風写の黙示録

No Camera No Life. No Wind No Power. 時間に追われず、のんびり気ままに暮らしたい。 晴れてる方へツーリング、雨が降ったら過去への旅。 貴方のコメントを楽しみに、書き綴っています。 

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今日からアルバイト?

 年度が明け、いつもと違う(はず)の朝を迎えた。
 マンションの部屋は、立て続けにいただいた、花々の濃厚な香りに満ちている。馥郁たる芳香。

 今日からはプレ年金生活だ。
 要は無収入。年金がフルでもらえるのは65歳からで、老齢年金の報酬比例部分がもらえるようになる62歳まではあと1年1ヶ月。

 しのがねば。
 近所に、折立のラーメン屋さんが支店を出すようで、バイトを募集している。

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 年齢制限に上限はないみたい。

 こっちのお店もバイト募集中。

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 どっちも賄いはラーメンかしら。
テーマ : 海外旅行  ジャンル : 旅行

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想い撮り Omoidori

 最近ポチしてしまった、電脳グッズというか、スマホの周辺機器。

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 このように、iPhone6を嵌めて使います。

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テーマ : iPhoneアクセサリー  ジャンル : 携帯電話・PHS

Category: 欧羅巴追想

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欧羅巴の街角で

 前にも何度か書いたかと思いますが、32年前の1982年、サッカーワールドカップ決勝の日。私はマドリードにいました。

 当時の西ドイツに赴任したのが、その年の4月。当初はカメラの修理などやりながら電話番(これが怖かった)、時々先輩に付いて、パリやロンドンに出張したりしてました。

 そしてワールドカップ。私が勤めていた会社のカメラが大量にスペイン放送RTVEに採用さたことで、技術者が大会中マドリードに待機することが受注の条件だったんですね。

 ワールドカップの期間は今も昔も5週間近くありまして、オリンピックの比ではなく、とても長いんです。

 それで準備期間も含めた前半を先輩が担当、私は後半と言っても3週間半、レアルマドリードの本拠地、サンティアゴ・ベルナベウスタジアムのそばの宿に滞在しました。
 仕事は基本的に、朝国際放送センターに出向き、カメラに火を入れて動作確認、軽く調整。スペイン中のRTVEから集まってる技術者やオペレータと歓談。(技術的な話よりも、昨夜はペレが来たんだぜとか)
 スタッフ用のセルフ食堂で昼飯を食べて終了、みたいな感じでした。

 写真もたっぷりあるので、そのうち追想レポートを載せますが、当時のマドリード、日本食レストランが数軒ありました。
 ある夜、MIKADOだったか、SAKURAだったか、一人で遅い夕飯を食べていたら、隣のテーブルに居た日本人の会話に、父の会社の名前が聞こえてきました。

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 その方が賀川氏。先日の夕刊に記事がありました。
 父に書いた絵葉書の返事(この辺、花子とアン風)では、日本サッカーマスコミ界の重鎮だとあった気がします。(これもそのうち発掘します)

 当時は父の同僚だったことになります。父より四つほど年上かな。

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 スペインの方と同席されていたので、あまり多く話すことは出来ませんでしたが、もちろん父のことはご存知で、名刺(これもそのうち発掘します)の交換だけは出来ました。

 日本チームがワールドカップに出場するなんて、夢のまた夢の時代(1998年に初めてフランス大会に出る16年前)でしたから、わざわざマドリードまで来ている日本人は、おそらくマスコミ関係だけだったでしょう。

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 この大会は、マラドーナのアルゼンチンも、ジーコやソクラテスのブラジルも、そしてジモティーもあまり期待していなかったスペイン(当時は弱かった)も敗退し、決勝は西ドイツとイタリアでした。

 当時はあまりサッカーには関心がなかった私は、一応すでに2ヶ月ほど暮らした西ドイツを応援。ルンメニゲやシューマッハー、リトバルスキーのチームです。

 スペイン人はイタリア贔屓が多かったので、ホテルの食堂で見ていた決勝のテレビ中継(スタジアムで使われていたのはドイツ製のカメラです)は大盛り上がりで、ロッシの大活躍でイタリアが優勝しました。

 賀川さん、まだまだ頑張ってください、ニッポンが優勝するまで。
テーマ : FIFAワールドカップ  ジャンル : スポーツ

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When I'm 64!!



