前までは日本有数の銅山があったそうで、同じ新庄盆地周辺には、銀山と銅山があったわけです。金山もあったかな。表彰台独占。

銀山温泉もそうですが、実に絵になる秘湯の地なんですね。

普段は朝市で有名な目抜き通り。

流石に真っ暗だったのですが、最新のデジタル一眼は、自動でISO6400まで感度が上がるので、手持ちで写真が撮れてしまいます。

この旧肘折郵便局の写真、ISO-6400、絞り開放で、1/20秒ぐらいですよ。

肘折温泉の開湯由来を得意のコピペで。温泉のHPからです。
地蔵権現の教えを信じ、今に伝わる長い歴史を湯の中に見る。
肘折温泉の発見は、今から約千二百年ほど前、大同二年(807)平城天皇の時代とされ、第百代後小松天皇の御代明徳二年(1391)の正月二日に、初めて温泉場として開業しました。

発見にまつわる伝説も興味深く、“昔、豊後の国(大分県)からきた源翁という老人が山中で道に迷い途方にくれていたところ、後光きらめく老僧に出会った。”というようなことがらが縁起書に記されています。この老僧こそが地蔵権現であり、かつて肘を折って苦しんでいたときに、この湯につかったところたちまち傷が治った、と語り、世上に湯の効能を伝えるべく翁にいい渡したとされています。以後、近郷の農山村の人々が農作業の疲れを癒す温泉場として、また骨折や傷に有効な湯治場としてにぎわってきました。

また、老僧が住んでいた洞窟は“地蔵倉”と呼ばれるようになり、今では縁結びの神として参詣が絶えません。

肘折の名物のひとつに挙げられるのが朝市。自分で作ったもの、畑で採れたものを気さくなおばちゃんたちが旅館の軒先で直接売ってくれる、全国でも珍しい市です。冬場を除く毎日、午前5時になると地元・朝市組合のおばさんたちが新鮮な野菜や山菜、果物、また自分で作った笹巻きやしそ巻きなど、その季節の新鮮な旬のもの、サルノコシカケ、マムシといった漢方薬などを道端にズラリと並べ、賑やかに朝市が始まります 。

そして両側に並んだ市をのぞきこみながら、カランコロンと下駄を鳴らして歩く湯治客に、おばさんたちから元気よく声がかかります。毎年訪れる常連さんも多く「おばちゃん、今年も来たよ」「元気で来られて良かったね」といった会話や「元気になって明日帰るから、何か珍しいもの持ってきて」といった声があちこちから聞こえ、ほのぼのとした雰囲気が街に広がります。

今では、旅館で食事を出してもらう人が多いのですが、以前は湯治と言えば自炊が一般的でした。肘折に泊まっている湯治客は、この朝市で材料を調達し、自炊しながら何日も滞在したといわれています。もちろん、今もその風情を残し、自炊する人もいます。また、家族や知人へのお土産として、新鮮な肘折特産品を買って帰っていきます。

[泉質] 塩化物泉 炭酸水素塩泉
[浴用] 切傷・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病
[飲用] 慢性消化器病・慢性便秘・糖尿病・痛風・肝臓病
*腎臓病・高血圧症などで、むくみのある場合は禁忌。

そして今宵のお宿は「湯宿 元河原湯」

源泉かけ流しのお湯を、惜しげもなく路面凍結防止に使用しています。

”風”の文字と、正時を告げる古い振り子時計の前に、インターネット用のパソコン。

湯治宿にも、ネット環境はあった方が良いのです。
こっち側に戻れなくなる。