Category: 博物芸術
黒光りする廊下
国道113号、小国街道を荒川に沿って西進します。
関川村の中心部に入ると、道が平らになります。八重の桜が満開。

村役場前にTTを停めます。

何度か通っているルートですが、前回来たときは、役場正面に建つ観光の目玉、渡邉邸が修復中でした。

昭和の日。

ずいぶん時間がかかった修復は昨年終わっていたようで、初めて見学です。

新潟らしい超大規模な豪邸です。

保存会のHPによると、渡邉家の当主、儀右衛門善高は、文禄三年(1594)年に出生、村上藩主 松平大和守直矩なおのりの家臣で郡奉行を勤めていました。寛文五年(1665)、家督を嗣子に譲り桂村に隠居し、寛文七年(1667)に下関の現在地に転居したということです。

渡邉邸は周囲に堀や塀をめぐらした1ヘクタールの敷地に、17アールの大邸宅が旧国道113号線に面して威容を誇っています。

かつて75人の用人が仕事を分担して働き、1,000ヘクタールの山林を経営し700ヘクタールの耕地からは9,000俵の米が収納されたという豪農の風格を、ここでしのぶことが出来るとおもいます。

天明八年(1788)と文化十三年(1816)に居宅から出火し、今の主屋は文化十四年(1817)に再建されたものです。

昭和二十九年(1954)には国の重要文化財に指定されました。大座敷から見られる庭園は、昭和三十八年(1963)国の名勝に指定されました。

二代三左衛門善延は養子で、初代とともに廻船業を営み、また酒造業を開業して財貨を集積しました。
なお、廻船業は幕末、酒造業は明治初期まで続きました。

三代三左衛門善久は、享保十一年(1726)財政難に苦しんでいた米沢藩に融資したのを手始めとして、幕末までに総額一〇万両以上用立てました。
そのため、その巧により五代三左衛門良英以後、勘定奉行の待遇を受け、ことに七代三左衛門善映は、寛政十年(1798)四五〇石の知行が与えられました。

土地集積は、米沢藩や諸藩に用立てした融資の返済金などを充当して順調に進められ、既墾地の紀伊国新田・長政新田・城塚新田を購入しました。そのほか、自らも新田を開発し、渡辺新田と呼称することを藩府代官所から正式に認可されました。

四代三左衛門善永は、地域の神社・仏閣を再建し、また京都から遠州流庭師を招き、前記庭園を構築しました。五代三左衛門良英は李亮、六代目三左衛門善富は李郷と号し、ともに北越美濃派俳諧の宗匠として活躍、文人墨客ここに遊び、多くの文化財を残しています。
使いやすそうなキッチン。

手前が土間で、向こう側が黒光りする床。

時が止まった異空間です。

朝の連続テレビ小説「蔵」のロケでも使われました。

松たか子が主演したそうです。

板屋根の上に石が乗ってるのを見ると、巨人の星を思い出すのです。

花も美しい外回り。

歩く人はいません。

そもそも見学者が少ないし。

それでもボランティアガイドのお母さんたちは親切でした。

回りの蔵の配置も当時のままのようですね。

この地域は、昭和42年だからメキシコオリンピックの前の年に洪水があったそうです。
←ここまで水が
それで、床下がかなり傷んでいたものを、6年かけて大修理したんだそうなんです。

村を挙げての工事、それだけの価値がある建物かと思います。

染井吉野の季節にまた来たいものです。

渡邉邸を後にしました。
ちなみに、FBでチェックインすると、渡邊邸になりますが、渡邉が正しいようです。

こちらは隣に建つ、津野邸。1789年建築。

実に美しい、女性的なカーブを描く茅葺屋根ですが、非公開。

鱒かな、鮭かな。

小さな道の駅にありそうな意匠の、内科小児科。

かつての庄屋、佐藤家の屋根は、順に一面ずつ葺き替えるそうです。1765年建築の重文も非公開。

いろんな場所で、葦を乾燥中。

ちょっと火の気が怖いです。

楽しい村歩き。

道の駅の裏手になります。

ここでも八重桜が満開。

もこもこでした。

筍を掘る人たち。
関川村の中心部に入ると、道が平らになります。八重の桜が満開。

村役場前にTTを停めます。

何度か通っているルートですが、前回来たときは、役場正面に建つ観光の目玉、渡邉邸が修復中でした。

昭和の日。

ずいぶん時間がかかった修復は昨年終わっていたようで、初めて見学です。

新潟らしい超大規模な豪邸です。

保存会のHPによると、渡邉家の当主、儀右衛門善高は、文禄三年(1594)年に出生、村上藩主 松平大和守直矩なおのりの家臣で郡奉行を勤めていました。寛文五年(1665)、家督を嗣子に譲り桂村に隠居し、寛文七年(1667)に下関の現在地に転居したということです。

渡邉邸は周囲に堀や塀をめぐらした1ヘクタールの敷地に、17アールの大邸宅が旧国道113号線に面して威容を誇っています。

かつて75人の用人が仕事を分担して働き、1,000ヘクタールの山林を経営し700ヘクタールの耕地からは9,000俵の米が収納されたという豪農の風格を、ここでしのぶことが出来るとおもいます。