 全局が深夜に生番組を編成して、地球の裏側から中継を行って、大騒ぎするのは考えものだと思いますが、そして、たかが一都市のイベントを全国放送するのも、やりすぎですが、一応本籍地だし、本音は少し嬉しいです。

 たまたま4時過ぎに目が醒めたので、馬鹿騒ぎの番組を眺めながら、アルバムを何冊か引っ張り出してきました。

 マドリード、マドリッドとか、マドリーと呼ばれることがありますが、スペインの首都。

 標高600m以上ですから、松本よりも高い場所に広がる大都市です。

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 1982年の6月、スペインのワールドカップサッカーの時に3週間半滞在したのを皮切りに、10回近く訪れました。

 だいぶ退色してしまっていますが、スペイン広場のドンキホーテ像。

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 セルバンテスの像の後ろのホテルにも泊まったことがあったと思います。

 マヨール広場。

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 本場のスペインバルはこの周りにもたくさん並んでいます。

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 怒りっぽくて、人見知りなスペイン人は、裏表がなくて大好きです。

 支倉常長がローマへ向けて出港したのがちょうど400年前。ここマドリードの王宮でフェリペⅢ世に謁見したのはその2年後です。

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 この街でオリンピックが開かれるなら、行ってみたいとも思っていました。

 そして、飛んでイスタンブール。

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 多分、2-3回行ってるはずです。

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 ボスポラス大橋。欧羅巴から亜細亜へ渡ることが出来ます。

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 イスタンブールは下関と姉妹都市だそうです。

 アジア側。

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 日本海海戦の時、露西亜バルチック艦隊に加え、黒海艦隊が、この海峡を通過していったら、日本の歴史は変わったかもしれません。

 そしてガラタ橋。

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 トルコ人男性はほぼ全員ヒゲおやじです。

 露天の魚屋。

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 ここはヨーロッパ側ですが、ドイツから来ると、とてもアジアを感じました。

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 同時にとても混沌とした街でもありました。

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 偽物だらけのグランバザール。

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 今イスタンブールがどうなっているか知りませんが、五輪が開催できなくなっても、きっと美しい街になっていくことでしょう。

 2020年。私は64になっているはずです。



 ちなみに1964年は、小学校二年生。
 我が家では、ジャボチンスキーがスターでした。
 閉会式の中継で、とても切なくなったのが一番の記憶です。

 56年開いた二つの五輪を記憶できる世代は、意外と限られているのかもしれませんね。
テーマ : ヨーロッパ旅行  ジャンル : 旅行

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Imagine All the People Living Life in Peace

 アフリカの砂漠の国で、起きてしまった悲しい出来事。

 時々忘れた頃に、此処にコメントをくれる高校の同級生も、かつて同じ会社のエンジニアでした。
 亡くなった、元副社長の方とも、ずっと懇意にしていただいていたそうです。

 そして、ニュースで、同じ高校の後輩も殺されていたことを知りました。顔見知りではないけれど。

 南三陸出身のエンジニアも殺されました。悲しすぎる。

 私も8年間、海外駐在生活を送ったことがありました。
 その国は、日本と並んで、世界で最も安全な国のひとつだったけれど、車の窓ガラスは三度割られたし、アパートも入口のドアをバールのようなもので破壊されて、大切にしていたクラシックカメラのコレクションや、AV機器もほとんど持ち去られました。
 決して戦いの最前線に居たつもりはないし、ましてや国を代表していたはずもありませんが、今思えば、エコノミックアニマルの尖兵として、どこかで誰かの生活を脅かしていたかもしれない。

 沢山の国を旅しましたが、日本人を目の敵のようにしている国にでも、絶対に親切な人達がいるし、どんなにぐーたらな私のような人間にでも、笑顔を見せてくれた人たちが居ました。

