食欲とスポーツの.........秋
想っても見なかった展開です。
イーグルス、野村監督解任の話は、島田社長と一緒に仕組んだ大きな嘘ではないか、と思わせるほどの効果を生んで、仙台は大きく盛り上がっています。
選手たちの集中力も、監督を胴上げするという目的に向かって高まっていて、横綱相撲で二連勝。ホークスをまさに蹴散らしました。
ダルビッシュを欠いたファイターズとの日本シリーズ出場チーム決定戦は、ファイターズに一ゲームのアドヴァンテージがあるにもかかわらず、イーグルス優勢を伝える論評が多いようです。
今年のパリーグは、結局関東関西のチームが全てBクラス。
プロ野球にとっては新天地であった札幌と仙台のチームが雌雄を決する戦いに臨む事で、まだまだ日本の野球も捨てた物ではない、メジャーリーグに負けない魅力があるということを感じているところです。
そしてスワローズ。
とても横綱相撲が出来る戦力ではありませんが、チームを何とかAクラス入りさせた投手力が戻ってきました。あとは外人の一発頼みと思ったら、昨日はそのとおりの展開で、ドラゴンズに辛勝です。
この二十年ほど、球界を代表する名打者だった、野村克也、落合博満、若松勉が創り上げてきた両チームは本当によく似ていて、ジャイアンツやタイガースに対抗するチームの理想的なスタイルを追い続けています。
そして、イーグルスやファイターズも、同類。
世界一になったWBCの日本チームもそうでした。
イーグルスが二連勝で札幌行きを決めてしまったのは、仙台の野球ファンにとっては贅沢な、ある意味残念な出来事で、今日の第三戦は試合がなくなってしまいました。
しかしスワロースは今日も名古屋で大手戦。
一生懸命応援しているチームが二つもある私は幸せです。
でもまさか、日本シリーズで、まさかね。まさかですよね。

そんな大盛り上がりの週末。
そっと職場を離れ、私はクラブの合宿へ。

会社からだと車で45分ほどで、仙台の奥座敷、秋保温泉に行けるんですね。
あまりにも近いので、忘年会や歓送迎会を平日に行って、翌日出勤というスタイルも、仙台に来て始めて見聞しました。
時間の関係で、温泉に入る前に夕食。

宴会部屋には、テレビが無いとのことだったので、ワンセグテレビを持ち込みましたが、映らず、岩隈の熱投を見ることは出来ませんでした。
秋保温泉。あきう、と読むのですが、ウィキペディアによると、
開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年~539年)に小瘡(皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったが一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。
“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)

以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。御湯であるが、日本三古湯(有馬・道後・白浜)ではない。

平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を勤めていたのが佐藤家である。伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に藩主の御殿湯が整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現在のホテル佐勘の祖)。

江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉は一つで入浴場も一箇所のみであった。この入浴場の周りに宿泊所が設けられていた。当初、この宿泊所も佐藤家だけが管理していたが、1625年(寛永2年)に岩沼屋が、また元禄年間には水戸屋が、佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠を開設する。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、広く親しまれる湯治場の一つとして賑わうようになった。

大正時代に入ると秋保温泉と長町との間に、秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。しかし、所要時間は約2時間20分であり、徒歩での所要時間と大差なかった。その後、秋保石材軌道、秋保電気鉄道へと発展し、所要時間は約1時間に短縮された。さらに、長町駅では国鉄東北本線や仙台市電と接続し、戦後にかけ湯治客の輸送に大きく寄与した(鉄道は1961年(昭和36年)に廃止されている)。

というわけで、この日のお宿は「ニュー水戸屋」

広くて綺麗で立派な温泉旅館です。
食事は刺し盛その他、撮り忘れたものはありますが、肉も多いし満足です。

温泉は仄かな塩素臭が気になりますが、適温の湯。何度も入るうちに肌がぬるぬるしてきます。

結局夕食後、起きがけ、朝食後にのんびり温泉を楽しむことが出来ました。
朝食はバイキング。

しかし、この合宿は、温泉倶楽部ではありません。
名取川に沿って少し山形方面に上がります。

紅葉が始まった河原に、芋煮会場なんかもある「木の家」というアウトドア施設があるのですが、

ちょっとぼろいけど、テニスコートがあるのでした。

私は一応テニス部員。
昨年はウェルサンピア仙台という厚生年金施設を使用したのですが、そこが昨今のごたごたで閉鎖。
今回はこちらで練習なのでした。

OBの皆さんも含め、7人で3時間練習。
年間のイベントはこの合宿と、部員の歓送会しかなかったりする倶楽部ですが、もっと練習しなきゃね。
昼飯は会場内のお蕎麦屋さん。