天明八年(1788)と文化十三年(1816)に居宅から出火し、今の主屋は文化十四年(1817)に再建されたものです。

昭和二十九年(1954)には国の重要文化財に指定されました。大座敷から見られる庭園は、昭和三十八年(1963)国の名勝に指定されました。

二代三左衛門善延は養子で、初代とともに廻船業を営み、また酒造業を開業して財貨を集積しました。
なお、廻船業は幕末、酒造業は明治初期まで続きました。

三代三左衛門善久は、享保十一年(1726)財政難に苦しんでいた米沢藩に融資したのを手始めとして、幕末までに総額一〇万両以上用立てました。
そのため、その巧により五代三左衛門良英以後、勘定奉行の待遇を受け、ことに七代三左衛門善映は、寛政十年(1798)四五〇石の知行が与えられました。

土地集積は、米沢藩や諸藩に用立てした融資の返済金などを充当して順調に進められ、既墾地の紀伊国新田・長政新田・城塚新田を購入しました。そのほか、自らも新田を開発し、渡辺新田と呼称することを藩府代官所から正式に認可されました。

四代三左衛門善永は、地域の神社・仏閣を再建し、また京都から遠州流庭師を招き、前記庭園を構築しました。五代三左衛門良英は李亮、六代目三左衛門善富は李郷と号し、ともに北越美濃派俳諧の宗匠として活躍、文人墨客ここに遊び、多くの文化財を残しています。
使いやすそうなキッチン。

手前が土間で、向こう側が黒光りする床。

時が止まった異空間です。

朝の連続テレビ小説「蔵」のロケでも使われました。

松たか子が主演したそうです。

板屋根の上に石が乗ってるのを見ると、巨人の星を思い出すのです。

花も美しい外回り。

歩く人はいません。

そもそも見学者が少ないし。

それでもボランティアガイドのお母さんたちは親切でした。

回りの蔵の配置も当時のままのようですね。

この地域は、昭和42年だからメキシコオリンピックの前の年に洪水があったそうです。

それで、床下がかなり傷んでいたものを、6年かけて大修理したんだそうなんです。

村を挙げての工事、それだけの価値がある建物かと思います。

染井吉野の季節にまた来たいものです。

渡邉邸を後にしました。
ちなみに、FBでチェックインすると、渡邊邸になりますが、渡邉が正しいようです。

こちらは隣に建つ、津野邸。1789年建築。

実に美しい、女性的なカーブを描く茅葺屋根ですが、非公開。

鱒かな、鮭かな。

小さな道の駅にありそうな意匠の、内科小児科。

かつての庄屋、佐藤家の屋根は、順に一面ずつ葺き替えるそうです。1765年建築の重文も非公開。

いろんな場所で、葦を乾燥中。

ちょっと火の気が怖いです。

楽しい村歩き。

道の駅の裏手になります。

ここでも八重桜が満開。

もこもこでした。

筍を掘る人たち。

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Comments
素晴らしい豪農の館
風写さんへ
素敵な豪農の館、レポート満喫しました。
パノラマ写真の威力発揮ですね。どんなカメラのレンズですか。
現役の時の取材では、伊藤邸(北方文化博物館)の広大さに驚きました。
渡邉邸もすごいですね。
農地解放がなければ、庄内の本間家同様、現在の日本では想像できません。
神田で世話になったDPE店の店主で、伊藤家の末裔の方がいました。
先祖にそっくりなことにびっくり。
結構プライドの高い方でした。
素敵な豪農の館、レポート満喫しました。
パノラマ写真の威力発揮ですね。どんなカメラのレンズですか。
現役の時の取材では、伊藤邸(北方文化博物館)の広大さに驚きました。
渡邉邸もすごいですね。
農地解放がなければ、庄内の本間家同様、現在の日本では想像できません。
神田で世話になったDPE店の店主で、伊藤家の末裔の方がいました。
先祖にそっくりなことにびっくり。
結構プライドの高い方でした。
kazuさんへ
いつもコメントありがとうございます。
今回の機材はコンデジです。
LUMIX TZ70
スマホでもできますが、最近のコンデジにはパノラマモードが標準装備です。
シャッターボタンを押しながら横パンで撮れます。
庭園のパノラマ画像は、二枚の画像をPhotoshopでパノラマ合成したものです。
中央にあった柱が、補正の過程で下半分だけになってしまってます。
豪邸と言う意味では、新津の伊藤邸の方が大規模なような気がします。
http://hoosha.blog83.fc2.com/blog-entry-291.html
見学してる途中で、ひそかに屋根を支えている鉄骨を見てしまいました。
一番驚いたのは庇の長さ。
10枚目の画像にありますが、縁側の縁から一間ほど張り出しているんです。
吹雪の地だからなんでしょうね。
今回の機材はコンデジです。
LUMIX TZ70
スマホでもできますが、最近のコンデジにはパノラマモードが標準装備です。
シャッターボタンを押しながら横パンで撮れます。
庭園のパノラマ画像は、二枚の画像をPhotoshopでパノラマ合成したものです。
中央にあった柱が、補正の過程で下半分だけになってしまってます。
豪邸と言う意味では、新津の伊藤邸の方が大規模なような気がします。
http://hoosha.blog83.fc2.com/blog-entry-291.html
見学してる途中で、ひそかに屋根を支えている鉄骨を見てしまいました。
一番驚いたのは庇の長さ。
10枚目の画像にありますが、縁側の縁から一間ほど張り出しているんです。
吹雪の地だからなんでしょうね。