 空港で爆弾騒ぎに巻き込まれたり、国境で機関銃を向けられたこともあります。

 あんな事件を起こした奴らを、決して許したくはありませんが、目には目をでは悲しすぎる。

 人は誰でも友だちになれるはずです。



 明治維新の前後、尊王攘夷派の日本人は、欧米人にとって、テロリストだったのでしょうか。

 フランスの田舎町で、裏通りを彷徨う私の後を、子どもたちが、シノワシノワと呼びながらずっと付いて来たのは、懐かしくて楽しい想い出です。ジャポネなのに。

 ひとつ言えることは、きっと世界で一番、優しくて安らかな場所に、日々暮らしていることを、この国の人達が知らないことです。

 会社や教室での諍いはもとより、親子や嫁姑もみんな仲良くしましょうよ。
テーマ : 海外ニュース  ジャンル : ニュース

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おいしい戦利品

 先日のパスポートの記事を書いていて、思い出したことがいろいろありました。
 ブログを毎日書くことで、確実に記憶が活性化されているのが判ります。



 その中のひとつ。と言うかたくさん。

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 なんじゃこりゃ~~という感じですが、食器ですね、主にスプーン。

 フォークやナイフも混じっています。

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 そうなんです。

 航空会社の食器たち。これはJALですね。

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 新旧ロゴが混じっています。

 こちらは大英航空。

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 国際便で、食後、トレーを片付けるときCAに、初めての海外旅行に来たような素振りで、これ記念にもらえませんか? と聞くと大体もらえるんですね。

 スカンジナビア航空。

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 ドイツからだと、ロンドンやパリ、チューリッヒ・コペンハーゲンあたりは、ちょうど東京大阪ぐらいの距離で、一時間のフライトなんですが、国際線ですから必ず食事が出るんです。

 フィンランド航空とアイスランド航空。

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 例えば北イングランドの地方都市に行くのに、日帰りで、デュッセルドルフ-アムステルダム-ニューカッスル-ロンドンヒースロウーデュッセルドルフと言うルートで出張したことがあります。
 そうすると4便のうち3便が国際線ですから、3食が機内食なんですね。

 ポルトガル航空とオーストリア航空。

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 スプーンをもらえるチャンスが多いわけです。

 イベリア航空。

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 エールフランスと、アリタリアがないのは、プラスチック製だったからかな?

 これは珍しいと思います。バーミンガム・エグゼクティブ航空。

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 15人乗りぐらいの小さなジェット機で、全席エグゼクティブクラスという変わり種。
 CAはたった一人ですが、当時は珍しいフルボトルの紅白ワインを持って回ってくれてました。

 そしてもちろん一番たくさん乗った、ルフトハンザ。WMF製です。

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 当時マイレージシステムがあれば、世界何周できたでしょう。

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 こんなに沢山貰わなくてもイイと思うのですが、安上がり(と言うか只)のお土産にでもしようと思ったのでしょう。

 手前の二種類のスプーン。

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 奥が初期型で、手前が後期型。安っぽくなっているのが判りますね。

 グラスもありました。

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 スイス航空のグラスはひびが入ってしまっているので飾り物ですが、JALとルフトは現役です。

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 一つだけ航空会社以外のスプーンも見つけました。

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 バーデンバーデンにあるお得意様、ドイツ南西放送SWFのものでした。
テーマ : ヨーロッパ旅行記  ジャンル : 旅行

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8年間のスタンプラリー

 東北南部、梅雨入りしてしまいました。

 平成16年、2004年から律儀に使い続けていた、いわゆるおくすり手帳が、一杯になりました。次回に作り直しでしょうか。まさか二冊持ち歩かなきゃないのかな。

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 それで何故か思い出したのが、我がパスポートです。

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 80年代に、デュッセルドルフを拠点に、仕事とバカンスで、ヨーロッパ中旅行してたので、ご覧のとおり、スタンプだらけ。もちろん全部ビザと入出国証明です。

 当然期限切れ。

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 それでなぜパスポートを思い出したかというと、下は西ドイツの労働許可ですが、結構でかいですよね。場所を食う。

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 ある時、2回目ぐらいの許可延長の時に、パスポートにまっさらのページがないからという理由で、許可申請が突っ返されたのです。ゲルマンですよね。

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 それでパスポートは、日本領事館へ。 

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 上のようになって戻って来ました。

 増補と言うそうです。これは1986年11月に、向こうで作った2冊目のパスポートなんですが、1982年に作った最初のパスポートは40ページだったのに、1986年のやつは24ページしかないんです。
 そのせいで足りなくなっちゃった。