天ぷら定食をいただいてお開きでした。
次回も此処でやるなら、大滝のほうまで足を伸ばした方が良いかも。
帰宅してマー君を応援しました。
イーグルス、野村監督解任の話は、島田社長と一緒に仕組んだ大きな嘘ではないか、と思わせるほどの効果を生んで、仙台は大きく盛り上がっています。
選手たちの集中力も、監督を胴上げするという目的に向かって高まっていて、横綱相撲で二連勝。ホークスをまさに蹴散らしました。
ダルビッシュを欠いたファイターズとの日本シリーズ出場チーム決定戦は、ファイターズに一ゲームのアドヴァンテージがあるにもかかわらず、イーグルス優勢を伝える論評が多いようです。
今年のパリーグは、結局関東関西のチームが全てBクラス。
プロ野球にとっては新天地であった札幌と仙台のチームが雌雄を決する戦いに臨む事で、まだまだ日本の野球も捨てた物ではない、メジャーリーグに負けない魅力があるということを感じているところです。
そしてスワローズ。
とても横綱相撲が出来る戦力ではありませんが、チームを何とかAクラス入りさせた投手力が戻ってきました。あとは外人の一発頼みと思ったら、昨日はそのとおりの展開で、ドラゴンズに辛勝です。
この二十年ほど、球界を代表する名打者だった、野村克也、落合博満、若松勉が創り上げてきた両チームは本当によく似ていて、ジャイアンツやタイガースに対抗するチームの理想的なスタイルを追い続けています。
そして、イーグルスやファイターズも、同類。
世界一になったWBCの日本チームもそうでした。
イーグルスが二連勝で札幌行きを決めてしまったのは、仙台の野球ファンにとっては贅沢な、ある意味残念な出来事で、今日の第三戦は試合がなくなってしまいました。
しかしスワロースは今日も名古屋で大手戦。
一生懸命応援しているチームが二つもある私は幸せです。
でもまさか、日本シリーズで、まさかね。まさかですよね。

そんな大盛り上がりの週末。
そっと職場を離れ、私はクラブの合宿へ。

会社からだと車で45分ほどで、仙台の奥座敷、秋保温泉に行けるんですね。
あまりにも近いので、忘年会や歓送迎会を平日に行って、翌日出勤というスタイルも、仙台に来て始めて見聞しました。
時間の関係で、温泉に入る前に夕食。

宴会部屋には、テレビが無いとのことだったので、ワンセグテレビを持ち込みましたが、映らず、岩隈の熱投を見ることは出来ませんでした。
秋保温泉。あきう、と読むのですが、ウィキペディアによると、
開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年~539年)に小瘡(皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったが一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。
“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)

以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。御湯であるが、日本三古湯(有馬・道後・白浜)ではない。

平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を勤めていたのが佐藤家である。伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に藩主の御殿湯が整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現在のホテル佐勘の祖)。

江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉は一つで入浴場も一箇所のみであった。この入浴場の周りに宿泊所が設けられていた。当初、この宿泊所も佐藤家だけが管理していたが、1625年(寛永2年)に岩沼屋が、また元禄年間には水戸屋が、佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠を開設する。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、広く親しまれる湯治場の一つとして賑わうようになった。

大正時代に入ると秋保温泉と長町との間に、秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。しかし、所要時間は約2時間20分であり、徒歩での所要時間と大差なかった。その後、秋保石材軌道、秋保電気鉄道へと発展し、所要時間は約1時間に短縮された。さらに、長町駅では国鉄東北本線や仙台市電と接続し、戦後にかけ湯治客の輸送に大きく寄与した(鉄道は1961年(昭和36年)に廃止されている)。

というわけで、この日のお宿は「ニュー水戸屋」

広くて綺麗で立派な温泉旅館です。
食事は刺し盛その他、撮り忘れたものはありますが、肉も多いし満足です。

温泉は仄かな塩素臭が気になりますが、適温の湯。何度も入るうちに肌がぬるぬるしてきます。

結局夕食後、起きがけ、朝食後にのんびり温泉を楽しむことが出来ました。
朝食はバイキング。

しかし、この合宿は、温泉倶楽部ではありません。
名取川に沿って少し山形方面に上がります。

紅葉が始まった河原に、芋煮会場なんかもある「木の家」というアウトドア施設があるのですが、

ちょっとぼろいけど、テニスコートがあるのでした。

私は一応テニス部員。
昨年はウェルサンピア仙台という厚生年金施設を使用したのですが、そこが昨今のごたごたで閉鎖。
今回はこちらで練習なのでした。

OBの皆さんも含め、7人で3時間練習。
年間のイベントはこの合宿と、部員の歓送会しかなかったりする倶楽部ですが、もっと練習しなきゃね。
昼飯は会場内のお蕎麦屋さん。

天ぷら定食をいただいてお開きでした。
次回も此処でやるなら、大滝のほうまで足を伸ばした方が良いかも。
帰宅してマー君を応援しました。