Category: 昭和の香り
さらに落ち葉が
中学2年生の時の写真。
記録によると、羽黒山に行ったとあるのですが、写真には御岳山の看板が立っています。
構図がとても良いでしょう? 情報もたくさん入っているし。

どちらも、山登りが好きだった大正生まれの伯父の蛇腹式のカメラで撮ってもらった写真です。機種は覚えていません。
盛大に光が漏れているのは、伯父の度重なる山行に随行した証。
蛇腹に穴が開いていたのか、ケースが変形していた証拠でしょう。
下は、伯父、従兄弟、私です。従兄弟と私は同じ年の同月生まれ。物心つかない頃からの仲良しで、ライバルで、伯父伯母にもずいぶん可愛がってもらったのでした。いまでもかな。

父の兄弟姉妹8人、二番目で長男の伯父は、そのうち男子6人の中で唯一召集され、台湾の航空隊に所属。
幸いにも台湾が戦争中にほとんど戦場にならなかったこと、燃料や航空機が他の戦地にまわされ、そもそもまともな武器がなかったことで生き残り、全く情報も無いまま、あきらめられていた中、終戦後1年以上たって、宇都宮の実家に、ある日ふらりと舞い戻った伯父が、この連休中に亡くなったのでした。
伯父はその後大学を出て最初の仕事が地元の新聞記者。伯母や、父も同僚だったと聞きます。
その後高校教師に転職。社会科を教えながら山岳部長として生徒と共に山登りが趣味でした。
それが嵩じて50を過ぎてから、日本百名山を目指すことに。
そして全て単独行で制覇することが出来たのでした。
その記録と記憶を本にして、還暦祝いに出版したのが昭和60年。
まだ、登山がブームになる前だったような気がします。

伯父によれば、「山は嘘をつかず、みんなを対等に迎えてくれるところが好き」なんだそうです。
大正生まれの伯父、昭和生まれの従兄弟、そしてその子は平成生まれで、今は東北大生。
つい先日母校の宇都宮高校で、親子三代卒業で表彰されたばかりだったそうです。
これで父の兄弟も半分になってしまいました。
最年長の従兄も還暦を迎えて定年退職。
宇都宮での悲しい集いでまた大勢の親戚との再会でした。
記録によると、羽黒山に行ったとあるのですが、写真には御岳山の看板が立っています。
構図がとても良いでしょう? 情報もたくさん入っているし。

どちらも、山登りが好きだった大正生まれの伯父の蛇腹式のカメラで撮ってもらった写真です。機種は覚えていません。
盛大に光が漏れているのは、伯父の度重なる山行に随行した証。
蛇腹に穴が開いていたのか、ケースが変形していた証拠でしょう。
下は、伯父、従兄弟、私です。従兄弟と私は同じ年の同月生まれ。物心つかない頃からの仲良しで、ライバルで、伯父伯母にもずいぶん可愛がってもらったのでした。いまでもかな。

父の兄弟姉妹8人、二番目で長男の伯父は、そのうち男子6人の中で唯一召集され、台湾の航空隊に所属。
幸いにも台湾が戦争中にほとんど戦場にならなかったこと、燃料や航空機が他の戦地にまわされ、そもそもまともな武器がなかったことで生き残り、全く情報も無いまま、あきらめられていた中、終戦後1年以上たって、宇都宮の実家に、ある日ふらりと舞い戻った伯父が、この連休中に亡くなったのでした。
伯父はその後大学を出て最初の仕事が地元の新聞記者。伯母や、父も同僚だったと聞きます。
その後高校教師に転職。社会科を教えながら山岳部長として生徒と共に山登りが趣味でした。
それが嵩じて50を過ぎてから、日本百名山を目指すことに。
そして全て単独行で制覇することが出来たのでした。
その記録と記憶を本にして、還暦祝いに出版したのが昭和60年。
まだ、登山がブームになる前だったような気がします。

伯父によれば、「山は嘘をつかず、みんなを対等に迎えてくれるところが好き」なんだそうです。
大正生まれの伯父、昭和生まれの従兄弟、そしてその子は平成生まれで、今は東北大生。
つい先日母校の宇都宮高校で、親子三代卒業で表彰されたばかりだったそうです。
これで父の兄弟も半分になってしまいました。
最年長の従兄も還暦を迎えて定年退職。
宇都宮での悲しい集いでまた大勢の親戚との再会でした。