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 これはかなり珍しいでしょう。

 その後どうもルールが変わったようで、スタンプが一杯になったら、パスポートを作りなおす事が出来るようになりました。

 それからパスポートを更新しても、古い方にビザが残っていて有効な場合、当然ですが、新しい方と一緒に持ち歩く必要があります。大体はビザの期限はパスポートの期限に設定されるのですが、普通はその前にパスポートが更新されるわけで、しばらくは面倒なんです。

 あとはいろいろスタンプの紹介。

 これはハンガリーの入国ビザです。ブタペストで入国して、ヒゲシャロームで出国。

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 実はブダペスト出張中に、二日間休みができたので、一泊二日でウィーンまで鉄道旅行したんです。この時は大変なことがあったのですが、いずれ書き込みたいと思います。

 こちらは、フランスの入国ビザ。

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 元々は、ドイツやイギリスと同じく、短期であればフランスはビザ不要だったのですが、80年代にヨーロッパで爆弾テロが頻発した時期があり、突然EC諸国以外の国民は、ビザを取れと言い出したんです。フレンチです。

 確かにシャルル・ド・ゴール空港で、不審物騒ぎに遭遇したことはありました。

 それまではこんな感じの入出国スタンプだけ。

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 発表されたのが、折しもイギリス南部のブライトンで展示会が開かれている最中。私と同僚は、西ドイツから、オランダ・ベルギー・フランス経由で、機材をトラック輸送する担当運転手で、行きはカレーからドーバーへ渡る最短フェリーで海峡を越えたのですが、帰りはドーバーから少し遠い、ベルギーのオステンデへのフェリーを使わざるを得なくなったのでした。
 函館から大間に行くはずが、青森まで行かされた感じでしょうか。

 国境が一箇所減ると、税関手続き(高価な電子機器を沢山積載)の回数も減って、少し楽になるんですが、このルート、前だか後だか忘れましたが、転覆事故があって、フェリーエイドのレコードが出るきっかけになった路線なんです。



 このマキシシングルは、もちろん買いました。

 2回目まではいかにも間に合わせのビザシールでしたが、3回目に取った時は小奇麗なシールになりました。

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 えーと、これは今は亡き、チェコ・スロヴァキア共和国。

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 体調が悪かったかなにかで、誘われたプラハ市内観光をパスして寝ていた記憶があるのですが、結局その後一度も行けず。後悔しています。

 ルーマニア。ローマの国というくらいですから、イタリア語が通じるようです。関係ないけど。

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 ブカレストには、チャウシェスク後に二回行ってますね。

 こちらがもっとも頻繁に通った大英帝国。悪名高きパスポートコントロールの行列。

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 余りにも足繁く通う(多い時は月に4往復)ので、ブラックリスト入りし、いろいろもめましたが、通常3ヶ月滞在できるところ、1ヶ月限定になってしまいました。イングリッシュのやり方。

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 そんなに長居はしないよ。

 次にフランスと同じくらい、よく通ったスペイン。

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 アスタマニヤーナの国は、いつも優しく入れてくれます。エスパニョール大好き。上は出国印。

 その次はスウェーデン。

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 こちらもいつも紳士的でした。

 ポルトガル。

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 こちらは二回だけかな。女性の半分以上がマリアさんです。

 何度か通ったトルコのイスタンブール。

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 こちらはプライベート旅行の最中に、お金を払って記念にもらった、サンマリノのスタンプと印紙。

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 切手も有名ですね。

 これは珍しい、何度も行ったけど、たぶんこれだけ。オーストリアのウィーン空港。

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 たぶん日本から来た誰かと一緒で、そいつが欲しいといったので、ついでに私にもくれたか何かで。普通はわざわざ押しません。

 ちなみに、ドイツ、スイス、イタリアあたりも普段は、行けと手振りされるだけ、スタンプは無しです。

 ビザ用ではないページに押してるのは、これもトルコ。 

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 ターキーです。

 狭いスペースにきっちり押してくれたのが、フィンランド。

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 フィニッシュの国民性でしょうか。

 こちらはデンマーク、デーニッシュはいつもきれいに押してくれるのが特徴です。

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 スタンプ台が優秀なのか。

 これはアイスランド。 

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 何も一番寒い2月に北極圏まで行かなくてもいいのに。でもホテルのバスルーム、お湯の蛇口から硫黄温泉が出たのにはびっくり。

 下は、左がギリシャで、右がユーゴスラビア。

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 ユーゴはまだ分裂前ですね。

 これも珍しい、オランダです。

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 アウトバーン上ですね。なんでスタンプをくれたのだろう。不明。

 イスラエルにも行っていますが、此処のスタンプがあるとイスラム各国に入国できなくなるので、別の紙にスタンプを貰い、パスポートに挟んでおきます。
 出国の時にはそれを回収しておしまい。だから残っていません。今なら写真を撮るけれど。

 そしてオマケは中華人民共和国です。

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 これだけは日本に帰ってきてから。
 この出張旅行の間に、母が他界したので、想い出深い記念になってしまいました。
テーマ : ヨーロッパ  ジャンル : 海外情報

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1982.4.22

 30年前のちょうど今日。
 ヨーロッパ式に書くと、22/4/1982、アメリカ式だと4/22/1982。26歳になる直前ですね。

 生まれて初めてパスポートコントロールを通り、西ドイツへ渡りました。

 右上がマウント・マッキンリーです。北米最高峰ですね。

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 昔も今も撮ってる写真に進歩がありません。カメラはリコーのFF-1だったはずです。

 雲の真上で。

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 JALのジャンボです。
 エクゼクティブクラスができたばかりの頃。まだシートはエコノミーと同じサイズでした。

 アラスカの湖かな。Google earthで調べてみると奥がクラーク湖、手前がコントラッシャイブナ湖。

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 アンカレッジ空港です。当時は直行便はなかったので、2ストップの南回りと、アエロフロートのモスクワ経由以外の欧州便は、みんな此処に降りないと燃料が持たなかったのですね。

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 JALのジャンボは、プラット・アンド・ホイットニー社製エンジンですが、写真の大英航空機は、ロールスロイスのエンジンですよね。右端はDC-10かな。

 たしかアンカレッジまでが6時間。1時間休憩して、コペンハーゲンまでが8時間だったような気がします。
 搭乗員も当然全て交代。飯は4回。

 コペンハーゲンからデュッセルドルフまでは、スカンジナビアエアで1時間でした。

 時差は7時間ですから、ドイツに入国したのは4月23日。

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 最初に一時帰国したのは、1984年の6月でした。アンカレッジ空港でロス五輪グッズを買ったはずです。
テーマ : 一人旅  ジャンル : 旅行

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軍鶏二位再び

 3月になりました。

 先月、フランスのシャモニーの想い出話を書いたときに、その後もう一回スキーに行ったと書き込んでいますが、その時の写真を、春になる前に出しておいたほうがいいかなと思いまして、またまた古い画像ばかりで申し訳ないのですが、同じ日に取り込んでいたので、お見せすることにします。

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 前回と同じ場所ばかりで撮っているように思いますが、要はどちらを向いても美しい山ばかりの街。

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 無粋な日付でもわかるように、1988年の年末から1989年の正月にかけての記録です。

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 通りをまたいで頭の上にぶら下がっているワイヤーは、クリスマスイルミネーションです。

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 下の画像だけは前回の記事でも使ったのですが、実はこの時の絵だったのでした。

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 性懲りも無くというか、私ともう一人の先輩を除いては、みんなは初めてだったので、またエギーユへ。

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 この時はきっと暖かかった冬だったのでしょうね、展望台に雪がありません。

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 仕事に疲れて山へやって来た同僚たち。

 酔狂な人たちが稜線を登っています。

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 目指しているのは、もちろん、欧州最高峰のモンブランかな。

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 眼下のスロープには、シュプールのような曲線も見えますが、この部分にはリフト等はありません。雪玉が転がった痕でしょうか。

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 シャモニーの街は、まだ夜明けを迎えていないように見えますが、ちょうどモンブランが影を落としているのかな。

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 さて、これはアフタースキーの写真ですね。

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 午後三時過ぎには、暗くなってくるので、ナイターなど無いゲレンデは閉鎖、帰りのゴンドラに乗るのが1時間待ちになったりしたこともありました。

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 生牡蠣の屋台。

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 初めてモンブランを制覇した人の像。
 
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 あまりやることはありません。

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 そうそう、上の赤ダウンの奴は、下の写真でスカイブルーのジャンプスーツを着ていますが、これが、前に歌舞伎町でラーメン屋をやっていて、突然遭遇した後輩です。

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 やっとゲレンデの写真になりました。

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 ゲレンデにもあまり雪がありませんね。

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 ところどころ岩や木が飛び出していて、あそこに行っちゃいかんいかんと思うと、下手くそな私は突っ込んじゃうんですよ。

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 上のリフトは二人乗り、金髪のお嬢さんと一緒になると楽しいもんでした。
 遠くのゴンドラはたぶん上級者コースの方へ行くやつです、きっと。

 こっちは四人乗り、むさ苦しい日本人ばかりですが、降りる時の段取りを打ち合わせるには、やっぱり日本語は便利です。

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 私がゲレンデで一番好きな場所は、やっぱりスキー板を外せる此処です。

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 本場のペリエと一緒に、たいして美味くもないフランス料理を食べますが、当時はブログを書くことなんて考えていませんから、料理の画像はありません。

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 結構あったかそうですね。

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 前回のシャモニーツアーの時、スキーをしている写真がなかったのは、二回目だからカメラを持って滑る勇気がなかったんですね。

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 この時はもう六回目ぐらいでしたから、なんとか転ぶのも上手くなってました。

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 貴重な写真、私がへっぴり腰で滑ってるところです。

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 やっぱり直後に転んでました。

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 景色はすんばらしいけど、雪質はあまり良さそうではないでしょう。

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 このゲレンデは、モンブランやアギーユがある方から、シャモニーの谷を挟んで反対側にあります。

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 だからモンブランが写っている写真もあるはずなんだけど、どれだかよくわかりません。

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 でも、まぁすいてますよね。

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 ここまでの写真(一部除く)はこんなカメラで撮りました。(無断借用画像)

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 日本では、ニコンピカイチカリブと言う変な名前で売られていた3m防水カメラ。盗まれてしまいましたが、良い絵が撮れるカメラでした。

 これが生涯最後のスキーツアーです、今のところ。

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 この時に使ったHAGANの板やライケルの靴(スイス出張の時にチューリヒの街で買った)は、このあと私と一年間だけダブってでドイツに駐留した、ninoさんにあげましたが、ウェアは今でもうちのクローゼットにあるんですよ、これが。

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 たぶんもう着られないだろうけど、なんとなく。

 もちろん載せちゃいます。なんとモノ持ちがいいことでしょう。

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 当時新開発だったGORE-TEXですが、もう死語でしょうか。
 GOREと言う会社はテレビカメラ用のケーブルも作ってましたね、当時。

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 アップリケ(なんて言わないかな)を買って来て縫いつけたりしてましたが、ツェルマットのやつは、マッターホルンの麓(?)のゲレンデで、岩の上に転んで避けたところに縫いつけてます。血痕もあるかも。

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 グローブは、パンダマークだし。

 左が4日で495フランのリフト券、右がアギーユに登るロープウェーのチケットです。

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 やっぱりモノ持ちがいい。
テーマ : スキー  ジャンル : スポーツ

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軍鶏二位紋舞覧

 ずいぶん昔の話なんですが、1982年、ドイツに赴任して最初のクリスマス休暇は此処へ。

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 スイスのジュネーブよりちょっと南、国境を超えてフランスアルプスのシャモニーモンブランです。

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 先週末に、昔のネガからスキャナーで取り込んだのですが、ホコリとシミだらけの画像で、見づらいと思います。お許し下さい。

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 シャモニーはほぼ南北に走る谷間にあり、特に冬場はとても昼間が短い街なんですが、たぶん上の山が欧羅巴の最高峰、モンブランです。あまり特徴がない山で判りにくいんですね。

 昔からモンブランへ登頂する基地にであるとともに、第一回の冬のオリンピックが開催された街でもあります。

 宿泊したホテルと、デュッセルドルフから乗って行ったバス。

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 月が出てきているので、たぶん東側の山脈、全て3000m超です。

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 シャモニーの街の標高は1000mちょっとなので日光のいろは坂ぐらいですが、ここからロープウエイ、ドイツ語だとザイルバーン、フランス語だと、テレフェリックに乗ります。

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 もちろんスキーに来たのですがこの日は観光。

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 最初こそ水平方向に動いていますが、だんだん上向きに、途中で一度乗り換えて、後半は殆ど垂直、エレベーターのように上がっていくんです。

 エギーユ・デュ・ミディ駅に着いてさらに天を見上げると、こんな展望台。

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 さらにエレベーターで上がります。

 某HPから無断引用した空撮画像。

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 エギーユというのは牙という意味なのですが、まさに牙の先ですね。
 標高3842m、富士山より66m高い展望台です。ロープウエイとエレベーターで2800m登れるのは此処だけかもしれません。

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 360度の絶景です。

 下の写真、後ろがモンブランです。
 モンブラン万年筆は、何故か昔からMADE IN GERMANYですが、この標高4810mのフランス語で白い山は、スイスでもなく、フランスとイタリアの国境にあるのです。

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 エギーユ・デュ・ミディよりさらに約1000m高いことになりますね。

 西のフランス方向。ずっと向こうがリヨン。

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 会社の同僚と、デュッセルドルフの超人気日本料理店「喜かく」の板さんたちです。彼らと一緒に旅すると、アルプスの山のホテルで日本料理が食べられたりするんですね、これが。

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 東のイタリア方面、トリノの方かな。

       chamonix119.jpg

 北のスイスの方向。シャモニーの街から見える牙牙の山脈はこれでしょうね。

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 スモーク・オン・ザ・ウォーターや、ジャズフェスで有名なレマン湖とモントルーはこの山の向こうになります。

 寒くて空気も薄いけど、みんなでずいぶんはしゃいでいました。

chamonix128.jpg

 2800m下にある、シャモニー渓谷です。
 こちら側の山は急峻すぎるので、対面の山の上のほうが我々のゲレンデ。

       chamonix125.jpg

 下まで滑って来れるのは、プロ級の人だけしかもガイド付き。
 我々はゴンドラで上がって、滑って転んで、暗くなる前にまたゴンドラで降りてきます。

 この時が生まれて二回目のスキーでした。

 モンブランの真下には、当時世界で一番長い自動車道トンネル、モンブラントンネルがあるのですが、これをくぐってイタリアから見る白い山は、モンテビアンコです。

chamonix138.jpg

 年甲斐もなく、散歩に行こう.......に張り合ってしまいました。

 シャモニーには、1988年にもう一回行っていて、その時の画像は一部こちらにあります。
テーマ : ヨーロッパ旅行記  ジャンル : 旅行

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風写

Author:風写
仙台在住の“いんぴんかだり”です。
座右の銘は、人の振り見て我が振り直せ。
苦手なものは、人混み、行列、会議、出会い、初対面、対面販売、電話、girl's talk、職員室、甘いもの。
人前で話すこと、満員電車は真っ平御免。

癒されるものは、風に立ち向かう風力発電機、ごめんね青春!の中井さんと蜂矢先生、暖炉の炎、ミーアキャット、困った顔の石田ゆり子、喜多方宮古の刺身こんにゃく、越中八尾の風の盆、井上あさひアナの微笑み、あん肝、クラシックカメラの手触りとシャッター音、新垣結衣のすっぴん、生シロエビ、ピンクフロイド、ひたすらアクセルオンで登り続けられる峠道、ずっと下り坂だけのサイクリング、いきものがかり、掘りたての筍刺し、首を傾げた麻生久美子、時間が止まったような日だまり、サイモンとガーファンクル、大町へそのをの煮込、美術館の静けさ、博物館のかび臭さ、手嶌葵のハスキーヴォイス、薪の燃える香り、湯葉刺し、タレントもクイズも無しのドキュメンタリー番組、カエデの若葉、硫黄温泉、青空、街灯、水門、消火栓、冷えた純米酒、旬のサンマ刺、姫神、カワセミのダイビング、街独特のマンホール、わっぱ飯、桑子真帆アナの突込み、Across the Universe、イワトビペンギン、お寺の鐘、碧い海と砂浜、水を張ったばかりの棚田、QueenⅡのBlack Side、アジのたたき、レイラ後半のデュアンオールマンのスライドギター、小梅蕙草、アルトビール、ブリーカーストリートの青春、ヤマユリ、パリパリの餃子、原田知世の「ふう」、広くて静かな板の間、街角の向こうから聞こえてくる定禅寺ストリートジャズフェスティバルの演奏………〆のラーメン

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